昇降階段から主甲板に上がると、大勢の水夫達がきびきびと働いていた。
 帆柱マストに登って帆の点検をしている者。船縁ふなべりからハンモックを干している者。ボートにしまった鳥籠から卵を取りだしている者。ボート吊索ちょうさくを点検している者。点火装置の点検をしている者。裸足で甲板かんぱんを研いている者。なかには陽気な舟歌を口ずさみながら、手を動かしている者もいる。
 ティカは目を輝かせて彼等の様子を眺めた。
 サディールは水夫達が怠けていないか、睨みを利かせながら合間を縫って歩いている。彼等が真面目に働いている限り、舟歌を口ずさんでいても構わないようだ。
 傍へ駆け寄ると、鋭い隻眼に見下ろされた。彼はそっぽを向くと、オリバーの名を大声で叫んだ。
 甲板を研いている水夫達の中から、アイッ! と元気の良い返事が聞こえる。
「ティカに甲板磨きを教えてやれ」
「アイ!」
 オリバーはティカを見つめると、ニッと笑顔を見せた。
「いい恰好してんじゃん。靴は脱いでそっちに置いておきな。喉乾いたら、水甕みずがめから勝手に飲んでいいよ。真水が入ってるから。飲む時は、この鎖のついたブリキのコップを使って」
「うん」
 オリバーに倣って裸足になると、両手、両足の袖も捲りあげた。四角い砥石を渡されて、甲板に四つん這いになる。何だかわくわくしてきた。
「停泊中でも、皆忙しいんだね」
「船員の半分は残って仕事しているよ。甲板磨きは、手の空いている水夫総出でやるんだ。朝一の仕事なんだけど、嵐のせいで甲板にでられなかったんだ」
「本当だ、砂っぽいね」
 雨風の運んできた、砂や枯葉が甲板に散っている。
「綺麗に磨こうぜ」
「うん」
「お前、ついてるよ。この船は待遇いいぜ。頑丈で清潔だし、飯もうまい。おまけに給金もちゃんとでる。まだ見習いだから、下船後の支払いになるだろうけど、二回目の航海からは申請が通れば、前金もらえるようになるんだ」
「オリバーは、この船に乗って長いの?」
「次で三度目の航海だ。ここへ来る前は奴隷も同然で商船で働いてた。嫌気がさして逃げだしたところを、たまたま寄港していたこの船に拾ってもらったんだ。今日のティカみたいに」
「そうだったの……」
「ティカと俺は、同じ班の仲間だ。よろしくな」
「うん、よろしく!」
 仲間といってくれたことが嬉しくて、ティカは満面の笑みを浮かべた。
 甲板磨きは単純な作業だが、陽の光を浴びながら身体を動かすのは、気持ちがいいし楽しい。没頭していると、冷たい水が頬に飛んできた。
「ひひひ」
 オリバーはニヤニヤしながらティカを見ている。ティカもニッと笑うと、砥石を振ってオリバーに水をかけた。二人の間に火花が散る。すぐに水のかけ合いが始まった。
「ったく、ガキ共、暴れんじゃねぇよ」
「おーおー、お前ら海で泳いでこい!」
 周囲の男たちから笑い声と野次が飛んでくる。
 二人は濡れた砥石を振り回しながら、船首まで渡り歩いた。オリバーは勝手知ったる甲板の上で、ついにティカを壁際に追い詰めると、
「俺の勝ち!」
 高らかに宣言した。
 油断大敵。ティカはオリバーの肩を掴むと、壁を蹴った反動でクルッと宙を飛び、オリバーの背後を捉えた。空いた首筋に水を振りかけてやろうとしたら、素早く振り向いたオリバーにその腕を取られた。足を払われて尻餅をつく。頭の上から、しこたま水をかけられた。
「俺の勝ち!」
 オリバーは青い瞳をキラキラと輝かせて笑った。長い尻尾を嬉しそうに揺らしている。ティカもお腹を抱えて笑った。
「あははっ」
 こんな風に笑ったのは、久しぶりかもしれない。
「あちゃー、ティカ、綺麗な格好してたのに、もうどろどろだな」
 そういえば、服は借り物だ。幸福館では、服を汚すとえらく怒られたものだ。大丈夫かしらと、ティカは不安になった。
「新入り、なかなかすばしっこいな」
「おいチビ共、汚したところ自分達で片付けろよー」
 周囲の男たちにどやされて、ティカはオリバーと目を合わせた。
「遊んでないで、仕事しろ!」
 とうとうサディールの怒声が飛んできて、二人は大人しく甲板に這いつくばった。
 ティカは甲板を研くついでに、自分にも海水をかけてもらった。びしょ濡れになって掃除するティカを見て、オリバーは愉快そうに笑っていた。