メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -

2章:まほろばの楽園と、泡沫の寵愛 - 2 -


 精霊王の勘気に触れて、空気に霜が降りた。
 怯えながら、オフィーリアも跪こうとすると、肩を抱き寄せられた。

「大丈夫ですか?」

 優しい手つきで、乱れた髪を丁寧に梳く。一房を手に取り、唇を落とそうとするので、オフィーリアは咄嗟に手で振り払った。

「あ……」

 美貌の精霊王は微苦笑したが、後ろで見ていた召使達は、恐ろしい形相でオフィーリアを睨んだ。

「……我が君、あまりその方に触れませぬよう。まだ入浴も済ませておいでではないのです」

 嫌悪も露わに召使が申し出た。言外に汚いと罵られ、オフィーリアの頬は羞恥で熱くなる。その様子を見て、アシュレイの視線は鋭さを増した。

「口を慎みなさい。オフィーリアは私の大切な方。私に接するのと同じように尽くせ、と命じたはずです」

 主から冷たい譴責けんせきを浴びて、召使は絶望に顔を歪ませた。お許しください、と震える声を絞り出す。

「下がりなさい。今後は、公宮へ近付くことを禁じます」

「ッ!」

 ぴしゃりと退出を命じられ、召使達は眼を見開いた。絶望しきった顔で、悄然と肩を落として歩いていく。
 その後ろ姿には眼もくれず、アシュレイは真摯にオフィーリアだけを見つめた。

「大切にもてなすと約束したのに、嫌な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」

「い、いいえ……」

 心のこもった口調で謝罪され、オフィーリアは居心地悪そうに身じろいだ。

「用意した衣装は、お気に召しませんでしたか?」

 ここへきた時と同じ、古ぼけた外套に身を包むオフィーリアを見て、アシュレイは問うた。赤面して俯く様子を見て、優しく笑みかける。

「オフィーリアの好みを教えてください。気に入るものを、用意させましょう」

「いえ、そんな」

「遠慮はしないで。貴方の為に、何でもしてさしあげたいのです」

 青い鱗の散った顔を、更に蒼白にさせてオフィーリアは内心で呻いた。
 眼が覚めても、アシュレイにかけてしまった魔法は健在だ。居心地が悪過ぎて、吐いてしまいそう……

「ご覧なさい。我が身を蝕む怒りの綻びを知り、母なる世界樹アンフルラージュも喜んでいる。貴方と私を祝福してくれています」

 アシュレイの視線の先を辿り、オフィーリアも母なる世界樹を仰いで眼を細めた。

「……なんて、美しいのかしら」

 やっかいな魔法ではあるが、美しい世界樹を間近に仰げたことだけは、心から感謝を捧げたい。
 敬愛の眼差しで仰ぐオフィーリアの髪を、アシュレイは愛しげに撫でた。形の良い指に巻きつけて、梳いたりと愛着を示す。
 その手を振り払いたい衝動を堪えていると、緊張を知ってか、アシュレイは名残り惜しそうに手を離した。
 アシュレイは、青く波打つ髪を一房手に取り、腰を屈めて形の良い唇を落とした。上目遣いにオフィーリアを見上げると、鱗の散った頬に、朱がぱぁっと散る。
 思いがけず、かわいらしい反応を見て、知らずアシュレイはほほえんだ。
 幾星霜――
 涼しげな表情を変えずにいた精霊王の、白皙の頬に色が射す。恋を知り、永い生において、彼は初めて頬を染めたのだ。
 精霊王の喜びは、全ての精霊の喜び。
 大気は霊気に満ち溢れ、金色に煌めいた。世界樹は歌うように梢を揺らしている。
 金色に縁取られる、神秘的なアシュレイの輪郭。息を呑む美しさに、オフィーリアは感嘆の息を漏らした。

(なんて美しい方なのかしら……)

 宝冠を戴かずとも、王笏おうしゃくを持たずとも、彼こそは、偉大なる天下始祖精霊マナ・マク・リールだ。そこに在るだけで、世界は星屑を散らしたように煌めいて見える。




2章:まほろばの楽園と、泡沫の寵愛 - 2 -


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