ジュリの怒気にあてられて、伝令は震え上がった。誰もが虚を衝かれた顔で、肩を強張らせる伝令を見やる。

「まぁ、最後まで聞こうではありませんか」

 変わらぬ穏やかさでアースレイヤが応えると、ジュリは苛々しげに「黙れ」と低い声を発した。極限まで張り詰めた空気が部屋を支配する。

「話を聞くだけですよ」

「聞くまでもない。ベルシアは本気で、花嫁ロザインを天秤にかけられるとでも思っているのか? 許し難い国辱だ。サルビアの次はお前だとでも伝えてください」

「ジュリ、聞こうよ……」

 小さな囁きは、静まり返った室内に思いのほか響いた。欄とした眼差しに射抜かれ、光希は小さく息を呑んだ。

「さぁ、どうぞ」

 アースレイヤが再び水を向けると、伝令は慎重に口を開いた。

「……申し上げます。ベルシアはこちらの要望通り、サルビアになびかず、挙兵しないでも良いと。ただし、大戦が終結するまで総大将たるムーン・シャイターンの花嫁を、ベルシアに渡せと仰せです」

「断る!」

 ジュリは吠えるように即答した。
 しかし、将達の反応は分かれた。ジュリ同様「ありえぬ」と切り捨てる者もいれば「断るには惜しい」と未練を見せる者もいた。
 迷って当然だった。
 ベルシア公国はバルヘブ東大陸の最南端に位置する要塞都市で、王を冠するサルビアに従属しながらも、政権交代を狙って過去に何度か反乱を起こしている。
 サルビアが東諸侯に呼びかけ連合軍としてアッサラームに侵攻してきた時、ベルシア公国の離反があれば、一兵も向けずしてサルビアを牽制できるのだ。
 反逆を狙う勢力を国の背後に残しては、サルビアも安心して長期に渡り国を空けることはできない。
 この交渉は、百万の軍勢を大きく削れる可能性を秘めている。光希の心は激しく揺れた。

「か、考えさせてください……」

 蚊の鳴くような声で告げると、ジュリに恐ろしい顔で睨まれた。

「では保留にして、休憩にしましょう。空気の入れ替えをした方が良さそうだ」

 アースレイヤがぱんっと手を叩いても、緊迫した空気はしつこく留まったが、彼はどこふく風で退室した。
 光希は腕を掴まれて、その場から連れ出された。石廊の影に引っ張りこまれると、壁に手をついたジュリに、爛とした双眸で見下ろされる。

「どういうつもりですか?」

「サルビアは必ず連合軍を為して大群で攻めてくる。兵力を削らないと、とても勝ち目はないよ」

「私が負けるとでも?」

「そんなこと……」

「光希を渡せるわけがない」

 光希は苦しげに顔を歪めた。

「僕だって行きたくない! でもやっぱり……ベルシアは絶対に、味方につけておくべきだよ。東で連合軍が起こる時、ベルシアの離反はサルビアにとって本当に大きな枷になる」

「駄目だ、行かせられない」

「でも、百万を越える軍勢なんだよ。ベルシアが離反すれば、この戦争をずっと早く終わらせられる可能性がある……!」

「光希を渡したところで、約束を守る保障なんてない」

「なら、こちらからも要求を増やそうよ。公平にするんだ」

「本気で言っているの?」

 青い勁烈けいれつな眼差しに直視される。

「本気だよ」

 一歩も引くものかと、負けじと睨み返す。鋼のような視線がぶつかり、火花が散った。

「はぁ……連れてくるべきじゃなかった」

 厭わしげに呟くジュリを見て、胸が痛んだ。彼の苦慮を、ほかならぬ光希が増やしてしまっている……。

「でも、前向きに考えてみない? 皆にも聞いてみて――、んっ!」

 言い終わらぬうちに、唇を塞がれた。閉じた唇を割って、熱い舌が口内に入ってくる。身体を痛いほど壁に押しつけられる。腕を折れそうなほどの力で掴まれた。

「……ふ……あ、ん……っ……!」

 荒々しく貪られて、言葉を発する暇すら与えられない。
 首を振ろうとすれば、苛立ちをぶつけるように唇を強く食まれた。いつ終わるとも判らぬ、執拗で巧みなキス。
 ジュリは光希が軽く考えていると思って、腹を立てている。でも、そうじゃないのだ。

「っ、は……ん……」

 強張った身体から力が抜けると、ジュリは追い詰めるようなキスから、高めるようなキスに変えてきた。首筋をつぅと撫でて、詰襟の内側に指を忍ばせる。
 ぎょっとして、身をよじろうとしたら再び腕を強く掴まれた。あっけなく両手を一まとめに掴まれる。詰襟のボタンを外され、前を開かれた。

「――っ、や……あ……っ!」

 手は大胆に潜りこみ、柔らかな胸の膨らみを揉みしだく。塞がれた唇から、弱々しい拒絶が零れる。
 乳首を探られ、やんわりと押し潰された。転がしたり抓んだり、刺激を与えながらジュリは唇を離した。
 声をあげまいと我慢する光希を、青い瞳が眺めている。

「……どうすれば、前向きに考えられるの? こんなか弱い姿を見せられて、どこに安心する要素が?」

「ジュリ……ッ」

「武器を使わなくても、光希を捕まえることくらい一瞬でできます。碌に自分の身も守れやしないのに、ベルシアに行って無事に済まされるだなんて、考えが甘すぎる」

「僕は、ジュリが心配なんだよ……っ!」

 本音を叫んだら、感情が昂って声は潤みかけた。
 絶対に泣くものかと歯を食いしばる光希を、ジュリは歯痒げに見下ろす。暗いため息をつくと、光希の服の乱れを直して慰めるように抱きしめた。

「私はシャイターンに選ばれた神剣闘士アンカラクスなんです。この日が来ることを生まれた時から知っていたし、その為に準備してきました。アッサラームを……花嫁ロザインを守るだけの力を与えられているのですから、使わせてください」

 いつもと同じ展開だ。
 ジュリは正しい。彼の思う通りにするしかない。泣き喚いている光希が、余計に子供に見えるだけ。
 涙を滲ませる光希をあやすように、額や頬に優しいキスが繰り返される。
 守られるだけじゃなく、守りたいのだ。その想いはなかなか届かない――