意識が戻った時、視界に灰色の壁が映った。

「うっ!?」

 身じろごうとして、身体が拘束されていることに気付いた。頑丈な紐で、椅子ごと縛られている。足も椅子の脚に固定されていて、少しも動かせない。

(ここは、どこなんだ?)

 冷光灯に照らされた、無機質な四角い部屋だ。誰もいない。物音も聞えない。配線がむき出しの天井から、鎖のついた手錠が垂れている。
 突然、部屋の扉が開いた。
 硬質な足音を響かせて、眞鍋が入ってきた。その後ろから、防弾胴着ボディアーマーを装着した屈強そうな男達と、楠が部屋に入ってきた。

「杏里ッ!?」

 武装した男達は、暴れる楠を引きずり、天井から垂れ下がった手錠に両腕を固定した。

「ン――ッ」

 楠は必死に暴れているが、両腕を上げた状態で戒められ、身動きが取れない。口をテープで塞がれていて、声も奪われている状態だ。

「おいッ! どうする気だよ!?」

「ハロー、優輝ちゃん」

 楠を拘束し終えると、眞鍋は優輝を振り返った。両腕を広げて、親しげに笑いかける。傍までやってくると、腰を曲げて顔を近付けた。
 アンフェタミン系の甘ったるい匂いが、ぷんと漂った。傍にいるだけで、頭が可笑しくなりそうだ。

「彼氏は元気にしてる?」

「はっ?」

「木下遊貴の女なんだろ?」

 絶句する優輝を見下ろして、眞鍋は酷薄な笑みを口元に刻んだ。

「痛い思いをしたくなけりゃ、大人しく彼氏に電話しな。助けてー、ってかわいくお願いしてみろよ。ホモ野郎」

 携帯を頬に押し当てられ、優輝は鬱陶しそうに顔を背けた。

「ふざけんなよ、てめぇッ」

「いっておくけど、生意気な態度を取ってると、死ぬよ? マジで」

 武装した男の一人が、眞鍋に鈍色のバットを手渡した。無言で受け取ると、震え上がる優輝を無視して、楠の傍へ寄った。調子を整えるように、コンコンと床を叩く。

「おい……」

 恐ろしい予感がする。楠も蒼白な顔で、必死にもがいている。手錠はガチャガチャと音を立てるばかりで、楠を離そうとしない。

「下手打ったなぁ、楠。目を掛けてやったのによ。細胞セル抜けたいなんていい出しやがって。馬鹿じゃねェの?」

「お、おいッ! 杏里を離せよッ!!」

 眞鍋は優輝を振り返ると、にんまり笑った。優輝の身体に戦慄が走る。

「優しいね、優輝ちゃん。こんな奴でも心配?」

「やめろよ……何する気だよ」

「おい。優輝ちゃんの縄を解いてやれ」

 その一言で、優輝の戒めは解かれた。血流が一気に身体を巡り、ふわりと軽くなる。椅子から立ち上っても、誰も止めようとしない。
 呆然と立ち尽くす優輝の前で、眞鍋は素振りを始めた。
 ブンッと、風を切る音がする。
 素振りをやめると、眞鍋は無造作に腰のホルターから抜いた自動拳銃――イスラエル製のデザートイーグル五〇AEを、優輝の足元に滑らせた。

「度胸があるなら、そこから撃ってみろよ」

「え……」

「ただし、一歩でも動いたら撃つぜ」

 周囲の男達は、無言で優輝を照準した。

「カウントダウンだ。五秒数えたら、楠の頭を、スイカみたいにかち割るぜ」

 狂気の沙汰だ。
 唖然とする優輝の前で、眞鍋は大きな声で、イーチ、と叫んだ。吊るされた楠は目を見開き、優輝を見た。

「ンン――ッ!!」

「え、嘘だろ?」

 カウントダウンは続く。
 ニーィ、サーン――……震える手で、拳銃を拾った。
 当然だが、優輝は拳銃の扱いを知らない。へっぴり腰で、震える腕から今にも取りこぼしそうだ。

「ゴーォ――」

 心臓が破裂しそうだ。極限の精神状態で、眞鍋に照準した。
 ブンッ、風を切ってバットは弧を描いた。

「ヒットォ――ッ!!」

「やめろぉ――ッ!!」

 天井に向けて、引き金を引いた。

「うわぁぁッ!?」

 銃声が鼓膜を震わすことはなく、優輝の眼の前で、楠の頭は、おかしな方向にねじ曲がった。

(狂ってる! 狂ってる! 狂ってる!!)

 頭の螺子が、ぶっ飛んでいるとしか思えない。普通、人の頭を狙ってフルスイングできるか? バットで!?
 楠は、腕を吊るされた状態で、だらんとくずおれた。弱々しく痙攣しているが、殆ど動かない。
 血のついたバットを握ったまま、眞鍋は優輝を振り向いた。心の底から、優輝は震えあがった。

「く、くるな……」

 絞り出した声は、無様に震えていた。
 殺される。アイツをらなければ、殺られる。がくがくと、震える腕を伸ばして、拳銃を構えた。本人を狙って引き金を引いたが――

「ばぁーか!」

 盛大に狼狽える優輝を見て、眞鍋はげらげらと笑った。こうなることを、予期していた者の残酷な嗤いだった。

「スライドを引きもしねェで、それじゃ弾は出ないぜ」

 がたがたと震える優輝を見て、眞鍋は気持ちの悪い笑顔を浮かべた。

「びびってんね? いいね、その顔……」

 眼を見開く優輝を、武装した男達が後ろから羽交い絞めにした。零れ落ちた拳銃を、眞鍋はゆっくりとした動作で拾った。

「助けて……ッ」

 情けない声が出た。眞鍋は優輝を見つめたまま、拳銃のスライドを滑らせた。カチリ。初弾が薬室に送り込まれる音が鳴った。

「震えちゃって、かわいそうに。上物、キメてみるか? 今すぐハッピーになれるぜ」

 男の一人が、注射器ポンプを抜く様子を見て、優輝は真っ青になった。

「やめろッ!」

 必死に暴れたが、鋼のような拘束はびくともしない。慄く優輝を見下ろして、眞鍋は不気味に笑った。

「心配すんなよ、俺うまいから」

「嘘だろッ!? 嫌だ嫌だ嫌だッ!!」

「もう一回聞いてやるよ。今すぐ、木下遊貴を呼び出せたら、お前を家に帰してやる」

 拘束されたまま、無機質なメタルカラーの携帯を握らされた。持ち主は不明だが、アドレス帳には、遊貴の番号だけが登録されていた。

「木下遊貴に電話しな。あんな風になりたくねェだろ?」

 ぴくとりとも動かない楠を見て、優輝は涙を流した。
 選択肢なんてない……歯が鳴りそうな恐怖を堪えて、携帯を操作した。遊貴の番号にかけると、すぐに通話に切り替わった。

『優輝ちゃん!』

「遊貴ッ」

『判ってる。すぐにいくから』

「ッ、俺、眞鍋に捕まって、あ、杏里が、血流してて……ッ」

『大丈夫だよ。絶対、助けるって約束する。いい子で待っていて』

 声を聞いただけで、感情は嵐のように揺さぶられた――今すぐ、遊貴の傍にいきたいッ!
 更に状況を伝えようとしたら、眞鍋に電話を取り上げられた。

「判った? 優輝ちゃんを無事に返して欲しかったら、武器を捨てて投降しろ。サツに垂れこんだら、かわいい優輝ちゃんをリンチした上で輪姦まわすぜ。あ? ……いいね、待ってるぜ!」

 通話を終えると、眞鍋は機嫌良さそうに、優輝を見下ろした。

「ブチ切れてたぜ、木下遊貴。マジでお前のことが大切みてェだな。酔狂な野郎だぜ」

 涙に濡れた眼で、優輝は睨み上げた。

「……何が目的なんだよ?」

「ぶっ殺すんだよ。木下遊貴を殺れば、俺も北城組の幹部だ」

 この男ならやりかねない。蒼白な顔で、優輝は喉を鳴らした。

「そんなことをして、只で済むわけ、ない」

「上等だよ。十代なら、刑期明けんのも早ェしな?」

 人を殺すことなんて、どうとも思っていなさそうな顔で、眞鍋はへらりと笑った。