午後二三時〇三分。
 刹那。撃鉄が鳴った。
 武装兵の敵襲を見てとり、敵陣営が引き金をひいた。それよりも早く、C9Hの戦闘要員が男の眉間を貫く――
 優輝の前には、対ライフル用防弾楯シールドを構えた特殊部隊の男が二人、壁を作るようにして立ちはだかった。
 合間から僅かに覗く光景を、優輝は固唾を呑んで凝視していた。
 人が、殺し合っている。
 血と硝煙の匂い。断末魔。想像を絶する暴力に、灰色の部屋は瞬く間に血に染まっていく。
 流れ弾が防弾楯にぶち当たり、火花を散らした。

「ひっ!!」

 優輝は悲鳴を上げると、頭を庇う姿勢で蹲った――恐ろしい狂乱が一刻も早く終わることを祈りながら。

 +

 午後二三時〇三分。
 刹那。撃鉄を起こした。
 遊貴は、部屋の隅を背に守られる優輝を確認すると、両手に構えた二丁拳銃で蹂躙を開始した。
 焦りも怒りも油断もない。
 銃を持った相手に躊躇はしない――淡々と引き金をひく。
 一発。
 二発。
 三発。
 引き鉄をひいた分だけ、死体が転がる。弾丸は確実に骨を砕き、肉を裂いた。
 ビバイルの戦闘員は少なくない。武器も悪くはない。
 だが、遊貴の率いる戦闘部隊と比べては、雲泥万里の如き隔たりがある。最たるは、切羽詰まった形相だ。
 遮蔽物のない空間で、照準される恐怖に打ち克ち、正確な射撃を繰り出すのは並大抵のことではない。必死極まる形相に対し、遊貴の率いる部隊は表情が剥落していた。
 ほんの数分で、完全に制圧した。銃を構えた人間は、全員床に倒れ伏している。

「糞ったれ。どこがお坊ちゃんだよ」

 味方の死体を楯にしていた眞鍋は、隙間から遊貴を照準していた。
 銃撃が落ち着き、眞鍋の声を聞いて、優輝はそろりと身体を起こした。
 死体の山。血の海の中で、揃いの腕章をつけた男達が、無傷で立っている。
 恐るべき戦闘部隊の先頭に立っているのは、遊貴だ。彼は、そこにいるだけで、空間を圧倒し、全員を支配していた。

「どこの特殊部隊を連れてきたんだ?」

 相対する遊貴と眞鍋を見て、優輝は慌てて口を押えた。心臓が煩いほど鳴っている。遊貴が狙われている――
 鋼が咆哮した。
 大きな反動で、眞鍋の腕が反り返る。
 弾丸は遊貴をすり抜け、背後の壁にめり込んだ。発砲にも怯まず、遊貴は堂々と距離を縮めていく。

「どうした? 当たらないぜ?」

 眞鍋は舌打ちするや、続けて発砲した。優輝は蒼白になったが、いずれも遊貴を傷つけることはなかった。

「碌に銃も持てないくせに、その装備は無謀過ぎるんじゃない?」

「るせぇッ!」

 血走った眼で、眞鍋は吠えた。左腕で楯代わりの死体を支え、右腕のみで銃を構えている。その腕は、異様なほど震えていた。恐怖による痺れではない。麻薬の打ち過ぎによる副作用が、彼の身体を限界まで蝕んでいるのだ。
 全弾打ちつくし、いよいよ眼の前に立つ遊貴を、眞鍋は青褪めた顔で見つめている。

「Fuckin junky」

 遊貴は弧を描くように足を振り上げ、コンバットブーツの底を眞鍋の顔面に叩き込んだ。
 白い欠片と、鮮血が飛び散った。眞鍋は、頭を壁に打ち付け、ずるずると頽れる。
 冷然と見下ろす遊貴を仰いで、眞鍋は床に落ちていたトカレフを取ろうと腕を伸ばした。

「All or nothing. You know?」

 遊貴は容赦しなかった。パスッと乾いた音を鳴らして、眞鍋の腿をぶち抜いた。

「ぐあぁあぁッ!!」

 苦痛に満ちた絶叫が、血に染め上げられた部屋に反響した。
 視界の暴力だ。もう耐えられない。何も見たくない、聞きたくない。優輝は固く眼を瞑り、両耳を手で塞いだ。
 バタバタと廊下を走る足音と、人の怒号。銃撃音。空薬莢が床を叩く澄んだ音色に混じって、誰かの呻き声が聞こえた。
 極限の恐怖の中、優輝が縮こまってガタガタと震えていると、唐突に両腕を掴まれた。

「ひあぁッ」

「俺だよ、優輝ちゃん」

 目の前に遊貴がいた。紫の瞳に、紛れもない心配の色を浮かべている。柔らかな眼差しを見たら、あっという間に視界が潤んだ。

「ゆ、遊貴ぃ……」

「うん、よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」

 遊貴の頬に、血が飛び跳ねていた。優輝は、震える指を伸ばして、頬に触れた。

「け、怪我は」

「平気だよ」

 天使のような笑みを浮かべて、遊貴は頬を撫でる優輝の手の上に、自分の手を重ねた。
 ほっとしながら、恐る恐る遊貴の向こうに眼を向けた。
 血の海に倒れ伏しているのは、一人や二人ではない。天井に繋がれていた、楠の姿は見当たらなかった。
 顔を俯け、壁にだらしなくよりかかっている眞鍋を見て、優輝は小さく悲鳴を上げた。すぐに、掌で視界を覆われる。

「見ない方がいい。そのまま眼を閉じていて。安全な所に連れていってあげる」

「杏里は?」

「銃弾は急所を免れたけど、頭蓋の方はどうかな。さっき搬送したから、運が良ければ助かるんじゃない」

 こんな時だというのに、茶飲み友達と雑談するかのように、遊貴の口調は和やかだ。思考が追いつかず、優輝は涙を流した。

「ひ……っく」

 眦に柔らかな唇が触れた。今さっきの暴力が嘘のように、慈しみに溢れた優しい触れ方だ。

「泣かないで。もう大丈夫だよ、優輝ちゃん」

 異常としか思えない。血の海の中で、こんなにも優しいキスができるなんて。
 間違いなく眞鍋は狂っていたが、遊貴も、どこか壊れている。
 引き金をひいた遊貴の姿が、脳裏にこびりついて離れない。遊貴は、眞鍋を……