メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

2章:エステリ・ヴァラモン海賊団 - 10(2章完) -


 大荒れの嵐が嘘のように、翌日から晴天に恵まれた。
 風はないが、ともかく凪いだ海に戻り、ヘルジャッジ号の乗組員は揃って歓声をあげた。しかし、それは何も自分達に限ったことではなかった。
 航海三十二日目。檣楼トップで当直に就いていたティカは、望遠鏡から眼を離すと、甲板に向かって声を張りあげた。

「ジョー・スパーナだ!!」

 ジョー・スパーナ率いる海賊団隊は、水平線の彼方から不気味に姿を現した。しかもヘルジャッジ号の進行方向から、である。
 敵は先日の嵐でかなり大破したと聞いていたが、こうして見る限り、大戦隊であることに変わりはない。

「前! 前からきてるっ! ヘルジャッジ号の進行方向だ!!」

「前だぁ!? 嵐に掴まってたのに、どうやって俺らより先回りしたんだ!?」

 水夫は頓狂とんきょうな声をあげた。船員達は皆、敵がヘルジャッジ号の船尾を追いかけてくるとばかり警戒していたのだ。前から現れるのは完全に予想外であった。

「いっぱいきてる!!」

「数は!?」

 甲板に小波さざなみのように緊張が走った。水夫達は甲板の警鐘けいしょうを鳴らし、滑り防止の砂を一面に撒き始めた。

「一、二、三……数えきれないほどいる!!」

 ティカは指折り数えて、早々に諦めた。数えるのは本当に苦手なのだ。

「てめぇ、三つしか数えてねーじゃねぇか! 大体、何隻だよ!」

 大雑把なティカの説明に、甲板部員が不平を垂れた。ティカは気合いを入れて数え直すが――

「二十、二十一、二十二、二十三……」

「――長ぇよっ! 二十以上いるんだな!?」

 痺れを切らした水夫は、ティカの返事も待たず甲板を駆け出した。ティカは、望遠鏡から眼を離すと、驚きの声を上げた。

「滝が見える!」

 ――無限幻海だ!!

 出港から三十二日目にして、ついに辿り着いたのだ。
 話に聞いていた通り、海底の砂と沈泥ちんでいの錯覚で、海の中に落ちゆく滝が見える。なんとも摩訶不思議な光景だ。あまりにも神秘的な光景すぎて、背筋がぞくぞくと震えた。

「ティカ、下でキャプテンが呼んでる!」

「アイッ!」

 熟練水夫が瞬く間に檣楼へ上がってくる。入れ違うように、ティカはハリヤードに飛び移り、甲板へ滑り下りた。
 着地した途端、ドンッと大気を揺るがす大砲音が響いた。一瞬、自分の着地がそれほど衝撃を与えたのかと思ったが、そんなわけはない。

「あんな所から、撃ってきやがった!!」

「ジョー・スパーナだけじゃねえ! ビスメイル大艦隊もきてやがる!!」

 ジョー・スパーナは、まだ遠く水平線の彼方にいるにも関わらず、驚異的な飛距離の大砲を船首を向けたまま撃ってきた。ヘルジャッジ号の進行方向の海面が、騒々しい飛沫を上げる。
 ティカは揺れる甲板の上を走り、ヴィヴィアンの隣に並んだ。

「近いぞ!?」

「やっべぇ! 敵艦隊は超弩級戦艦、駆逐艦十、護衛艦十、巡洋艦三、他多数――数え切れねぇっ、うじゃうじゃいやがる! 蟻の子一匹逃がさねぇつもりだっ!」

「巡洋艦は二十五ノット以上の快速だ! 他も引けをとってない!」

 飛距離に驚いた水夫達は、それぞれおののいた声を上げた。

「へぇ、新兵器搭載してるね。俺達への対策かな。さすが対応が早い、早い」

 一方ヴィヴィアンは、望遠鏡を覗いたまま、朝の挨拶をするように呑気に応えた。

「感心している場合か?」

 厳しい表情のシルヴィーは、前を見据えたままヴィヴィアンの隣に並んだ。

「前から現れるなんて、速すぎるよね。どう思う?」

「無限幻海はビスメイル領海だ。一ヵ月前、ジョー・スパーナは、俺達を追い駆けるふりをして、傘下を影武者に立て、自分達は自国に帰港してたんだ。火薬と遠距離砲を積んで、北東の風に乗り、現在快速でヘルジャッジ号に向かってきている――以上。出し抜かれたな」

「だから、制海権は決まってないったら。まぁ、見事だよね」

 ヴィヴィアンは平然と答えたが、ティカの耳には最悪な状況に聞こえた。

「北北東から敵船来襲! ジョー・スパーナの傘下部隊だ! こっちも五十はいやがる、大船団だ!」

 甲板は騒然となった。ヘルジャッジ号の前方には、百隻を越えるジョー・スパーナ率いるブラッキング・ホークス海賊団、更にビスメイル海軍率いる大艦隊まで迫ってきている。
 そして後方からは、ジョー・スパーナの傘下部隊が、こちらも五十隻を越える大船隊で迫っているのだ。

「おっと、前後を挟まれたね」

「ふざけてる場合か!?」

「絶対絶命じゃないですか!?」

 シルヴィーは叫び、ティカも思わず叫んだ。

「判ってる、前進しよう」

「馬鹿か! 駄目だ、このまま南下しても、海流と風に逆らうことになる。無限幻海に侵入する前に、敵防御砲火の射程圏内に飛び込むことになるぞ!」

「判ってる、シルヴィー。ミズンは全部畳め! エーテル機関を動かすぞ。全速前進! 臆せず突っ込めよ!!」

「アイアイッ、サーッ!!」

 水夫達はいつでも機動に応じれるよう、既に持ち場についてた。索具を動かしながら、威勢よく応える。

「ヴィーッ!」

「風は使わない。なに、アトラス様がお守りくださるさ」

「相手は艦隊なんだぞ!? 敵弾の餌食になるだけだ! “鍵”なんて捨てて東に避けろ!」

 シルヴィーはヴィヴィアンに掴みかかる勢いで怒鳴った。空気がビリビリと震えて、ティカは恐怖に縮み上がった。

「シルヴィー。大丈夫、俺達は必ず辿り着く。これを見ろ、羅針盤の針がぐるぐる回ってるんだ。すぐ眼の前に、星明かりの島がある証拠だ!」

 ヴィヴィアンの自信たっぷりな口調に、ティカは胸を熱くさせたが、シルヴィーには通用しなかった。

「俺は根拠のない自信が、大嫌いなんだっ!!」

「――はいはい、無限幻海を突き抜けちゃったら、ガンマ砲噴射して東に転舵するさ。その時はジョー・スパーナ達に華麗なターンを見せてやるよ」

「敵船に砲煙確認! 三、二、一……遠距離主砲、射程圏内に突入――ッ! くるぞっ! しっかり掴まれぇっ!!」

 ドドォンッ!!――水夫が叫んだ直後、ヘルジャッジ号のすぐ真横で、砲弾による飛沫が上がった。海に波紋が広がり、ヘルジャッジ号は右舷に揺さぶられる。
 ヴィヴィアンはティカをしっかり抱えて、ロープに掴まった。飛沫が船縁を越えて甲板を濡らした。
 敵艦の銃口がもう何ミリか指向角度を違えていれば、ヘルジャッジ号に降り懸かっていたかもしれない。シルヴィーの指示による、巧みな蛇行前進のおかげで間一髪、難を逃れた。
 まさに紙一重――
 耳をろうする砲撃音と、絶え間なく降りかかる飛沫に、ティカは震え上がったが、ヴィヴィアンは歓喜の声をあげた。

「ご覧、ティカッ! 道が開く!!」

 ゴォン、ゴォン……ッ、恐ろしい地響きと共に、海のど真ん中に巨大な口が開いた。海の中に落ちる滝――ヴィヴィアンの言った通りだ。眼の錯覚ではなく、本当に、海の中に落ちゆく滝が見える。

「嘘だろ……」

 冷静なシルヴィーですら、呆けたように呟いた。
 なんという天変地異。見たことのない自然の驚異を眼の当たりにして、屈強な水夫達も一斉に空に向かって祈りを捧げた。

「あぁ、アトラス様っ! どうかお助けください」

 突如海に開いた大口に、先頭を走るビスメイル艦隊、ジョー・スパーナの大船団が吸い込まれていく。浮かぶ海面を失った船は、真っ逆さま、大瀑布だいばくふの果てへ――
 ヘルジャッジ号の水夫達は震え上がった。ティカもヴィヴィアンにしがみついた。怖いなんてもんじゃない。このままでは、ヘルジャッジ号も同じ運命だ。

「滝に落ちちまうッ」

 水夫の泣き言で我に返ったシルヴィーは、甲板を颯爽と走りながら叫んだ。

「錨を降ろせっ! 船尾から北に向かって三錨泊さんびょうはくだ! 流れに持ってかれるな!!」

「アイッ、サーッ!!」

「シルヴィー、たぶん羅針盤のせいだ。俺達が船を下りれば、あの滝は閉じる。そしたら東に舵を切れ。先にリダ島へ向かってくれ」

 ヴィヴィアンはティカを片腕で抱えると、ロープを肩に担ぎ、鋼の板を手に持って船縁に足を掛けた。

「キャプテンッ!?」

 全員が眼を剥いた。オリバーも心配そうにティカを見ている。
 ティカの視線は、舷側げんそくから覗く海面に釘づけになった。滝に向かって激しく海流がうねっている。あんな海に落ちたら、一巻の終わりだ。
 こんな時だと言うのに、ヴィヴィアンは不敵な笑みを浮かべた。

畢竟ひっきょう! 向こうと俺達、お互い誤算があったわけだ。だが、勝利の女神は、俺達ヘルジャッジ号に微笑んでいる!」

 まるで勝利の宣言だ。

「我等の航海に祝福を! 諸君、リダ島で会おう!」

 ヴィヴィアンはティカを抱えて、海に飛び込んだ――

2章:エステリ・ヴァラモン海賊団 - 10(2章完) -


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