春らんまん。桜舞い散る、入学式。
 優輝は、清々しい気持ちで家を出ると、半蔵門線のホームに並んだ。混雑しているが、渋谷行は一つ前の押上が始発で、ラッシュタイムでも座ることができる。
 邦ロックをかけながら三十分ほど目を瞑り、渋谷で降りた。
 地下鉄を出て、恵比寿方面に向かって歩くこと十数分。
 色鮮やかな落描きで埋め尽くされた、校舎の塀が見えてきた。中にはビバイルのサインもある。
 ゆっくり眺めながら歩いたが、大分早く着いてしまった。入学式が始まるまで、まだ時間がある。
 暇つぶしに、旧校舎へ向かうことにした。年内に改装予定の旧校舎は、現在は使われていない。
 誰もいないと思いきや、先客がいた。背の高い男子生徒が、桜を仰いでいる。
 彼も桜を見にきたんだ――親近感を覚えた優輝は、傍へ近寄ってみた。数歩も歩かぬうちに、背を向けていた男子生徒は、ぱっとこちらを振り向いた。

「こんにちは」

 穏やかな声音で笑みかけられ、優輝の鼓動は強く跳ねた。男子生徒は、驚愕びっくりするくらい整った顔立ちをしていた。

「ここ、穴場ですよね。桜が満開だなぁ!」

 正体不明の胸の高鳴りを覚えながら、優輝は背の高い少年の隣に並んだ。覆い被さるような桜を仰いで、感嘆のため息を唇から零す。
 校舎を見学にきた時は、まだ蕾すらつけていなかった。念願のアオコー生として、満開の桜を見ることが叶った――幸せを噛みしめる優輝を見下ろして、隣の少年は小さく笑った。

「まさに、春の雪だね。見てみたいって、前から思っていたんだ。こんなに綺麗だとは思わなかった」

 何気なく隣を仰ぐと、澄んだ紫の瞳と視線が絡んだ。遠目にも綺麗な少年だと思ったが、間近で見ると迫力が違う。

(すげぇ綺麗……)

 綺麗というより、背筋がふるえるような美しさだ。
 艶やかな黒髪。白磁のように滑らかで透明な肌。精緻に整った顔立ちは、日本人とは明らかに違う。エキゾチックであり、西欧の高貴な血統を思わせもする。国籍不明の完璧な美貌。
 エリザベス・テイラーのような菫色の瞳をしているが、まさか本物だろうか?
 神秘的だが、魔性の瞳だ。見つめていると、心を奪われてしまいそう――

「一年生?」

「はい!」

 我に返った優輝は、元気よく返事をした。すると少年は、俺も一年生だよ、とのたまった。

「えっ、先輩かと思った」

 少年は、くすりと微笑した。

「思われてるだろうな、って思った。かしこまらなくていいよ」

「へへ……それにしても、大分早く着いちゃったね。遅刻しないように早めにきたんだけど、早過ぎたよ。そっちも?」

「俺は家が近いから」

「へー。どこなの?」

「渋谷だよ。学校まで歩いてきた」

「へぇ! 近くていいなぁ」

 羨ましげに呟く優輝を見て、少年は、はっとするほど綺麗な微笑を浮かべた。

「「ユキくーんっ」」

 無意識に胸を抑えていた優輝は、飛び上がらんばかりに驚いた。振り向くと、手を振る大勢の女の子達がいた。

「……見つかったか。またね」

 苦笑気味に呟くと、少年は背を向けて駆け出した。瞬く間に、旧校舎の奥へ消えていく。その後ろを、女子生徒の群れが通り過ぎていった。まるで、アイドルの追っかけだ。
 呆気に取られている優輝の前で、一人の女子生徒が足を止めた。
 長く真っ直ぐな黒髪の、とても綺麗な子だ。スタイルも抜群で、一六七センチある優輝と目線は殆ど変らない。

「遊貴君のお友達?」

「ゆき?」

 美少女に話しかけられ、優輝は上擦った声で問い返した。

「二人で桜を見ていたの?」

「あ、今の人、“ゆき”っていうんですか?」

「そうよ。知らなかったの?」

「はい。さっき、初めて喋りました。もしかして、芸能人ですか?」

 大真面目に訊ねる優輝を見て、少女は鈴を転がすような声で笑った。

「芸能人ではないけど、渋谷では有名だよ。ビバイルは知っている?」

「はい。もしかして、ビバイルの人ですか?」

「違う。彼、ビバイルを狩ってるの」

「え?」

 眼を丸くする優輝を見て、少女は人差し指を唇に当てた。

「三商ほどではないけど、この学校にもビバイルの人間はいるから。あんまり大きな声で、話さないようにね」

 校舎の壁にペイントされたビバイルのサインを思い出して、優輝は無言で頷いた。
 尚、三商は第三山陽商業高校の略称である。校舎は渋谷と目黒の中間にあり、ビバイルの総本山といわれている。上位幹部の殆どが、三商の生徒なのだ。名実共に最悪に柄の悪い男子校である。

「ありがとうございます。あの、先輩、ですよね?」

 おずおずと訊ねると、好ましい者を見るような眼差しで、少女は優輝を見つめた。

「三年の小宮玲奈です。よろしくね」

「俺は、一年の木下優輝です!」

 ほくほくと優輝も名乗ると、小宮は眼を丸くした。何かをいおうと唇を開くが、レナ! と背中に声を掛けられ、反射的に振り向いた。
 遠くで、ボブカットのすらりとした少女が手を振っている。小宮の友達のようだ。

「――入学おめでとう。入学式に遅れないようにね」

「はい!」

 笑顔で別れると、小宮は友達の元へ駆けていった。凛とした後ろ姿を見送ると、優輝は再び桜を仰いだ。
 涼風が、白い花びらを空へと攫ってゆく。
 陽を弾いて、きらきら光っている。
 高く舞い上がる桜の花びらを眺めながら、これから始まる高校生活に想いを馳せた。きっと、嵐のように刺激的な毎日になる。