月狼聖杯記

3章:魂の彷徨い 23


 再び目が醒めた時、外は明るかった。
 どうやら、まる一日経過したらしい。十四日も眠っていたはずなのに、どうも疲れやすいようだ。
 寝台の上でぼんやりしていると、控えめに扉を叩く音に続いて、ジリアンが入ってきた。

「お目醒めですか?」
「ああ」
「アミラダ様をお呼びするよう、仰せつかっております。お連れしてもよろしいでしょうか?」
「何の用だ?」
「治療をされたいとのことです」
「ご老体にわざわざきてもらうのは忍びないから、遠慮しておく――そういってくれ」

 体のいい断り文句を口にするラギスを見て、ジリアンは困ったように眉をひそめた。

「ですが、お身体を見ていただかなくては」
「結構だ。食って寝てりゃ良くなる。俺の世話なら、ジリアン一人で十分だ」

 少年は嬉しそうな気配を滲ませたが、すぐに表情を引き締めて、しかつめらしくラギスを見つめた。

「私には治療師の知識がございません。やはり、アミラダ様を呼んで参ります」
「おい、ジリアン……」

 生真面目な少年は、呼び止める声も聞かずに部屋を出ていった。
 間もなくして、部屋にアミラダがやってきた。相変わらず二人の少年と一緒にいる。一人は彼女の手を引いて、もう一人は治療具や薬の詰まったとうの籠を持っている。
 アミラダの銀色の瞳がラギスをとらえた。

「具合はどうだ?」
「問題ねェよ、ばーさん」
「人を年寄り扱いするな。お主は大王様に対しても口が悪すぎる。改めよ」

 ラギスは鼻を鳴らした。

「貴族みたいな言葉遣いか? 御免蒙る」

 傷を診せろといわれ、悪態をつくと、例によって馬鹿力の少年二人に身体を抑え込まれた。

「うぐ……こいつらどうにかしろよ、ばーさん」
「お主が素直に傷を診せればいいだけの話だ」
「へっ」

 アミラダは患部に手を乗せると、遠慮せず圧を込めた。具合を確かめているのは判るが、鈍い痛みが走り、ラギスは顔をしかめた。

「痛むか?」
「ちっとは……というか、押してから訊くなよ。俺でなければ、悲鳴を上げているぞ。やぶめ」
「傷が塞がっていることは判っている。微熱はあるようだが、それだけ元気なら心配いらないだろう」
「ふん」
「安静にしておいで。そうすれば、以前のように体力も戻ってくるだろう」
「……あんたが俺を治したのか」

 憎々しげにラギスがいうと、アミラダは緩くかぶりを振った。

「大王様だよ。容態が落ち着くまで、傍でずっと霊気を注いでおられた」
「……胎に子はいたか?」

 アミラダは眉をひそめて、ラギスの金眼をじっと見つめた。

「いいや、受胎はしてなかったよ」
「くそッ」
「恐ろしいことを申すでない。お主のような荒くれ者の聖杯は初めてじゃ」
「王の子を産むことほど、恐ろしいことがこの世にあるか?」
「お主を助ける為に、大王様は大変な霊気、気力を消耗されたのだぞ」
「狂ってる。自分を殺そうとした男を、よく助ける気になれるな」
つがいだと――」
「番じゃねェよ! 俺はあいつを殺せなかった。なぜだ?」

 昏い眼で訊ねるラギスを見て、アミラダはため息をついた。

「お前は王に選ばれた器であり、王を選んだ器なのだ。時が経つほどに絆は深まり、番を傷つけることはできなくなる」
「何が絆だ。番じゃねェっていってるだろ」
「やれやれ……まだ時間がかかりそうじゃな。時が満ちれば、お主にも判るだろう」

 憮然と押し黙るラギスの手に、ほれ、とアミラダは紐のついた小袋を握らせた。
 ビョーグの形見だ。
 紐と袋は丈夫でなめらかな牛革に変わり、開閉部には真鍮の留め金具がついている。中に入っているビョーグの耳飾りと髪は、麻布でくるんであった。

「……ばーさん、器用だな」
「まぁな。月狼になっても千切れぬよう、紐は長めにしてあるぞ」
「ああ、これでいい」

 早速首から小袋を下げると、ラギスは指にいらいながら口を開いた。

「……俺の他にも、聖杯を知っているのか?」
「うむ。この国の歴代の王に仕えておる」
「ばーさん、年はいくつだ?」
「女に年齢を訊くでない、野暮な男よ」
「あっそ……俺の前の聖杯は、どんなだった?」
「最初の聖杯は雄で、次は雌だった。どちらも王を慕い、立派に子を産んで育てたよ」

 ラギスは吐き気をこらえるように顔をしかめた。

「よく従順でいられたな。俺には耐えられん」
「お主は怒りに支配されるあまり、全体を見通せていない」
「は」
「確かに、王の振る舞いにも問題はあった。だが今は、お主を苦しめたことを後悔しておられる」
「んなわけねェだろ、喜々として俺を聖杯にした奴が」
「聖杯は呪いではない。王の番となる、尊く稀有けうな存在だ。そなたの生を豊にし、幸福で、有意義なものにしてくれる」

 ラギスは盛大に顔をしかめてみせた。

「どこかだよ! 聖杯のせいで、糞みたいな狼生を更に地獄へ突き堕とされたぞ」
「お主の憎悪は根が深い。故郷を奪われた苦しみは想像するにあまりある……だがな、ヤクソンを焼いたのは王ではない」
「知った口を利くなよ、ばーさん。俺にしてみれば、あいつは前王の血を引いているというだけで罪だ。反吐が出そうなほど、この国が嫌いなんだよ。聖杯を負わされて、増々そう思うぜ」
「その王家への嫌悪が、お主の視野を狭くしているのだ。都合のいいものしか見ようとしないのは、生者の愚かな誤りだ」
「講釈されるいわれはない」

 悪態をつきながら、その声には覇気がなかった。
 ラギスは、自分でも矛盾に気がついていた。
 ヤクソン襲撃の日、集落にやってきた官吏は王の勅令だといった。
 だが、当時のシェスラは三歳だ。ヤクソンを焼き払う権限を有し、実行に移したとは考えにくい。
 となると考えられる指示者は、摂政の座に就いていたシェスラの叔父だが、シェスラが十五歳の時に自ら処刑している。
 ヤクソンの襲撃に関わり、生きている者があとどれほどいるのだろう?
 官吏の名を知らぬことが口惜しい。
 冷酷な顔だけは、記憶の中で幾度も再生してきた。
 行方はようと知れないが、今もどこかで生きているのだとしたら赦せない。

(死にきれなかったのは、真に復讐を果たしていないせいかもな……)

 ビョーグの形見を両手で包みこみ、ラギスは厳しい顔つきで瞳を閉じた。




3章:魂の彷徨い 23


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