月狼聖杯記

2章:饗宴の涯て 14


 発情から五日目。
 ラギスは褥の準備の為に、湯浴みに向かっていた。
 入浴する時も、首輪を外されることはない。
 召使に傅かれていても、獣化を赦されないのなら奴隷と同じだ。呼び名が、奴隷剣闘士から聖杯に変わっただけ。戦士としての誇りを傷つけられている今の方が、精神的には酷い。
 それでも、ラギスは耐えていた。
 機は必ず訪れる。発情が落ち着くまでは、耐え忍ぶのだ。
 入浴を終えて部屋に戻る道すがら、これからの情事を考えまいとし、代わりにロキのことを考えた。
 軍役を望んでいたが、どうしたのだろう?
 騎士団に配属されたと聞いたが、まだ城に留まっているのだろうか。
 思い耽っていると、石柱の影から、夜闇よりもなお暗い衣装を纏った刺客が現れた。
 鎖に戒められ、相手が殺気を滲ませていなかった故に、ラギスの反応は遅れた。短剣の閃きを躱し損ねて、腕から血が噴き出す。

「ぐッ」
「ラギス様!」

 後ろで、年若い従卒が叫ぶ。華奢な少年ではひとたまりもないだろう――ラギスは背にジリアンを庇ったが、予想に反して彼は抜刀するやラギスの前に飛び出した。

「ひっこンでろッ!」

 ラギスは怒鳴ったが、ジリアンは躊躇いもなく敵に斬りかかった。
 意外なことに、彼は強かった。それもかなり。
 敵は五人組で、三人をジリアンが斬り伏せ、一人ははラギスが体術でねじ伏せ、残った一人は、奪った剣でラギスが斬り捨てた。
 辺りに静けさが戻ると、ジリアンはラギスの傷を見て慌てた。

「どうってことねェよ」

 ラギスにとってはかすり傷程度のものだったが、ジリアンは悔しそうに唇を噛みしめた。手際よく清潔な麻布で患部を縛る。
 すぐに衛兵が駆けつけてきて、彼等は二人を油断なく守りながら、安全な寝室まで送り届けた。
 部屋に戻ると、ジリアンは改めて丁寧な処置を施した。
 これまで気にも留めていなかった従卒の少年に、ラギスは初めて興味を抱いていた。大人しく手当を受けながら、端正な顔に視線を注ぐ。
 剣を持ったこともないような、天使めいた外貌をしているが、刺客を瞬殺した剣技は凄まじいものがある。

「……剣は、騎士団で習ったのか?」
「はい。七歳の頃に、騎士見習いを始めました」
「いい腕だな」
「ありがとうございます」

 ジリアンは恥ずかしそうに視線を伏せると、口元に柔らかな笑みを浮かべた。これまでまともに口を利いたこともなかったが、どうやら好意的な感情を向けられているようで、ラギスは戸惑った。

「……騎士ってのは、もっと居丈高で無駄に偉そうで、恰好ばかりの貴族が金で買う称号だと思ってたぜ」

 にべもない酷評に、ジリアンは口元を僅かに緩めたが、すぐに引き結んで笑みを消した。

「若輩ではありますが、月狼銀毛騎士団の騎士に相応しくあるよう、精進しております」
「お前みたいな奴もいるんだな」
「……ありがとうございます」
「騎士団で何を学んだ?」
「多岐に渡ります。剣技はもちろん、広範な教養と、礼節と正義、寛容さ。清貧の生活を知り、己を律すること。主君に忠誠を誓うこと、騎士道精神に至るまで、学ぶことは多くございます」
「はっ、聖人かよ」

 呆れたようにラギスがいうと、ジリアンはかぶりを振った。

「騎士は皆、大王様の藩屏はんぺいです。あのお方は、仕えるに値する素晴らしい月狼の王アルファングです」
「お前も信奉者か」

 冷たくラギスがいうと、ジリアンは怯んだ。

「……別に、責めてるわけじゃない。どう思うかは、個人の自由だ」
「は、はい……」
「お前もついてないな、王ではなく、俺の従卒にさせられて」

 同情の目で見ると、いいえ、とジリアンは強い口調で否定した。

「王の大切な方にお仕えすることができて、誇りに思っております」

 曇りのない眼差しを向けられて、今度はラギスが怯んだ。そうかよ、とぶっきらぼうにいって視線を外す。
 なんともいえぬ沈黙が流れる。
 王のおとないを告げる衛兵の声に、静寂は破られた。ジリアンと入れ替わるようにして部屋に入ってきたシェスラは、ラギスの腕を見て眉をひそめた。

「そなたは頻繁に血を流しているな」
「うるせェ」
「だが、今回に関しては私の責だ。王の居住区に刺客を放った阿呆に、相応の礼をしなくてはな」

 凄惨な笑みを浮かべると、シェスラはつと腕を伸ばし、ラギスの首の枷を外した。

「……いいのかよ」
「枷があった方が良かったか?」
「んなわけないだろ」
「二度と私の居住区を荒させはしないが、そなたにも多少の自由はあった方が良いだろう」
「……」

 今なら月狼になれる。喉笛に噛みつける――ラギスは身の内にざわめく獣性を意思の力で抑えこんだ。
 まだ早い。万全ではない……発情の焔と媚香に、身体を支配されている。

「ラギス……」

 シェスラは艶めいた目でラギスを見つめた。端正な顔を、ラギスの太い首にうずめる。誘うように肌をまれて、ラギスはきつく眼を瞑った。

(発情が明けたら、殺す)

 それまでは耐えてみせる。復讐の焔を胸に、シェスラに身を委ねた。
 身体を寝台に押し倒され、汗ばんだ肌に白い指が触れる。
 声をあげまいとするラギスの強情を愉しむように、シェスラは時間をかけてラギスを抱いた。

 翌る朝。
 星歴五〇三年。二月四日。
 シェスラは、のちの史実に残る不沈城グラン・ディオ事変――反シェスラ派による、聖杯暗殺と国家転覆の反逆罪を問う軍事裁判に臨んだ。
 国内外で圧倒的支持を誇るシェスラにも、敵対勢力はある。彼等は王の失脚を狙って、ドミナス・アロでも暴動を起こしていた。
 それくらいで傾くような支持率ではないシェスラにとって、反対勢力の存在は、これまで微々たる問題に過ぎなかった。
 だが、ラギスの暗殺を目論むとなれば話は別だ。
 王は、一夜にして反対勢力に名を連ねる有権者を捕らえ、厳しい軍事裁判にかけた。

「私を退けたあと、どのようにしてセルト国を導いていくのか、納得できるだけの根拠があるのなら聞こう」

 シェスラの問いに、捕らえられた官僚のうち、気概のある幾人かは自説を口にした。
 一言でいうと、北の最大都市アレッツィアの同盟を退け、帝国に挑むのは愚策である――という主張だが、結局のところ、彼等はシェスラを妬んでいるだけだった。あまりにも優秀な王を擁したばかりに、活躍の場を奪われていると感じていたのだ。
 彼等の主張を、シェスラはことごとく論破した。
 恐ろしく明晰な頭脳を持つ王に、誰一人として太刀打ちできなかった。

「――残念だが、その程度では生かすに値しないな。憂うことはない。そなたら以上の働きを以て、私がこの国を導くと約束しよう」

 凄艶な笑みを浮かべるシェスラを見て、捕らえられた官僚達は慄えあがった。
 セルト国において、王は、臣下に対する生殺与奪の権利を有している。
 シェスラは、一人残らず処刑を宣告した。
 斧を手に現れた獄吏は、彼等の尾を断ち切ってから、一人ずつ引きずっていって首を跳ねた。
 正視に耐えかねる光景であったが、シェスラは全て見届けてから、裁判の席を立った。
 彼は計算していたわけではなかったが、毅然とした采配は、上院、下院の双方から高く評価された。
 名門であっても臆せず処罰を課し、番を守ろうとする姿勢が、身分に関係なく大衆に支持されたのである。




2章:饗宴の涯て 14


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