メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

14章:帰郷 - 0 -


 重厚な広い部屋である。外套を被った長身の男たち四人の手で、敷布に覆われた大きな水槽が、絨毯を敷いた大理石の床におろされた。
 その様子を、アダム・バッスクール公爵は抜け目のなさそうな灰色の目で、安楽椅子に座って見ていた。長い足を組み、白く繊細な指で葡萄酒の入ったグラスを傾けている。上等な上着に、撫でつけられた髪、丁寧に手入れされた髭。気品を感じさせる紳士だが、照明のせいか、目元に刻まれた皺が残忍な印象を与えている。
「布をとれ」
 アダムは、富める者の尊大な態度で命じた。箱を設置した男の一人が、光沢のある布を両手で掴んで引っ張った。
 露わになった水槽を見て、アダムは目を瞠った。水の張られた水槽の底で、少女が背を向けて蹲っている。
「これは……」
 彼は誘われるようにして席を立ち、水槽に向かって歩き始めた。森閑しんかんとした広間に、靴音が反響する。
 水槽の前にやってきたアダムは、手の甲で硝子を軽く叩いた。振り向いた少女を見て、思わず賛嘆の声をもらした。
 青色海色の髪に、不思議な輝きの瞳をもつ、繊細美妙なる少女だ。下半身は鱗に覆われ、さながら人魚のようである。だが、精霊ほんものではない。命の錬金術により、人工的に生みだされた合成獣キメラだ。
「これは……素晴らしい、これは誰もが欲しがるでしょう」
 アダムは卓上の通信盤を振り返り、取引相手――海底電信を通じて、極秘の商談をしているジョー・スパーナを見ていった。
 アダムは、三つの王国から形成される、ガロ=セルヴァ・クロウ連合王国の一つ、セルヴァ国王の伯父である。間もなく開催される高額美術品競売会、ヘラージョ・アプリティカの責任者でもあり、本人も熱心な骨董蒐集家として知られていた。
 しかしながら、彼に裏の顔があり、特殊嗜好をもつ顧客向けに、特別な競売会を開いていることは、一般には知られていない。
 アダムが今、大金と引き換えに手に入れた少女は、まさに特別な顧客向けの商品である。
 提供者であるジョー・スパーナは、無機質な通信盤の奥から隻眼せきがんを細めた。
<声も美しい少女だ。名前はオデッサ。少々反抗的だが、心配はいらない。心臓に遠隔操作可能な拷問装置を埋めこんである>
 その言葉に、アダムは水槽と共に届けられた遠隔装置を手にとり、小さな銀色の筒を、 めつすがめつ眺めた。
 水槽のなかで、オデッサは怯えたように視線を伏せた。あれを持っている人間に、逆らうことはできないのだ。
「注文通り――いえ、期待以上ですよ」
 アダムは上機嫌でいうと、オデッサを見下ろした。生殺与奪の権利を主人に握られている、哀れな少女を。
「セイレーンよ、歌ってごらん」
 オデッサは儚げな美貌を歪ませ、気丈にもそっぽを向いた。アダムは口角をもちあげ、拷問装置を操作した。
「っ!」
 少女は苦しげにうめき、自分を守るように両腕で体を抱きしめた。尾ひれが水を強くかき、格子天井の外にまで水が跳ね飛んだ。
「ほら、顔をだしてごらん、オデッサ……」
 苦痛に抗えず、少女は水面から顔をだした。悔しさの滲んだ瞳で哀願する。
「やめて! 歌う、歌うから!」
 アダムは笑みを深くし、装置から指を離した。
 少女は悲しげに瞼を半ばふせ、唇を震わせた。美しい、憂いを帯びた声で紡ぐ、物哀しい旋律。まさしくセイレーンのように澄んだ音色だが、人の心に取り
くような、いたみ嘆く、むせび泣きのような調べでもあった。
 だがアダムは、心から満足そうに笑った。盛んに手を鳴らしながら、
「素晴らしい! 実に素晴らしい!」
 興奮気味に絶賛し、欲望と貪欲の滲んだ顔でこう続けた。
「期待以上だよ、オデッサ……あらゆる顧客が君を欲しがるだろう。途方もない値段がつくに違いない!」
 酷薄残酷に笑う男を見て、オデッサは表情を強張らせた。
「怖がることはない、最高の顧客に引き渡してあげよう。君は生きる宝石だ。大切に扱われるだろう。広々とした煌びやかな水槽で、美しく着飾り、主人の瞳を愉しませるんだよ」
 アダムは優しく囁いたが、オデッサにとっては呪いの言葉に他ならなかった。逃げる術もなく、悄然しょうぜんとなって項垂れる。
 アダムは水槽に背を向けると、テーブルに置いた通信盤の前に戻った。ご機嫌をうかがうように手をすりあわせながら、
「それで……他の合成獣キメラはいつ頃、卸していただけますか? 資金は惜しみませんよ!」
 ジョー・スパーナは如才のない笑みを浮かべ、頷いた。
<その話は、アプリティカの競売会が無事に終ったあとで考えよう>
「ええ、ぜひ」
<顧客は多い。約束はできないが、覚えておこう>
 アダムは愉快そうに眉をひそめた。
「私以上の上客がいますか? 私にくみしておけば、ガロの海軍情勢も手に入れやすくなりますよ」
<参考にさせてもらう。では、また>
 ジョー・スパーナが全く躊躇することなく通信を切ろうとするので、アダムは慌てた。
「お待ちください!」
 アダムは駆け引きにおいて、一つ譲ることにした。
「……判りました、今現在つけている最高額の倍をお支払いいたします。いかがですか?」
 破格の申し出だが、ジョー・スパーナには響かなかった。彼はビスメイルで最も富裕な重臣の一人に数えられ、その資産はアダム公爵に勝るとも劣らないのであった。
<悪いが、資金には困っていない>
 気のない返事に、アダムはぐっと言葉に詰まる。
「それでは、何を? 競売会で欲しい品があれば、融通いたしますよ」
 ジョー・スパーナは考える素振りを見せ、整えられた口髭を長い指で撫でた。
<……悪くないな。競売品ではないが、手に入れて欲しいものがある>
 アダムの瞳がきらりと光った。
「どんな品物でしょうか?」
<少々厄介な代物だ。キャプテン・ヴィヴィアンの率いるエステリ・ヴァラモン海賊団の一味で、ティカという名の少年だ>
 そういって、ティカの写真が印刷された手配書を掴み、通信盤に映した。
「賞金首ですか?」
<そうだ。だが一向に捕まらない。ヴィヴィアンのお気に入りで、傍から離そうとしない少年だ>
 アダムは首をひねった。
「キャプテン・ヴィヴィアンには競売会の招待状を送りました。もうすぐアプリティカにくると思いますが、その少年も一緒に?」
 ジョー・スパーナは頷いた。
<一緒にいるだろう。ティカを捕えて、ビスメイルに連れてくることができたら、優先的に商品を卸してもいい>
 アダムは意外な思いで沈黙した。顎に手をやり、じっと写真を眺める。
「……至って平凡な少年に見えますが、キャプテン・ヴィヴィアンとはどんな関係ですか?」
<愛人にしている、小姓といったところか。いずれにせよ、船員と船長の枠には収まらない。以前に捕まえようとした時には、腹心の部下を率いて、ヴィヴィアン自ら救出にやってきたくらいだ>
「それはそれは……」
<ティカは、幹部連中にも目をかけられている。近づくのは容易ではないぞ>
「なるほど、油断はできませんね……しかし、この少年にそれほどまでの価値があるのですか?」
<私には、その価値があるということだ>
 ジョー・スパーナの隻眼が牽制するような光を放った。アダムは余計な詮索をやめ、姿勢を正した。
「判りました。必ずや、捕まえてみせましょう」
<……いいだろう。そこにいる兵士を貸してやる。合成獣キメラの力を持っている。好きに使うといい>
 アダムは外套を被っている男たちを見た。どうも不気味だと思っていたが、顔をあげた一人の瞳が、フードの暗闇のなかで金色に輝くの見て口角をあげた。
「ありがとうございます、閣下」
<礼をいうのは早い。連中が造船所に船を預けている間は、戦力も分散して狙い目だろう。だが、甘くみないことだ。キャプテン・ヴィヴィアンは常にティカを傍に置くだろうし、ティカも剣が使える>
 アダムは口角をもちあげると、腰にさげた愛用の拳銃を手で軽く叩いた。
「この銃はもはや、私の体の一部ですよ」
 侮る口調に、スパーナは厳しい視線を送った。
<ティカには傷一つつけるなよ。大切な客人と同じように、丁重に扱うことだ。私の前に連れてこられたとき、無事な姿でなければ、この話はなしだ>
 アダムは恭しくお辞儀をした。
「遂せの通りに、ジョー・スパーナ」
 通信がきれたあと、アダムは水槽に目をやり、計算高い笑みを浮かべた。
 合成獣キメラの技術がこれほどまでに高いとは思っていなかった。兵器に特化した合成獣キメラの威力は、いかほどだろう? 
 需要は幾らでもある。アダム自身もそうだ。主に忠実で、痛みを感じない、極めて凶暴な殺戮兵器が手に入れば、国を転覆させることも可能だ。
 己の野心に悦に入り、アダムはグラスに葡萄酒を注いだ。人魚を眺めながら、涯てのない妄想にふける。
 まとわりつく欲に満ちた視線が嫌で、オデッサは背を向けて水槽の底に蹲った。胸の前で両手を組み、暗澹あんたんたる絶望のなかでこいねがう。
“ああ、女神さま……この地獄から、どうかお救いください……”
 聴きれられないだろうと半ば諦めつつ、一縷いちるの希望に縋って、声なき声で哀しい旋律を紡ぐのだった。




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