「C9Hは、表向きはクリーンな資本企業で宣伝しているけど、裏では武器や麻薬の密売をしている。莫大なブラック・マネーを資金洗浄マネーロンダリングで合法化する、途方もない多国籍企業だよ」

「悪の組織だ……」

 さも深刻げに呟くと、遊貴は天使もかくやという微笑みを浮かべた。

「否定はしないよ」

 この上なく美しい微笑なのに、優輝はうすら寒いものを覚えた。

「だからさ、日本にきて驚いたよ。女が一人で、夜でも出歩いているんだから。リトルボーイやファットマンの陰惨は、とうに過去なんだね」

 曖昧な表情を浮かべる優輝を見て、遊貴は少々呆れたように、原爆だよ、と付け加えた。

「国民は政府に従順で大人しい。殺人率は極めて低く、テロもデモも起きない……本当の話だった」

「信じてなかったの?」

「渋谷でギャング同士の抗争が起きていると聞いていたから、昼でも流血沙汰になると思っていた。警戒して、特殊部隊を連れてきたんだけど」

 ふと、GGGに乗り込んできた武装兵を思い浮かべた。

「傭兵みたいだよね、あの人達」

「訓練されてるからね。ヘンリー・ルーカスも裸足で逃げる精神病質者サイコパス集団だよ。俺にとっては、忠実な猟犬だけど」

「どんな訓練だよ」

「いろいろだよ」

「いろいろって?」

 気になって追及すると、遊貴は思案げな瞳をした。

「……あらゆる武器の使い方、殺し方、生き延びる術、拷問のやり方を学ぶ」

「ご、拷問? マジで?」

「マジだよ。俺がテレビゲームに強いのは、訓練の一環で散々やらされたからだ。無機質な画面の向こうで人を殺しても、良心は痛まない。そうして殺人への抵抗を軽減してから、本当の実技訓練が始まるんだ」

「実技訓練で、拷問のやり方まで学ぶの?」

「そうだよ。徹底的に暴力を教え込まれる。例えば、子犬と暮らして情が移る頃に、殺して食べるように命令される。入って間もない奴は涙するけど、二ヵ月も経てば、大した疑問もなく実行できるようになる。更に洗脳が進むと、拷問を楽しんでやるようになる。拷問しながら、他人が苦しむのを嗤うんだ」

「……」

「組織に入ったら、人は変わらざるをえない。一緒にいる人間が、完全にそいつを変える。どんな聖人君主でも、二ヵ月も経てばキリング・マシーンになれるよ」

「遊貴も、訓練を受けたの?」

「五歳の時から受けていたよ。十三歳からは別の訓練も始まった。人をいかに使い、どう支配するか、権威者としての特別な指導だ。一通りの過程を終えて、俺は日本にやってきたんだ」

 遊貴の壮絶な生い立ちを聞いて、優輝は完全に言葉を失くした。
 あらゆる気持ちにさせられる。遊貴に降り懸かった、暴力の理不尽さ!
 五歳なんて、まだほんの子供じゃないか!
 どんな思いで、訓練を受けたのだろう。平和に暮らしてきた優輝には、想像もつかない世界だ。

「そんな顔をする必要はないよ。俺は、自分を不幸だなんて思っちゃいないから。リスクに見合った生き方をしているだけ」

「ご……うん」

 ごめん、といいかけて、優輝は慌てて呑み込んだ。その一言は、遊貴にとって何の意味もない。

「平和に暮らしている奴は、犯罪とは無関係、なんて思っているけど、そうでもないぜ?」

「え?」

「世界を巡る金は、犯罪に絡んでいる。犯罪経済から生まれたブラック・マネーは、資金洗浄により合法の輝きを得るんだ。優輝ちゃんが、コツコツ働いて得た給金の根源にも、通じているかもしれないんだよ」

 美しくもあくどい笑みを浮かべて、優輝を見た。紫の瞳には、ある種の自信がたゆたっている。

「俺は悪いことしてないぞ」

「皆そう思っているよ。それだけブラック・マネーは、善良な一般市民の、日々の暮らしに巧妙に溶け込んでいるんだってこと」

「……遊貴って、本当に詳しいね」

「そういう風に、調教されたからね」

 重い話はたくさんだ。ふぅと息を吐くと、優輝はぽりぽりと頬を掻いた。

「でも、ここは日本じゃん。ちょっとさ、遊貴も危ない思想に蓋をしてさ、平和にバイトでもしてみない?」

 精一杯、心を開こうとする優輝を見て、遊貴は面映ゆそうな眼差しを向けた。

「……who rulues, just does it. And that's it. I know……my risk, all I have all」

「え?」

 急に英語を喋った遊貴を、優輝は不思議そうな顔で見た。
 沈黙が落ちる。
 広汎な犯罪学知識の、ほんの断片を口にしながら、遊貴はふと思ったのだ。
 世界は、支配する者とされる者で構成されている。
 遊貴の立ち位置は、生まれた時から決まっている。人を、金を、権力を統べる方法を徹底的に叩き込まれてきた。
 だからこそ、知っている。
 掟は修羅に生きる者の為にある。国家規模で世界に影響を及ぼすが故に、反響は身を滅ぼすほどに降り懸かる。
 業深き生。極道に生きれば、因果応報は避けられない。
 古きカルヴァン教の生き残り、祖父はいった。

 “don't think a friend will be forever friend.”

 この世に、裏切らない者はいない。
 権力の頂点に立つということは、数多の人間を敵に回すということだ。どれだけ信頼していようと、愛する者に裏切られる日は、必ずやってくる。
 その時は、どんなに辛くても遂行しなければならない。
 殺されて当然のことをした者に、死の制裁を加えることは、組織を継続していく為に有益なのだから……
 それができない者は、死ぬのだ。
 恋愛を面倒だと思う背景には、そうした事情もあった。
 孤独で在り続けることを、辛いと思ったことはない。そんなものだと、とっくに耐性がついている。
 それなのに――
 優輝に惹かれるほどに、彼とのありえない未来を想う。
 彼がリスクに気付かぬままに、明かすつもりのなかった正体を晒してしまった。
 手放すつもりはない。強烈なエゴを抱きながら、相手の心を欲している。
 抱きしめて、キスをして。優しい温もりを分けてもらい、同じベッドで眠りにつく。恋人のように……
 一人の男として、愛し、愛されたい。
 傍に居れば、優輝の平和な日常を奪うと判っている。
 それでも、優輝が欲しい。

 最後は、絶望が待っているのだとしても――