アッサラーム夜想曲

4:天球儀の指輪 - 6 -


 倒れてから四日。
 医師には、当たり前のことを注意された。とにかく規則正しい生活を送ること。十分な睡眠と、食事療法と、適度な運動をすること。
 根を詰めてくろがねに向き合うあまり、そんな当たり前のこともできなくなっていたのだ。
 穏やかに数日を過ごし、体調は大分良くなった。
 しかし、ジュリアスはベッドに腰掛けて、光希の手を両手で包み込んでいる。その表情は、心配そうに曇っていた。
 明日にでもクロガネ隊へ戻りたいと、光希が申し出たせいだ。

「病み上がりなのですから」

「でも、もう四日も休んでるし」

「まだ復調とはいえません。少なくともあと十日は休んでください」

「そんなに休めないよ」

「お願いです、光希」

 青い瞳に真っ直ぐ見つめられると、毅然と跳ね除けることは難しい。光希は弱々しく視線を泳がせた。

「……でも、いつまでも皆に迷惑を掛けられない」

「まだ顔色が良くありません。復調もせずに戻り、周囲を心配させては元も子もありませんよ」

 真摯に諭され、光希は渋々頷いた。

「判った……でも十日は長いよ……」

「様子を見ながらです。私がいいというまで、しっかり休んでもらいます」

「はい。ありがとう……忙しいんでしょ? 仕事は平気?」

 包まれている手を解いて、逆に光希からジュリアスの手を包みこんだ。

「傍についていたいのですが……今夜は軍舎に泊ります。中央和平交渉が間もなく整いそうなんです。六日後には合同模擬演習もありますし、そろそろ人選を決めなくては」

 中央和平交渉は、中央大陸の山岳民族達との会談を目的とする、アッサラーム軍で現在遂行中の極秘任務の一つである。
 作戦にはユニヴァースの所属する特殊部隊――別名、懲罰部隊も同行していると聞いている。
 東西の列強に挟まれた中央に暮らす彼等は、中立を保つということが不可能で、長い歴史の中で何度も戦禍に巻き込まれてきた。
 現在はサルビアと共同戦線を張っていることを承知で、ジュリアス達アッサラーム軍はどこを戦場とするか――どこを焦土と化すか相談しているのである。
 残酷だが、開戦場所をあらかじめ決めておくことは、彼等にも益がある。
 どうせ焼かれるなら、その場所を決めておけば被害を最小に済ませられるからだ。

「そっか……ベルシア和平交渉は、進んでいるの?」

「長い航路になりますから、交渉が始まるのはまだ当面先でしょう」

 ベルシア公国はバルヘブ東大陸の最南端に位置する要塞都市で、王を冠するサルビアに従属しながらも、政権交代を狙って過去に何度か反乱を起こしている。
 ジュリアス達は、サルビアが東諸侯に呼びかけ連合軍として西に侵攻してきた時、ベルシア公国の離反を切り札にしたいと考えていた。
 自国の背後に虎視眈々と反乱を狙う軍事勢力を残していては、サルビアも安心して国を空けて遠征はできないであろうという布石である。

「交渉が始まれば、サルビアに知られるのは時間の問題だよね……」

「連合軍を募るのは容易たやすいことではありません。聖戦の被害も、向こうの方が遥かに大きい。立て直しには時間がかかるでしょう」

「でも、いつかは闘うんだよね……」

 繋いだ手に視線を落として、光希は哀しそうに呟いた。

「心配しないで。アッサラームを焦土にはしません」

「ジュリが心配なんだよ」

 次こそは東西の総力戦になる。アッサラームの平和をもちろん願っているけれど、それ以上にジュリアスが心配なのだ。

「これがきっと、今生最後の試練になります。切り抜ければ、その先百年を貴方と共に過ごせる……離れている間も、心はいつも傍にいますよ」

 ジュリアスは光希の手を持ち上げると、甲に唇を落とした。

「……サーベルを見せて」

 ジュリアスはすぐに鞘ごと光希に手渡した。ベッドの背に体重を預けて、すらりと黒い刀身を鞘から抜く。相変わらず、刃切れ一つない輝くような刀身だ。
 雷光のの下に入れた“光希”の二文字。
 身体に変調をきたしても、この二文字は変わることなく、ジュリアスを守ってくれるのだろうか……
 不安が顔に出ていたのかもしれない。ジュリアスは光希の眼を見て、力強く頷いた。

「万の援軍よりも心強い、私の剣です。私を導く唯一の“光”。その輝きは、少しも損なわれていません」

 刀身を鞘にしまうと、光希は想いの限りを込めて胸に抱きしめた。

「この剣だけは、いつまでもジュリを守ってくれますように」

 力を失くしても、この剣だけは変わらずにいてほしい。心の中で、シャイターンに呼びかけた。




4:天球儀の指輪 - 6 -


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