ジュリアスと一緒に過ごせるのなら、光希はどこだって構わなかった。どこにも出かけず、屋敷でのんびり過ごしてもいい。
 うきうきしている様子の光希を見て、ジュリアスは優しげに眼を細めた。形の良い指を伸ばして、光希の頬を撫でる

「……宮殿の外へ出掛けてみますか?」

「え?」

「私と一緒なら、どこへでも案内しますよ。街へ降りてみますか?」

 気遣いは嬉しいが、頷く気になれなかった。ユニヴァースと二人でサンマール広場に繰り出して、凄惨な結果に終わったことは記憶に新しい。
 たとえジュリアスが傍にいても、街へ降りるのは、まだ少し怖い……
 賑やかに過ごすのもいいが、今日は二人きりで、のんびり過ごすのがいいかもしれない。

「それより、サンドイッチを持ってさ、ピクニックにいこうよ。アール川を眺めながら、日光浴しよう。退屈かな……?」

 いいえ、とジュリアスはほほえんだ。光希の前髪を指でよけると、露にした額に触れるだけのキスを落とした。

「光希と一緒に過ごせるのなら、どこでも嬉しいですよ」

 同じことを思ってくれる――光希は、幸せな心地で瞳を閉じた。眩しい陽の光を瞼の奥に感じながら、頬を撫でる温かい手の上に、自分の手をそっと重ねた。

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 公宮敷地内にあるアール川の畔――
 ピクニックに出かける二人に、ナフィーサは籠を持たせてくれた。中にはサンドイッチに果物、葡萄酒や蒸留酒、チーズが入っている。
 天鵞絨びろうどの絨緞を敷いて、大きな更紗さらさの日傘の下、ジュリアスと並んで寝そべる。
 ルスタム達もその辺にいるはずだが、姿は見えない。視界に入らぬよう気を遣ってくれているのだろう。
 透き通った水面は光を反射して、きらきらと輝いている……心地よい風が肌をくすぐり、悪戯に髪をなびかせた。
 隣に寝そべるジュリと手を繋いで、日傘から覗く青空を眺める。優美なコンドル、飛竜達が空を滑空してゆく。

(いい気持……こんなに穏やかな気持ちは、久しぶりだなァ……)

 ここしばらくは、眼の回るような忙しさだった。こうして二人で過ごせる時間を、とても贅沢に感じる。

「そういえば、オアシスでジュリと出会ってから、もう一年経つんだね」

「そうですね……」

「いろんなことがあったよねぇ」

「本当に。光希はすっかり隊服が板につきましたね」

「まあねー、慣れたよ」

「光希、最近休めていますか?」

 頬に視線を感じながら、光希は空を仰いだまま続けた。

「……ジュリこそ働き過ぎだよ。こんな風に過ごすことってあるの?」

「私は慣れてしまいまして……でも、光希が私に合わせる必要はありませんよ。根を詰めて工房に籠っていると聞いていますが、本当に休めていますか?」

 光希は気まずげに沈黙した。
 ナフィーサやアージュから聞いているのだろう。作業が思うように進まず、最近は屋敷に持ち帰って、夜も作業をしている。決して効率が上がるわけではないのだが……

「休んでいても、どうせくろがねのことを考えちゃうから……つい工房に籠っちゃうんだよね。もう、脅迫観念に近い気がする。やらなくちゃ……っていう気持ちが重くて、少し苦しい」

 凪いでいた心が揺れるのを感じて、光希は眼を閉じた。ジュリアスは上体を軽く起こすと、心配そうに光希の顔を覗きこんだ。

「受注を止めては?」

「納期はまだあるから……頑張りたい。期待に応えたい気持ちもあるんだ」

 でも、一番近い納期があと七日だ。間に合うかどうか既に怪しい。納期を迎えて、やっぱりできませんでした、という報告は最悪だろう。

「実は、少し心配しています。毎日クロガネ隊で働いて、夜も遅いし……休日申請も全然していませんよね。何日ぶりの休日ですか?」

「……ノーグロッジが終わってから、初めてかな」

「十日も前ですよ。きちんと休んでください」

「ジュリこそ、ちゃんと休みなよ。帰れない時は、軍舎で寝てる? 机の上でそのまま寝たりしてない?」

「私のことはいいんです」

「良くないでしょ」

「次はいつ休めますか?」

「納期が押しているから……」

 ジュリアスは真剣な眼差しで光希を見下ろした。

「光希が頑張りたいというから、見守っていましたが、苦しんでいるのなら話は別です。休みを取れないほど根を詰めるようなら、私が阻止します」

 一言、助けて欲しいといえば、いともあっさり解決してくれるのだろう。身の丈を越えた仕事から解放されるのだろう。だけど……

「ありがとう。もう少しやってみたいんだ……待ってて」

 上目遣いに仰ぐと、ジュリアスは探るように光希の顔を覗きこみ、小さく嘆息した。何もいわずに、絡めた手を持ち上げて、そっと口づけた。