軍議を終えた後は、ルスタムとアージュを連れて、クロガネ隊の工房に向かった。アルシャッド達にも、許される範囲で今後の動向を伝えておきたかったのだ。

「えっ、殿下も同行されるのですか?」

 心配そうに声をかけてきたのはケイトだ。そういう彼も、間もなく後衛部隊として進軍することが決まっている。お互い前線に立つことはないが、危険が全くないわけではない。

「うん、流石に中央までは行けないけど……通門拠点までは皆と一緒に行くつもりだよ」

「アッサラームに残ることは、できなかったのですか?」

 眉根を寄せて気遣わしげに問いかける。光希は不安そうな肩を叩いて、笑った。

「皆と行きたいんだ。大丈夫、アッサラームは絶対に勝利する」

「殿下……」

「シャイターンの花嫁ロザインがそう言うのなら、勝ったも同然ですなぁ!」

 班長のサイードは豪快に哄笑こうしょうする。気付けば、他の隊員達も作業の手を休めて、こちらを見ていた。
 納期の嵐に襲われ、皆やつれた顔をしているが口調や表情には覇気がある。アルシャッドも伸びて来た前髪の奥で、目を細めて光希を見つめた。

「ご立派ですよ」

「クロガネ隊の皆が、僕を育ててくれたおかげです……」

 声は尻すぼみになった。光希が照れくさげに頭を掻くと、サイードとアルシャッドは黒頭に手を伸ばした。代わる代わるに撫でる。巨躯のサイードに撫でられると頭は左右に揺すられた。
 でも嬉しい。光希は笑顔のままアージュと眼が合い、閃いた。
 ナイフが飛び出すかと背筋が冷えたが、じっとしている……と思った矢先、ふらりとこちらへ近寄る。

「待ってっ!!」

 アージュはナイフを閃かせたりはしなかった。ただ凛とした眼差しで光希を見つめる。

「僕は殿下の武装親衛隊です。もちろん、通門拠点にも一緒に行きます」

「……うんっ! 心強いよ。ありがとう」

 頼もしい少年兵を見つめて、ふと出会った頃より背が伸びていることに気付いた。そんなに変わらなかったはずの目線はいつの間にか高くなっている。
 光希を含めて、皆少しずつ変わってゆく。
 不安がないわけではないけれど、一人じゃない。かけがえのない大切な仲間が、こんなにも増えたのだ――。
 皆の笑顔を、瞳に焼きつけるように眺めていると、窓の外からユニヴァースが「殿下!」と手を振ってきた。

「次の任務が決まったんで、知らせに来ました」

「ノーグロッジだよね。配置は?」

 傍へ寄ろうとしたら、工房にナディアが訪れた。
 来客が重なり、室内に砕けた空気が満ちる。工房の隊員達は手を休め、サイードも「先客万来だなあ」と言いながら完全に寛いでいる。

「お、ナディア将軍。俺の部隊はナディア将軍と同じ配置ですよ」

「そうなの。こんばんは、ナディア」

「こんばんは。ラムーダを受け取りに来ました」

 すっかり忘れていた。ぽんと手を鳴らすと、織布をかけた楽器を手渡した。
 ナディアはラムーダを受け取ると、表面に施したくろがねの睡蓮を見つめて、感触を確かめるように指で触れた。

「睡蓮は夜に眠っても陽が昇れば再び美しく咲く、再生と復活を意味する花です。この楽器に紡がれる音が、聴く人の胸に何度でも鮮やかに蘇るように……そんな願いをこめました」

 緊張しながら反応を窺っていると、彼は空いている椅子に腰かけて、軽く弦を鳴らした。柔らかな音色が、空気を震わせて工房に響き渡る。

「いい音じゃないか。色男、一曲弾いてくれよ」

 サイードが笑い、周囲の隊員も「それがいい」と声を揃えた。光希もわくわくしながら見ていると、ナディアは期待に応えるようにつま弾いた。
 素晴らしい音色に、思わず瞳を閉じて聞き惚れる。
 ふいに、木造りの打楽器や、澄んだ竪琴シタラの音が重なった。
 驚いて眼を開くと、どこから持ってきたのか、楽器に心得のある隊員達が、ナディアのラムーダに合わせて音を奏でていた。
 アッサラームの夜を想わせるような、異国情緒に溢れた優しいメロディが流れる。
 眼を閉じると、不思議が起きた。
 美しい砂漠の景色や、水膜に反射する金色のアッサラームが瞼の奥に鮮やかに浮かぶ……。
 音を睡蓮に喩えたからだろうか。
 心の中に、花開くように音が咲いていく。
 やがて音が途切れると、余韻冷めやらぬままに夢中で手を鳴らした。

「わーっ! すごい! とても綺麗でした。何ていう曲ですか?」

「ありがとうございます。古典音律を引用した、即興です。不思議と弦を弾いたら、美しいアッサラームが心に思い浮かんだのです。弾かずにはいられませんでした」

 楽器に触れていた隊員達も「俺もだ」と興奮気味に同意した。

「即興!? すごい……僕もアッサラームの美しい景色を、心に想い浮かべて聞いていましたよ」

「では……この曲を“アッサラーム夜想曲”と呼びましょう。殿下のくださった、シャイターンの祝福のおかげです。何度でも蘇る音……素晴らしい音をありがとうございます」

「こちらこそ、ありがとう! とても感動しました。また弾いてください」

「はい、殿下。喜んで」

 ナディアは嬉しそうに微笑んだ。
 仕上がりは上々のようだ。ほっと胸を撫で降ろしていると、いつの間にか工房へやってきたジュリに肩を抱かれた。

「私の花嫁を口説かないでください」

 珍しいジュリの軽口に、工房は明るい笑いで満たされた。ナディアも苦笑しながら「失礼しました」と頭を下げる。

「とても美しい曲でした。野営の慰みになるでしょう。将兵に聴かせてあげてください」

「はい。何度でも弾きましょう、アッサラームを想って」

 皆、穏やかな表情をしている……。
 美しい音楽のおかげだ。音楽には人を癒す力がある。
 アッサラームを遠く離れても、ラムーダの美しい音色が、アッサラームの姿を鮮明に見せてくれるはず……。

 一度聴けば、何度でも心に蘇る。故郷への道標のように――。