ラギスは、いつになく丁寧に治療を受けた。
普段なら共用の水場で適当に汚れを落として終わりだが、この日は傷口を消毒し、高価な膏薬まで塗られた。
そのあと、奴隷宿舎には戻らず、王家の紋章の入った馬車に乗せられた。
降りた先は、巨大な不沈城で、その威容に暫し茫然となった。
驚きを隠せないラギスを見て、つき添っている近衛騎士のアレクセイは、穏やかな笑みを浮かべていた。彼はラギスに対しても紳士的な人柄を崩さず、城内について説明しながら、石柱の廊下をラギスと並んで歩いた。
だが、壮麗な大浴場の前で彼と別れたあと、状況は一変した。
とんでもない屈辱が待っていた。
ずらりと並んだ召使達に、よってたかって血濡れの衣服を剥ぎ取られ、首から下げた小袋までも弊履のごとく奪われた。
暴れるラギスの首と手首と足首に、鉄の枷がつけられた。
「離しやがれッ」
空気が震えるような大音量で怒鳴りちらしたが、召使達も必死の顔つきでラギスを押さえつける。
瀝青を含んだ炭酸水の下剤を飲まされ、腸を強制的に空にされ、家畜のように後孔を洗浄された。
召使達は、牛皮を表面に張った男根の型に、香油に胡椒、蕁麻などの媚薬を塗りたくってから、ラギスの硬く閉じた後蕾に沈めた。
「やめろォッ!!」
こめかみに青筋を浮かべて嚇怒したが、四肢を戒められ、獣化はおろか、まともに動くことすらできなかった。
しかも、口と尻から飲まされた媚薬のせいで、思考は朦朧としている。
碌に抵抗もできず、召使に傅かれ、いい香りのする糠袋で全身を磨きあげられた。
背中を垢すりで擦られると、ぼろぼろと長年蓄積された汚れが剥がれ落ちた。
何年もまともに鋏を入れてなかった髪も整えられ、髭も綺麗に剃られた。陰毛まで整えられ、爪も鑢で磨かれた。
お目にかかったこともない、上等な絹の薄い衣装を着せられ、ラギスはようやく浴室をでることができた。
媚薬でふらつく身体を、左右に立つ召使に支えられて、強制的に歩かされる。
腸内洗浄と媚薬に見舞われ、全身大改造という一大事業を経ているラギスには、暴れる気力が残っていなかった。おまけに、尻には異物がめりこんでいる。
連れていかれたのは、呪い部屋だった。
真鍮の燭台に灯された焔が、呪部屋を妖しくも神秘的に照らしている。
水晶球の置かれた丸い卓の前に、黒装束の老女が座っていた。彼女の左右には、双子と思わしき同じ顔をした美しい二人の少年がいる。
女は、老いてなお美しい顔をしていた。
婀娜っぽく煙管の煙草をくゆらせながら、殆ど白に近い瞳でラギスの顔じっと見つめる。煙管を煙草皿に置くと、けだるげに唇を開いた。
「私は王に仕える占い師、アミラダという」
「占い師?」
散々喚き散らしたあとなので、ラギスの声は少し嗄れていた。
いわれてみると、壁面には幾何学模様の絨毯や、鏡板、蛇腹が飾られており、見慣れぬ呪具が処狭しと並べられていた。
(……ちきしょう、頭が朦朧としやがる)
平常時でも異次元空間のように感じたろうが、今は特に妖しく見える。座っているはずなのに、部屋が動いているように感じるのだ。
「ようやく視えたよ、聖杯。強い光だ。魂の穢れが落ちれば、更に輝くだろう」
アミラダの声に、不快感を堪えていたラギスはそっと目を開けた。
「……聖、杯?」
「然り。お主は王の為の器、特別な聖杯だよ」
「は」
訳が判らなかった。
「王は、聖杯を望んでおられる」
「聖杯、俺のことか?」
「そうだ。お主もまた、王を選んだ」
「何だと?」
「王と対峙した時、妙なる香気を感じなかったか?」
「!」
驚きに目を瞠るラギスを見て、アミラダは確信しているかのような口ぶりで続ける。
「お主の抱えている復讐の焔は、毒のように魂を蝕み、長く聖杯の覚醒を妨げてきた。だが、番に出会い、僅かながら綻んだようだ」
「番?」
「そうだ」
「ありえないだろ」
「事実だ」
「ふざけるなッ!」
激昂するラギスの鎖を、二人の少年は引っ張った。華奢な外見を裏切る凄まじい力だ。
「ぐっ」
「これ、手荒にするでない。加減に気をつけよ、大切な王の聖杯なのだから」
はい、アミラダ様。二人の少年は、寸分違わずに唱和で答えた。
「冗談だろう? 俺が聖杯のわけがあるか!」
強い雄、或いは雌の番は器と呼ばれる。中でも群れの頂点、王の選ぶ器を聖杯と呼び、その数は王に匹敵するほど稀だ。
「いいや、間違いない。お主は、王の寝所に呼ばれておる」
「!?」
アミラダはじっとラギスの瞳を覗きこんだ。
「発情を兆しているな。王に抱かれれば、覚醒するだろう」
「抱かれる? ……俺が??」
「然り。今夜から七日間、そなたの身体は王を求めて烈しく疼くだろう」
言語を絶する恐ろしい予言に、ラギスは愕然となった。
「王が、この俺を抱くというのか?」
「そうだ」
「……冗談だろう?」
「いいや」
「信じられるかッ」
掴みかかろうとするラギスを、少年は再び引っ張った。巨躯のラギスを御する力は、生身の少年がだせるものではない。
訝しげに、己の手の震えを見つめるラギスに、案ずるな、とアミラダは声をかけた。
「毒の類ではない」
香炉から漂う甘い香り……諸悪の原因を睨みつけるが、四肢から力が失われていく。
「くそ、睡眠香か?」
「閨で使われる媚香だよ。お主のように気性の荒い聖杯には、これが役に立つ」
「媚香!? 俺は奴隷剣闘士だぞ」
「過去は重要ではない。それに王に召しあげられたのだから、もう奴隷剣闘士でもない」
唸り声をあげるラギスを、少年たちが上から押さえつける。それでもなお、床を這って逃げようとするするラギスの鎖を、アミラダは見えぬ力で引っ張った。
「ぐぁ」
「覚醒はいつの代も混乱を伴うが、そなたは重症だな。心身が解れるよう、もう少しここに留まるが良い」
「番なんて冗談じゃない。俺は、あいつにッ……」
怒りで目が眩みそうだった。
故郷を焼き、家族を殺し、奴隷剣闘士に貶めた諸悪たる王族に、この身をも捧げろというのか。
怨嗟を撒き散らすラギスを見て、アミラダは淡々とこういった。
「……お主のように逞しい男はどうかと思うたが、王は気に入るかもしれん。強い子を期待できそうだ」
「ッ!?」
ラギスは絶句した。
この世に慈悲はないのか――奈落に堕ちていくような負の連鎖は、もはや奇跡としかいいようがない。
「これはお主のものか?」
アミラダの取りだした小袋を見て、ラギスは目を瞠った。
「取り返そうと必死だった、よほど大切なものなのだろうと召使が届けたのだ」
「返せ! 俺のだ」
「少し待て。紐も袋も破れているから、直しておいてやろう。中身が無事なら構わないだろう?」
確かに、紐は今にも千切れそうで、袋もぼろぼろになっている。以前から、どうにかしたいとは思っていた。
黙考するラギスを見て、アミラダは了解と受け取り、祈祷を諳んじ始めた。
滔々と流れる韻律を耳にしていると、催眠にかけられたように頭が朦朧としてくる。
「聖杯を畏れるな、深淵に触れて、魂を開け」
ラギスは口を開くのも億劫で、瞼を開けているのがやっとの状態だった。
「王のもとへ連れておいき」
アミラダが命じると、魔性の少年達は恭しく頭を下げた。ラギスの身体を左右から支えて部屋の外へ連れだす。
(逃げないと)
頭に警鐘が鳴り響くが、躰がいうことを聞かない。
朦朧としているうちに、絵巻物に登場するような、豪奢な寝室に連れていかれた。
最高級の調度を設えた部屋の奥には、月狼が二三体横になれるほど大きな寝台が鎮座している。
天蓋のついた寝台の縁は、金、銀、紅玉、碧玉が象嵌され、やわらかな毛織の敷布と深紅の豪華な上掛けが、革と黄金の留具で固定されている。
まさしく王の為の寝台だ。
そこへ近づくのは心底嫌だったが、魔性の少年達は容赦なくラギスを引きずっていく。
逃げなければいけないのに、強烈な睡魔が襲ってくる。
意識が沈む。
はっと瞼をこじ開けた時には、ラギスは褥に寝転がっており、両手首に枷をつけられ、首輪の鎖は天蓋に固定されていた。