メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

13章:十五歳の恋人 - 9 -


 出航の日。
 ヘルジャッジ号は、海上に錨泊したまま、島民と物資交渉をした。
 島特有の畜馬を十数頭、乾肉、米俵の代わりに、ヘルジャッジ号は彼等の好む葡萄酒やラム酒を渡した。
 島民は、日頃から飲料するマテ茶も分けてくれた。火で乾燥した葉を煎じた飲み物で、食べ物によく合う。
 結局、ロザリオは別として、下船もせずにヘルジャッジ号は出航となった。
 兄弟達は、残念そうに島を眺めていたが、シルヴィーの話では暴風雨予報機ストーム・グラスが嵐を告げているのだ。
 荒れる前に、大洋へ出てしまおうと決まった。
 かくして錨は引かれ、ヘルジャッジ号はフォースル、トップスル、トガンスル、ジブ、後斜桁帆しゃこうはん檣頭帆しゃとうはんを右舷開きにして、ナプトラ海岸からの順風に乗って走り出した。
 四方よもは闇。
 出航したその日、長い黄昏の後に夜がきた。
 三つ子の上弦の月が、雲間に隠れては姿を見せている。
 雲は、不思議な形の影をヘルジャッジ号に落としながら、緩やかに風に運ばれてゆく。
 航行が安定すると、ヴィヴィアン達は出航を祝して食堂に集まった。ティカも彼等に混じって、小噺こばなしに耳を傾けている。

「真っ直ぐ向かえば、九月の終わりにはアプリティカに着くだろう」

 航行について語るヴィヴィアンの言葉に、ティカは顔を上げた。

「え、王都へは寄らないんですか?」

 次の行き先はロアノスと聞いて、ティカはてっきり、王都パージ・トゥランへ帰港するのだとばかり思っていた。

「うん。どうして? 寄りたい?」

「いえ、僕は……」

 彼こそ、寄らなくていいのだろうか。本当はガロの王家の出生なのに。いいあぐねて見上げていると、伸ばされた手に頭を撫でられた。

「王都は目的じゃないからね。美しき古都、アプリティカで開催される宝石の競売会が目的なんだ」

 アプリティカは王都の北にある、古色蒼然こしょくそうぜんとした歴史ある街である。

「売るんですか? それとも買うんですか?」

「どっちもだよ。エメラルドも競売に出すよ」

 煙草を吹かしながら、アマディウスが応えた。

「アプリティカは確定として、その後は、新大陸を目指すのもいいかもね」

「新大陸?」

 閃いたように告げるヴィヴィアンの言葉に、ティカは首を傾けた。

「いかにも。連綿と受け継がれてゆく海賊史の最後衛に名を連ねようと、無限海に挑めばいつでも最前衛に立てる。解き明かせない幾多の謎、前人未到の新世界が必ずどこかにあり、今も発見される瞬間を待っているんだ」

 どこか芝居がかった口調で、明朗にヴィヴィアンは語った。彼が口にすると、大言壮語もこの上なく魅力的に聞こえるから不思議だ。

「発見かぁ……シルヴィーも、新大陸を発見したい?」

 未知の大陸を思い浮かべながら尋ねると、シルヴィーは遥かな水平線を眺めるような眼差しで、口を開いた。

「そうだな……海の境界線に、豆粒のような尖峰せんぽうを見つけた時、確かに胸は高鳴る。やがて湾や入り江が姿を現し、図上に記す点は、確固たる線へと変わるんだ。新大陸の発見は、驚きと喜び、感動そのものだな」

 彼にしては、珍しく饒舌だ。目元がほんのりと染まっているので、ほろ酔いなのかもしれない。
 興味深そうに見つめるティカの視線に気付いて、シルヴィーは続けた。

「自分の発見を海図に記すのは、航海の醍醐味だろう。エーテル航法を以てしてなお、無限海は変わらずに発見の宝庫だ。遠洋航海に限界はない」

 耳を傾けていたヴィヴィアンも、いいね、と笑顔で賛同した。

「舳先をどこへ向かわせるか、神のみぞ知るだ。“我、導かる、新たなる陸地へ”……ってね」

 気障っぽく告げると、グラスを持つ手を空へ伸ばす。まるで、その先に女神アトラスがいるかのように。

「――たゆたう先の結末は、海の藻屑か?」

 水を差す親友を横目に、ヴィヴィアンはにやりと笑った。

「思うに、シルヴィーは寸鉄詩エピグラムの天才だね。船を下りても、その道で食っていけるよ」

 クールな航海士が白々しい眼差しを向けると、ヴィヴィアンはわざとらしく肩をすくめてみせた。

「君の才知機知を讃えているんだ」

「西洋はどうするのです? 仕入れたエメラルドを高値で卸す機会ですのに」

 どうでも良いやりとりを割って、ユヴェールは紳士然とした笑みで口を挟んだ。

「高値?」

 更にティカが口を挟むと、ヴィヴィアンが応えてくれた。

「エメラルドは古くから権力者に愛されてきた石だ。南西の海に、エメラルドに目がないエゴイストな女王様がいて、その国では、良質のエメラルドは極めて高値で取引されるんだよ」

 説明しながら、彼は楽しそうに視線を上向け、やがて一同に向けた。

「よし、アプリティカの件が片付いたら、西洋を目指そうか。二年近く東の海を渡ったし、頃合いだろう」

「その言葉、忘れるなよ……と、一応言っておく。長期の航海予定を引けないのは、アンタの気まぐれが頻発するせいなんだぞ」

 少々恨めしげに、シルヴィーは嘆息した。彼は本来、精密に計画を立てたい性質たちなのだ。

「万事、柔軟であれ。いい航路があれば、いつでも針路変更するさ。当然だろ?」

 豪放磊落ごうほうらいらくというか、気ままで破天荒なヴィヴィアンらしい台詞だ。
 この親友にして、苦労性のシルヴィーはユヴェールと視線を交わしたあと、どうにもならん……と言いたげに肩をすくめてみせた。




13章:十五歳の恋人 - 9 -


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