ティカはご馳走を夢中で食べた。フォークとスプーンを代わる代わる持ち替えて、次々に皿を空けていく。
「――美味しい?」
「ふぁいっ!」
「汚い。口を閉じて食べなさい」
 ヴィヴィアンが顔をしかめると、ティカは慌てて口を閉じて、何度も頷いた。彼の機嫌を損ねては大変だ。それに、こんなに美味しい料理、今を逃したら二度と食べられないかもしれない。目の前の皿を全て平らげるまで、食べることに専念すべきだろう。
 ティカはひたすら無心に手と口を動かし、暫し夢のような至福を味わった。
「ふぅ……食べた。美味しかったぁ。こんなに美味しい料理、生まれて初めて食べました」
 背もたれに深く沈みこんで膨れた腹を摩るティカを、ヴィヴィアンは満足そうに見ている。
 食後の穏やかで満ち足りた雰囲気になると、見計らったようにギーがやってきた。彼はやはり一言も口を利かず、食後の深煎り珈琲と、一粒一粒青い透明フィルムで包装されたチョコレート菓子を、その無骨な手から想像もつかぬほど、繊細な指遣いで運んできた。不愛想な男だと思っていたが、喜びのあまりティカがお礼をいうと、赤眼に暖かな色が差した。
 チョコレート菓子は、なかにコーヒー豆が入っていて、ほどよい苦味がとても美味しい。
「気に入った?」
「とても」
 ティカは思わずにっこりした。ヴィヴィアンは神様に違いない……不思議と彼の周囲がキラキラと輝いて見える。じっと見つめていると、ふと彼の首からぶらさげた蓋つきの羅針盤に目が留まった。
「キャプテン、その羅針盤は、どこへいくためのものなんですか?」
「これ? ……この羅針盤は、無限幻海に眠る古代神器の場所を示しているんだ」
 ヴィヴィアンは羅針盤の蓋を開けて、なかを見つめたまま答えた。
「無限幻海……」
「聞いたことはない? 無限海に浮かぶ幻の海。光の悪戯で、海のなかに滝が見えるんだ。そして滝の落ちる先には“星明かりの島”が透けて見える」
「星明かりの島?」
「そう。海賊にしてみれば、何百年も前から伝わる有名な観光名所さ。ただし、“鍵”がなければ“星明かりの島”には辿り着けない」
「海のなかに、滝?」
 想像がつかず、ティカは首を傾けた。
「一説によると、普段はただの幻だけど、この“無限幻海の鍵”を持っていれば、海が割れて真の滝が生まれるらしい。そして海底に眠る“星明かりの島”が姿を顕し、そこには海の秘宝、古代神器が隠されているという。まさに夢のような宝島だ」
 宝島!
 なんてわくわくする響きなのだろう。ティカは眼を輝かせてヴィヴィアンを仰いだ。
「古代神器ってなんですか?」
「いい質問だ。それには諸説あるが、幾つかの共通点があり、例えば古代神器を手にした者は、“世界を制する大いなる力”を手に入れるといわれている」
「そんなにすごいものが、その羅針盤……“無限幻海の鍵”があれば、手に入るんですか?」
「さてね。真偽のほどは別として、今世紀最大の浪漫であることは間違いないよ。明日は無限幻海に向けて出航だ」
「すごいや!」
 自信に満ち溢れた宣言に、ティカは瞳を輝かせた。彼も愉しげに笑っている。
「うちの迷信深い船員達ときたら、これを手に入れた途端、七日も続く時化しけに見舞われたものだからノリが悪くてね。ティカは幸運の女神だよ。航海の成功を連中にいい聞かせられる」
「僕には、キャプテンが神様に見えます!!」
 ティカが力いっぱい断言すると、ヴィヴィアンは瞳を悪戯っぽく輝かせ、鷹揚に頷いた。
「いい心がけだ」
「それにしても、綺麗な羅針盤ですね」
「綺麗だけど、この“無限幻海の鍵”はいわくつきでね。長く手にしていると心を病むとも、悪魔に魅入られるともいう。よこしまな心がそうさせるっていうけれど……邪じゃない人間がこの世にいると思うかい?」
 とっさにサーシャの顔が浮かんだティカだが、賢明にも口にだすのはやめておいた。
「その“無限幻海の鍵”は、ジョー・スパーナと闘って奪ったんですか?」
「奪ったというか、最初に見つけたのは俺達なんだ。ダナリアまで運んでもらい買い取るつもりが、依頼先の商船をジョー・スパーナに襲われたのさ。だから、奪ったんじゃなくて、取り返したといって欲しいね」
 彼は不愉快そうに鼻を鳴らした。腹立たしい経緯があったようだが、ジョー・スパーナはヴィヴィアンに並ぶ、偉大な大海賊の一人である。憧れる若者は多く、ティカもその一人だ。
「見てみたかったなぁ……」
「すぐに見られるさ。無限幻海を狙っているのは俺達だけじゃない。特に制海権を争ってるビスメイル王国は、血眼で襲ってくるよ。海賊船どころか、軍の大艦隊で攻めてくるかもね」
「うわぁ……!」
「その時はティカ、最高の船に乗ったと感動すると思うよ。ユーマリー海でジョー・スパーナとやり合ったばかりなのに、ヘルジャッジ号は無傷だろう?」
「確かに! すごく綺麗でした」
「この船が強い証拠さ」
「どんな風に戦ったんですか?」
 ヴィヴィアンはにやりと笑うと、透明フィルムに包まれたチョコレート菓子を二つ摘まんで、テーブルの上に並べた。
「ユーマリー海でブラッキング・ホークス海賊団の船尾を捉えた時、周囲を傘下の海賊船五十隻に守らせていた。最奥にはジョー・スパーナを乗せた海賊船が見えた。こっちが砲門を全て開いていることに気付いた奴らは、一斉に右舷に傾けて疾走した――」
 ヴィヴィアンはテーブルに置いたチョコレート菓子を、右上に向かってすーっと動かした。
「ヘルジャッジ号から逃げたんだ!」
「そうとも――と思わせる迫真の演技で、奴らは無様に敗走した」
「……演技なんですか?」
「相手は、五百隻を沈めてきた大海賊だからね。火も噴かさず敗走なんてありえない。それくらい読めるよ。でも、騙された振りをして、こっちはぐんぐん船尾に近付いてやった」
 ヴィヴィアンは二粒のチョコレート菓子の距離を、どんどん近付けていった。
「かなり近づくと、敵は統制の取れた動きで一斉にいかりを降ろした」
「逃げているのに?」
「そうとも。見事だったよ、総帆そうはんして全速力で疾走していた船が、海のど真ん中で羚羊レイヨウみたいな急旋回をきめたんだ。それもこっちからは死角にあった左翼を向けてね! 砲門が全開の舷側げんそくは、ヘルジャッジ号を捉えた!」
 その真に迫った口調から緊張が伝わってきて、ティカは思わず息をのみ、膝上に置いた手を拳に握りしめた。