入学式は午前中で終わった。
 生徒の何人かとLINEを交換してから、優輝は教室を後にした。時間はたっぷりあるし、渋谷の繁華街に寄り道をしてから帰るつもりだ。
 昇降口を出た後、ふと思い立って、正門とは逆方向に足を向けた。せっかくだから、旧校舎の桜を眺めてから帰ろう。
 鼻歌交じりに歩いていると、路の途中で複数の生徒に進路を阻まれた。

「一年七組の“きのしたゆき”だな?」

「えっ」

 硬直する優輝を、いかにも柄の悪そうな不良達が見下ろしている。肩や頭を乱暴に叩かれ、優輝は怯みまくった。

「すげぇフツーじゃん。お前、本当に“きのしたゆき”なの?」

 震える優輝を見て、不良の一人が顔に嘲弄ちょうろうを浮かべていった。

「あ、あの……」

「どーなんだよ、あ?」

 低めた声でメンチを切られ、優輝は震え上がった。上級生、それも不良に絡まれたことなんて、これまでの人生で一度もない。
 心の底から返事したくなかったが、足を蹴られ、優輝は泣きそうな顔で頷いた。

「あ、あの、俺に、何の用ですか?」

 心臓がドキドキする。入学早々、不良に絡まれてしまった。
 いつ眼をつけられた? 気に触るような恰好をしていた? 髪の色が明る過ぎた? ピアスがいけなかった?

「ビビってねぇ? こいつ」

 おどおど仰ぐ優輝を見下ろして、不良達は冷たく嗤った。

「本当に“きのしたゆき”かよ?」

 名前の響きに、はっとなる。七組に“きのしたゆき”は二人いる。
 もしかしたら、人違いをしているのかもしれない。生徒手帳を見せようとする優輝の手を、不良達は乱暴に掴んだ。

「逃げてるし……こんな奴に、三島さん、やられたの?」

「ありえねぇんだけど」

 三島? 誰のことだ? 訳が判らず、優輝は彼等の顔を交互に見比べた。

「てめぇ、どうやったんだ? 三島さんの肋骨折るとか、どんなミラクルだよ」

「あ、あの、三島って……?」

「しらばっくれんな。弱ぇくせに、ビバイルに歯向かうから、泣きをみるんだぜ?」

 肩を小突かれながら、優輝は目まぐるしく考えた。彼等は、ビバイルのメンバーなのか?
 おののく優輝を、不良達はどうでも良さそうに見下ろしている。ブリーチで痛んだ金髪の生徒が、さも退屈そうに欠伸をした。

「くっだらねー。すっげぇ拍子抜けした……お前さぁ、慰謝料払えよ」

「えっ」

 理解が及ばず、視線を彷徨わせる優輝の頭を、金髪の生徒は片手で掴んだ。

「痛ッ」

「お前にいってんだよ」

 心臓が煩いほど鳴っている。日本語のはずなのに、意味を理解できない。

「明日の放課後までに、三万、用意しておけよ」

 上からめつけられ、優輝は考えるよりも先に顔を伏せた。侮蔑を含んだ嘲笑が、頭上に聞こえる。顔を伏せたまま、歯を食いしばった。

(悔しいッ!)

 文句をいってやろうと顔を上げると、相手は拳を振り上げた。咄嗟に両腕で頭を庇う――

「ぐぁッ」

 打撃音。誰かの、呻き声。

「えッ?」

 慌てて眼を開けると、遊貴の背に庇われていた。
 拳を振り上げた金髪の生徒は、地面に転がり、鼻を両手で抑えている。手の隙間から、鮮血を溢れさせて――
 ぞっとしたのは優輝だけではない。酷薄な笑みを浮かべていた不良達も、一瞬で蒼白になった。

「誰だ、てめぇ」

「木下遊貴だけど? ねぇ、何をしているの?」

 世間話をするように、遊貴は穏やかな声音で答えた。腕をつと伸ばし、不良の一人の襟首を掴んだ。片手なのに、爪先が浮くくらい、そいつの身体は持ち上がった。

「て、てめぇが木下遊貴か!」

 不良達は、そろって眼を釣り上げた。腰を落として、臨戦態勢を取る。

「確証もないのに、一般人を殴るなよ。俺に用なら、いつでもどうぞ。ビバイルなら、喜んで相手になるよ」

 見惚れるほど恰好いい、不敵な笑みを浮かべると、遊貴は不良を突き飛ばした。

「ぶっ殺してやるッ」

 頭に血の上った男は、ポケットからナイフを取り出した。パチンと音が鳴り、刃渡り二〇センチはある刀身ブレードが起き上がる。
 鋸刃のついた凶悪なナイフだ。鈍色の刀身は、陽光を反射して不気味に煌めいている。
 恐怖のあまり優輝は蒼白になったが、遊貴は躊躇なく相手の懐に飛び込んだ。

「危ないッ!」

 優輝が叫ぶと同時に、武器を手にした男は腕を振り下ろした。
 刀風は高く、大振りに軌道をなぞる。
 遊貴は、難なくナイフを躱すと、突き出した腕を掴み取り、見事な背負い投げをきめた。

「ぅぎゃッ」

 宙を舞った男は、後頭部を地面に打ち付け失神した。死角を狙った別の男には、間髪入れず拳をお見舞いする。顔面を強打された男は、鼻血を吹き出してくずおれた。
 最後の一人は、完全に戦意を失くし、遊貴を怯えた眼差しで仰いでいる。

「いきなよ」

 冷たく遊貴がいい捨てると、不良達は恐れ半分、悔しげに呻いた。敵わないと知って、悪態をつきながら去っていく。