「……判った?」

 心臓が早鐘を打っている。肯定も否定もできずにいると、昴の葛藤を読んだように、連は身体を離した。彼を失ってしまう気がして、昴は咄嗟に離れゆく腕を掴んだ。
 束の間、見つめ合う。
 端正な顔が、ゆっくり降りてくる。吐息が触れるほど距離が近付いた時、昴の緊張は極限に達した。硬く眼を瞑る。顔のすぐ傍で、連の息遣いを感じた。
 もう、するならするで、早くして欲しい。そんな風に感じていると、唇に柔らかなものが触れた。
 軽く触れて、すぐに離れる。息遣いを感じるから、すぐ傍に端正な顔があるはず。こちらの顔を見られているのかと思うと、眼を開けられない。

「っ!」

 もう一度、唇が重なる。優しく触れて、また離れて、再び重なるを繰り返す。
 どうすればいいのか判らない。ただ、あの時の二の舞はご免だった。唇が触れる度に身体は震えたが、逃げるな、そう自分に強くいい聞かせた。

「昴」

 掠れた声で名を呼ばれて、訳も判らず体温が跳ね上がった。

「……昴」

 まるで、恋人の名を呼ぶような、甘い響き。反応できずにいると、

「眼を開けて」

 掠れた声で囁かれて、昴は恐る恐る眼を開けた。上目遣いに仰ぐと、ほんのり眼元を上気させた連は、淡く微笑みながら、昴の唇に指で触れた。

「好きだよ、昴。好き……」

「――ッ」

 真っ直ぐな告白に、胸の奥が、ぎゅうっと締めつけられた。自分は違うと思っていたのに。胸に沸き起こった感情は、純粋な喜びだった。

「はぁ……一年離れていたのに、駄目だ。全然、気持ちを止められない」

 連は、心労の滲んだ悲壮なため息を落とした。
 どう応えればいいか判らない……混乱していると、連は顔をあげて、自嘲の笑みを浮かべた。

「気持ち悪いよな」

 ふるふると首を左右に振ると、本当に? 連は訊き返した。

「気持ち悪く、ないよ」

「無理しないでいい」

「無理じゃない!」

 即答する昴を見て、連は思わしげなため息をついた。頭痛を堪えるように額を手で押さえている。機嫌を損ねたのかと、昴は不安になった。

「俺……気持ち悪いとか、迷惑とか、そんな風には絶対に思わないから」

「何されたか判ってる? それとも、俺に迫られても平気なわけ?」

 甘えを許さないというように、連は冷めた眼で昴を睨んだ。突き放す口調に、胸が軋む。

「連の方こそ、そこまでして俺と手を切りたいのかよ!? なんで――ッ!?」

 ぐっと腰を引き寄せられた。
 端正な顔を仰いで、昴は怯んだように口を噤んだ。唇に視線を感じて、鼓動が撥ねる。沈黙は駄目だ。何かをいわなくては――

「俺、俺は、あんな風に縁を切られるのは、それだけは嫌だ」

 心を吐露する昴を見て、連は狂おしげな光を眼に灯した。頬を両手で包み込み、顔を近付ける。

「だったら、俺を好きになって」

「――ッ」

「俺と同じだけ、昴も俺を求めて」

「ずっと、探してたよ」

 戸惑ったように告げる昴を見下ろして、連は緩く首を振った。

「そんなんじゃ、足りない」

「お前と一緒にいたいって、心から思うよ。それでも違うっていうのか?」

「俺はもう、一緒にいるだけじゃ足りないんだ」

「俺のこと好きでいればいいじゃん。受け入れられるか判らないけど、否定はしない。今すぐ答えが必要で、お前が離れるくらいなら、俺は、う、う、受け入れる」

 精一杯の勇気を振り絞って答えると、連は寂しそうに微笑んだ。

「昴が、俺を好きになってくれたらいいのに」

「努力する」

「努力って……」

 呆れたような口調に、昴はカッとなった。

「じゃぁ、どうしろってんだよ! そうでもしないと、俺から逃げるんだろ!?」

「本当に努力できるの? なら、俺にキスしてみせてよ」

 頭にきた昴は、乱暴に連の襟を掴むと、ぶつけるように唇を重ねた。

「全然足りない」

「ッ!」

 冷めた口調に、ぐっと奥歯を噛みしめた。いろんな感情がない混ぜになって、眼頭が熱くなる。表情を変えない連を睨みつけて、もう一度唇を重ねた。
 唇を強く押し当てて、ゆっくり離れる。あっという間に視界が潤んでいく。ぽろっと涙が零れた。

「……ごめん」

 連の沈んだ声を聞いて、昴は俯いた。ぱたぱた、と透明な雫がフローリングに落ちて弾ける。
 こんなキスに、どんな意味があるのだろう?
 何もいえずにいると、腕を引かれて抱きしめられた。振り解きたい衝動を、理性が堰き止める。
 ここまで追い詰められても、昴はあの日のトラウマに怯えていた。少しでも連を拒絶して、取り返しのつかない事態に陥ることが何よりも怖い。
 労わるように背を撫でられていると、不思議と荒れていた心は凪いだ。
 まさか泣かされるとは思わなかったが、心のしこりも涙と一緒に多少は溶けたようだ。

「俺、連を受け入れられるよう、頑張るから、連も俺を遠ざけたりしないで……待ってて……気持ちが追いつくの、時間、かかるかもしれないけど……」

 潤んだ声で、訥々とつとつと答えると、連は昴の頭に頬擦りをした。

「うん。ありがとう、ちゃんと考えてくれて」

「軽い気持ちで、いってるわけじゃないから」

「うん……俺は、何でもする。気にいらないところがあれば全部直すし、無理強いはもう絶対にしない。ゆっくりでいい。二人でいる時に、こんな風に触れているだけでも、俺は嬉しいんだ」

 その切実な告白に、昴は身体から力を抜いた。連にもたれかかりながら、彼のこれまでの苦悩を想う。
 時間はかかったけれど、ちゃんと会えた。
 逃げて、後悔して、遠回りをして……ようやくスタート地点に戻ってこれたのだ、そう実感した。