月狼聖杯記

3章:魂の彷徨い 25


 昼過ぎ。ラギスは城内の練兵場を訪れた。
 ロキはすぐに見つかった。磨きあげた黒檀のような肌の大男は、嫌でも目につく。どうやら、剣技の基礎ともいえる型を復習しているらしい。
 ドミナス・アロの闘技場にきてから、毎日のように一緒に稽古をしてきたから、互いの癖は知り尽くしている。
 ロキはずば抜けて強いが、左に重心を預けすぎる弱点ともいえる癖があった。
 初見では先ず見抜けない癖だ。
 ラギスも彼の剣術を何度か見るうちに気がついた。指摘したこともあるが、彼は判っていながら直そうとしなかった。下手に型をいじって、生死をかけた場面で命を落としくなかったのだろう。
 だが、じっくり剣技を見つめ直す時間ができたので、長年の癖を見つめ直す気を起こしたらしい。
 彼は一心に剣を振っていたが、やがてラギスの視線に気がついて顔をあげた。

「――見ていたのか」
「ああ」

 汗を拭きながら、ロキはラギスの方へやってきた。

「見学したいなら、堂々と見ていけばいいだろう? こんな隅でどうした」
「目立つのはご免だ」

 こうして話している今も、四方から視線を感じる。居心地の悪そうなラギスを見てロキは笑った。

「すっかり有名人だな。大王様の寵愛をほしいままにしているって噂だぞ」
「うるせェよ」
「不満そうだな」
「当たり前だろ。俺は王に恨みがあるんだ」
「召し上げられたってのに、お前は相変わらずだな」
「ふん……騎士になったんだな」
「ああ。前線に志願したら、騎士団に配属されたんだ」
「奴隷剣闘士がよく騎士団に入れたな」
「上層が炯眼けいがんで助かる。あとはラギスのおかげだ」
「俺?」
「あの日に運命が変わったんだ」

 そういって、ロキは思案げにラギスを見つめた。

「少し痩せたな……王の番って噂は本当なのか?」
「ちげェよ、あいつが勝手にいっているだけだ」

 舌打ちするラギスを見て、ロキは目を瞠った。

「あいつって……まさか、大王様のことか?」
「他に誰がいるんだよ――てッ」

 軽く頭をはたかれて、ラギスは不服げにロキを睨んだ。ロキは慌てたように前後左右を確かめてから、ラギスの方に顔を寄せた。

「こんな所で滅多なことを口にするな。誰かに聞かれてみろ、首が飛ぶぞ」
「ヘッ、今更だな」

 暴言どころか、唾を吐く、殴る、蹴る、噛みつく、斬りかかるの不敬の極みを一通りやっている。

「お前、今まで何やってたんだ?」
「……いいたくねェ」

 苦虫を潰した顔でラギスが沈黙すると、それ以上は追及せずに、ロキは引き下がった。

「姿を見かけなかったから、心配してたんだ」
「まぁな」

 ラギスは言葉を濁した。
 ついこの間まで、脱走を繰り返しては監禁されていたので、ロキと顔を合わせる機会もなかった。

「これからどうするんだ?」
「こんなとこ、出ていけるなら出ていきてェけど」

 少し距離を置いて、監視するように立つ護衛に目をやり、ロキは肩をすくめた。

「えらく気に入られているんだな」
「勘弁してほしいぜ」
「お前も望めば、騎士になれるんじゃないか?」
「もう断った」

 ロキは目を丸くした。

「なんで?」
「誰が騎士なんざやるかよ。第一、俺はあいつを殺したいん――」

 ロキは焦ったようにラギスの口を塞いだ。誰かに聴かれやしなかったか辺りを警戒してから、ラギスに鋭い視線を戻した。

「その口の悪さをどうにかしろ! そのうち死ぬぞ」

 ラギスは顔を寄せると、声を抑えて囁いた。

「いっておくが、あいつは控えめにいっても、最低最悪のくそ野郎だぞ。死んでも騎士は御免だ」

 ロキの唇が、ぴくっとひきつった。頭痛を堪えるように、こめかみを指で押さえている。

「そんな台詞を他所で零すんじゃないぞ」
「ふん……そうしていると、本物の騎士に見えるぜ」

 しみじみというラギスを見て、ロキはにやっと笑った。

「俺は今、騎士団で多くを学んでいる。剣にしてみても独学とは違う。体系立てて学べる環境は素晴らしいな」
「ふん」
「どうだ、ラギスも訓練してみないか?」
「何?」
「学ぶことは多いぞ」

 ラギスは顔をしかめた。

「騎士なんざ、やらねェよ。必要もない」
「確かにお前は強いよ。だが、驕りは剣を鈍らせるぞ。俺も最近身に沁みている」
「……癖を直しているのか」
「ああ。いい機会だからな。目を瞑ってきた癖なんかも、見直している」
「そうか」
「お前も騎士になるかはおいておいて、鍛錬に参加してみるといい」

 顔をしかめるラギスを見て、ロキは真面目な顔でいった。

「覚えておいて損はないぞ。環境を活かせ。牙を研ぎ澄ませ――闘技場にいた頃と同じだ」
「……闘技場か。俺は確かに剣闘士だった。だが、今はどうだ? 自分が何者なのか、よく判らなくなってきている」

 悄然と呟くラギスの肩を、ロキはぽんと叩いた。

「大海に目を向けろ。無情な命の取り合いから、解放されたんだ。得られるものは大きいはずだ」
「……そうは思えん。あの頃と今と、どっちがマシかと訊かれたら、俺は間違いなく前者だと答える」
「それはどうかと思うぞ。あんなのは只の殺し合いだ。これからは違う。真に立身を望める」
「あんたはな」
「お前だって望めるはずだ。幸運を祈っているよ――親友」

 親友という言葉にラギスは驚いた。いった本人をまじまじと見つめる。ロキは白い歯をこぼして笑った。

「二人共、生きて闘技場を出られたんだ。もう、殺し合わずに済むんだ。お前を殺さなくていいんだ。なら、親友になるしかないだろう?」

「……そうだな」

 胸に暖かなものが流れて、ラギスは久しぶりに少しだけ笑った。

「そろそろ歩哨ほしょうに就かないと。またな、ラギス」

 立ち去っていく迷いのない背中を、ラギスはしばらく見送っていた。




3章:魂の彷徨い 25


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