七月八日。金曜の夜。
 クラブハウス――GGGの前には、厳つい黒塗りの外車が列を成して停まっていた。
 多くはフル・スモーク硝子で、一般人が乗っているとは思えない。案の定、車から出てきたのは、どう見ても堅気ではない男達だ。ぞろぞろとクラブの中へ吸い込まれていく。

(……あそこへ入れと?)

 びびりまくる優輝の横を、お洒落な若者達が軽い足取りですり抜けていった。何の躊躇いもなく、セキュリティ・ガードにチケットを見せている。
 彼等の後に続いて、優輝も緊張しながら、学生証とチケットを見せた。
 強面のセキュリティ・ガードは、未成年に見えるであろう優輝を見ても、何もいわなかった。
 胸を撫で下ろしながら店内に入ると、人の多さに眩暈がした。
 サイケな音楽、笑顔を振りまくハイテンションな若者達。ダンスフロアには人が溢れて、踊るというより揺れているだけ。
 洗練された空間の片隅で、少女達が、甘ったるい匂いを漂わせてエスをキメている。
 おぞましいダンス・パーティー。
 早まったかもしれない。きたことを後悔し始めていたが、せめて一周はしようと視線を彷徨わせた。
 いた――見つけて途端に、優輝はぎくりと頬を強張らせた。
 部屋の片隅で、遊貴は楽しそうに女を侍らせていた。腰に腕を回して、キスに応えている。

(適当なキスはしないって、いったのに……)

 ため息は、大音量のサウンドに飲みこまれた。Clean BanditのRather Beに合わせて、コーナーに立つダンサーが指でポイントしている。
 虚しさに襲われていると、ぽんと肩を叩かれ、弾かれたように優輝は顔を上げた。

「****」

 楠だ。声はかき消されて聞こえない。口の動きで、ユッキー、と呼ばれたことだけは判った。

「杏里! 何? 聞こえない!」

「ユッキー、何してるんだよ」

 楠は、優輝の耳元で喋った。そうでもしないと、声が通らないのだ。

「杏里がチケットくれたんじゃん!」

 優輝も楠の耳元で喋ると、楠はけらけらと楽しそうに笑った。

「本当にくるとは思わなかった! エスやってみる? ユッキーは特別にタダでいいよ」

 親しげに肩を組んで、楠がそそのかす。優輝は苦笑いを浮かべた。

「遠慮しておく。俺、こういうとこ初めてきた。すごい盛り上がってるね」

 不慣れな場所、という言い方では控えめ過ぎる。日常とはかけ離れた、別世界だ。

「今夜は英司えいじがきてるからね。最高だよ!」

「すごい人気なんだね」

「ああ。どうしようもない中毒者ジャンキーだし、女が入れ食い状態の下半身男だけど、才能だけは本物だ」

 楠はGGGの常連らしく、楽しげに話し始めた。彼がいうには、灰原英司とは、魅力的なカリスマDJらしい。客がダレ始める深夜帯でも、上手に選曲して朝までご機嫌にノせられる。天性のセンスの持ち主だという。

「英司のイベントは、いつでも満員御礼さ。純粋に音を楽しみたいファンもいれば、どうしようもない中毒者に売人プッシャーもやってくるけどな」

 優輝は押し黙った。意識すると、妙に甘ったるい匂いがフロアに立ち込めている。ここは、悪の巣窟だ。

「なんか、頭がクラクラするよ」

「大丈夫かよ? そういや、眞鍋君がもうきてるんだよな。見つからないうちに、帰った方がいいぜ」

 眞鍋と聞いて、優輝は顔をしかめた。

「杏里も、帰ろうよ」

 背を向けようとする楠の腕を、優輝は咄嗟に掴んだ。楠は困ったような顔で振り返ると、宥めるように優希の頭を撫でた。

「***」

 大丈夫、そういって笑った。
 少しも大丈夫ではないが、楠はニッと笑うと、ダンスフロアの人ごみに消えていった。
 追い駆けようか迷っていると、肩を叩かれた。驚いて振り向くと、不機嫌そうな顔をした遊貴がいた。
 形の良い唇が、優輝ちゃん、と動いたような気がする。
 咄嗟に言葉が出てこない。立ち尽くしていると、露出の激しい女が遊貴の傍にやってきて、甘えるように腕を絡めた。
 その瞬間、優輝は何もかも嫌になった。

(見たくない――)

 背を向けて逃げ出した。誰かの肩にぶつかる度に、迷惑そうな顔をされるが、構っていられない。
 どうにかダンスフロアの外に出ると、ちょうど入ろうとしていた男とぶつかりそうになった。

「――お前」

 男は、優輝の顔を見て眼を瞠った。
 ブリーチを繰り返した金髪に、眼の下には濃い隈を蓄えている。怜悧な容貌の、不健康そうな男だ。

「もう帰るのかよ、木下優輝」

「――!?」

 名を呼ばれて、優輝は眼を丸くした。

「よしなさいよ、眞鍋」

 この男が眞鍋――そいつの後ろから、小宮が顔を覗かせた。親しげに腕を絡めている。

(どうしてここに!?)

 驚愕に目を瞠る優輝を見下ろして、眞鍋はにやにやと笑っている。

「ゆっくりしていけばいいだろ。そっちの木下遊貴もさ」

 肩に腕を回されて、優輝は弾かれたように顔を上げた。遊貴は冷たい瞳で、眞鍋を睨んでいる。

「絡むなよ。今夜は遊びにきているだけだ」

 さり気なく、遊貴は自分の背に優輝を隠した。その様子を見て、眞鍋は濁った瞳を針のように細めた。

「声かけただけだろうが。にしても、あの噂はマジなのか。冴えない方の木下優輝は、お前の女なんだ?」

 嘲弄を孕んだ問いを無視して、遊貴は横を通り抜けた。伸ばされる腕を、鬱陶しそうに振り払う。
 愉快そうに笑ったものの、眞鍋はそれ以上は絡んでこなかった。
 張り詰めた空気が恐ろしくて、優輝は一言も口をきけなかった。
 階段を登りきってから下を見ると、ねばついた視線が絡みつき、慌てて視線を逸らした。
 不気味な男だ……あの男からは、説明し難い本質的な“悪”を感じる。
 店の外へ出ても、遊貴は優輝を離そうとしなかった。肩を抱いたまま、迷いのない足取りで歩いていく。

「小宮先輩、平気かな……」

 ぽつりと呟くと、遊貴はちらと視線をよこしたものの、すぐに前を向いた。

「平気でしょ。情報が欲しくて、わざと近付いているんだから。それより、どうしてここに?」

「チケットもらった」

「楠に?」

「もう、帰るから」

 質問には応えず、肩に回された腕を跳ね除けると、遊貴に腕を掴まれた。

「送るよ」

「いいよ。一人で帰れる」

「一人で帰せるわけないだろ」

「いいってば」

 冷たい口調で優輝が告げると、遊貴は腕を掴んで傍に引き寄せた。有無をいわさず歩かされる。

「遊貴ッ」

 視界の先に、黒塗りのフェアレディZが見えた。巨躯の運転手が、心得たようにドアを開く。

「乗って」

「嫌だ」

「誤解してるでしょ。説明させて」

「説明、ね」

 冷ややかに呟く優輝を、苛立ちの浮かんだ紫の双眸で見下ろしている。説明とやらを聞いてやろうじゃないか、と優輝も喧嘩腰で乗り込んだ。