今でも、ヤクソンの襲撃を夢に見る。
 聞こえたはずのない、苦痛に塗れた断末魔の叫び。胸に剣を突き立てられるビョーグのもとへ、少年のラギスは必死に走る。
「うわぁッ、ビョーグ! ビョーグッ!!」
 必死に手を伸ばすが間にあわない――ビョーグは力なく膝からくずおれ、血の涙を流しながらラギスを見つめる。復讐を囁く瞳を見つめて、ラギスは必死に頷く。
「判ってる、許さない、絶対に! ヤクソンを焼いた連中を、一人残らず殺してやるッ!」
 薄闇のなかでラギスは目を醒ました。
 うなじに、シェスラのかすかな息遣いを感じる。王はしなやかな腕を、巨躯のラギスの腹に回して、背中にぴたりと寄り添っている。
(……またか)
 烈しい交合で体液に塗れた身体は、いつものように清められていた。
 未だに信じられないが、氷象のように美しい月狼の王アルファングは、奴隷であるラギスをつがいと呼び、自らラギスの世話を焼く労を惜しまない。
 そうして、毎夜同じ褥で眠りにつく。
 背中越しに温もりと静かな寝息を感じて、暗澹あんたんとなる。
 窓の外を見ると、夜闇に浮かぶ月は裂かれたように細く、爪痕から血を滲ませるように銀色の光を放っていた。
 流れるシェスラの銀髪を思い浮かべて、ラギスは顔をしかめた。全く、寝ても醒めても王に苛まれているではないか。
「……眠れないのか?」
 はっとして振り向くと、シェスラと目があった。
「うなされていた」
 怪訝そうな顔をするラギスの肩を、シェスラはそっと撫でた。
「どんな夢を見る?」
「……関係ねぇだろ」
「ただの興味だ……ビョーグとは誰だ?」
「ッ」
 無言で見つめあう。言葉はなかったが、ラギスの脳裏には、燃え盛るヤクソンの森が過っていた。ラギスの名を呼ぶ、ビョーグの声が耳奥にこだましている。
「覚えていないのだな。眠っていると、そなたは時々その者の名を呼ぶ」
「……」
「誰だ?」
 無言を貫いて視線を逸らすと、顎を掴まれた。
「答えよ」
「……兄だ」
 捕んだ手を振り払い、ラギスはぶっきらぼうに答えた。
「ふぅん……」
 シェスラは鷹揚に頷くと、ラギスをじっと見つめた。深淵を覗きこもうとするような眼差しに、ラギスは背を向けたい衝動に駆られた。
「……用が済んだなら、自分の部屋に戻れよ」
「断る。この城は私のものだ。王である私を追い払おうとするのは、そなたくらいのものだぞ」
「知るかよ」
「まぁ、その気丈なところも気に入ってはいるが……」
 伸ばされた手を避けると、シェスラは身を乗りだしてきた。強引に唇を奪う。
「んぅッ」
 肩を押すと、シェスラは鋼のような腕でラギスを抱きこんだ。唇を食み、愛撫してから顔を離す。
「……舌をだせ」
 下からめつけると、シェスラは口角をあげた。
「素直になれるように、もう一度抱いてやろうか?」
 唸り声をあげるラギスの頬を、シェスラはそっと撫でた。水晶の瞳に、金色のすじが放射状に走る。慌てて視線を逸らそうとするが、遅かった。躰を不可視の力に戒められる。
「四日も抱いているのに、相変わらず反抗的だな。楽しませてくれるが……さぁ、舌を……」
 屈するものか――ラギスは全身に力をこめて、睨みあげた。
「そなたは本当に強情だ」
「ッ」
 威放つ覇気が膨れあがり、ラギスの額に脂汗が滲んだ。嫌だと思っているのに、唇が戦慄わなないて、薄く開いてしまう。
 シェスラは勝利の笑みを浮かべると、ちらと覗かせた舌を、思い切り吸いあげた。
「ん、んっ……ぅ」
 濡れた水音を立たせながら、口内のそちこちを刺激される。官能を呼び醒まされ、躰がびくびくと跳ねた。
 長い口づけを終えた時、ラギスは肩で息をしていた。シェスラの頬も仄かに上気している。
 薄闇のなかでも、水晶の瞳は光彩を放っていた。麗しい顔をさげ、上下するラギスの胸に唇を寄せようとする。
「やめろ」
 否定を口にしても、抵抗するだけの力が躰に入らなかった。緩慢な動きで身をよじるラギスを押さえつけて、シェスラは乳首の周辺にちろちろと舌を這わせた。
「少し腫れてしまったな……昨夜はたくさん吸ったから」
「ッ!」
 先端を、ちゅぅっと柔らかく吸われて、ラギスは歯を食いしばった。シェスラはいつものように吸飲しようとはせず、舌で優しい慰撫を繰り返した。
「離せよ」
「慰めているのだ」
「いらねェよ!」
 昨夜は散々絞りとられ、もう一滴も残っていないと思っていたが、柔らかく吸われるうちに、胸の奥が熱くなってきた。それでもシェスラは吸飲せず、左右の乳首を交互に口に含んでは、優しく舌を這わせた。
「ッ、何がしたいんだよ!」
 肩を叩くと、シェスラは大人しく躰を引いた。濡れて、朱く尖った突起を指で弾き、意地の悪い笑みを浮かべた。
「ここが、疼くのだろう。吸ってほしいか?」
 怒りのあまり、咽奥からくぐもった声を漏らすラギスを見て、シェスラは愉しそうに笑った。ゆったりした動作で寝台をおり、裸で窓辺に寄る。
 星明かりに照らされて、しなやかな筋肉をまとった完璧な身体は玲瓏れいろうと輝いている。
 月の化身のような姿に、ラギスは言葉も忘れて見惚れた。
 我に返って視線を外すと、少しして衣擦れの音がきこえた。
「今朝は、休ませてやろう。その疲れた顔をどうにかしろ」
 顔をあげると、薄絹を羽織ったシェスラが褥に近寄ってきた。軽くのけぞると後頭部を掌に包まれる。
 柔らかな唇が、そっとラギスの瞼に落とされる。
 どうしたことか、淫らな行為のあととは思えぬ、優しい、労わりに満ちた口づけだった。
 ラギスは、時が止まったように感じられた。烈しく感情を乱されて、咄嗟にいい返すことができなかった。
 部屋をでていくシェスラの背を、ぼんやりと見送る。
 今のは、いったいなんだったのだろう?
 まるで愛情を感じさせるような……
 馬鹿な――思考を停止させて、ラギスは寝台に背中から倒れた。