約束もなくサリヴァンを訪ねたが、快く時間を空けてくれた。
 ジュリと二人で神官宿舎に赴き、イブリフ老師に会ったと報告すると、彼は嬉しそうに表情を綻ばせた。

「老師も喜んでおられたでしょう」

「どうでしょう……そうだといいのですが」

 曖昧に頷いた。実のところ、光希には老師の表情の変化すら判らなかった。

「噂に聞いていた静寂を体感してきました。一日だけなら良い経験と思えますが、あれが続いたら僕には耐えられません」

 サリヴァンは破顔すると、愉快そうに声を上げて笑う。

「完全なる沈黙は、より深くシャイターンと交信する手段の一つです。外の刺激や情報を遮断して、祈りを重ねることで我々は神力を高めてゆくのですよ」

「そういえば今朝、黙祷もくとうを捧げている時、シャイターンに見られているような気がしたんです。幻まで見えて……」

 師は思慮深げに眉をあげた。

「シャイターンを降ろしたのですなぁ……。流石は殿下、我等がそれを為すには、数日かけてねばなりません」

 褒めてくれるが、どちらかと言えば恐い体験であった。特に幻の方は、今思い出してもぞっとする。
 ふと、開け放した窓から聖歌が流れる。ここへ来る途中に出会った、子供達のことを思い出した。

「さっき、聖歌隊のカーリーとエステルという子供に出会ったのですが、ご存知ですか?」

「知っておりますよ。二人共優秀な歌い手です」

 問いかけるような眼差しに誘われて「実は……」と先の出来事を話して聞かせる。師は一つ頷いてから口を開いた。

「カーリーは実力は十分なのですが、非常に内気な性質で、人前に立つことが苦手でしてな」

「まだ小さいのに、あんなに泣いて悩んでいると思うと可哀相ですね……」

「転機がくれば、気鬱も晴れましょう。殿下の御心は、まだ晴れませんか?」

 先日の前のめりな自分を思い出して、少々恥ずかしくなる。

「おかげさまで……かなり晴れました」

 光希は偽りのない、澄んだ笑みを向けた。
 いろいろな人に出会い、典礼儀式に参列したりと活発に動いたことで、心にしつこく溜まっていたおりが、少しずつ流されたように感じる。

「実は指輪を見せていただいた後、こんなものを閃いたんです」

 反射望遠鏡を取り出すと、光希は両頬の線を緊張に硬くしながら、師の双眸を静かに見返した。

「この望遠鏡では叶いませんが……もし、光を分析する技術があれば、宇宙に浮かぶ遥か彼方の星を見れるかもしれません。そう考えるのは、悪いことでしょうか?」

 宇宙は神の領域と信奉する彼等にしてみれば、異端ともいえる思想だ。天文学信仰の理念に触れると知っていて、彼ならという思いから尋ねてみた。

「知識欲は生まれ持った権利です。他者が口を挟むことではなく、知り得た者もひけらかすのではなく押しつけるでもなく、語らう分には誰にも止められますまい」

 師は口元を優しげに綻ばせた。光希の肩から、ふっと緊張が抜け落ちる。
 ジュリの傍に在る為ならば、疑問すら封じ込める覚悟があった。けれど、語らう分にはいいと言ってくれる。
 もし、遠い未来に……宇宙の果ての光を捕えることができたら、そのどこかに、光希の知っている青い星も存在するのかもしれない。

「これで青い星を覗いたら、シャイターンは怒るでしょうか?」

「試されてみてはいかがですか? といっても昼の空では無理ですかな」

 深い知性を宿した碧眼が、どこか悪戯っぽく笑っている。

「いいえ、望遠鏡ならたぶん……」

 というわけで、書斎の窓から早速覗いてみた。

「わぁ――……」

 肉眼では叶わなくとも、筒を覗けば青空に浮かぶ星の輪郭がはっきりと見える。サリヴァンに場所を譲ると、ほくほくしながら覗きこんだ。

「これは、これは……新鮮ですなぁ」

 覗かれたと知り、慌てふためくシャイターンを想像したら、知らず笑みが零れた。今朝はこちらが覗かれたので丁度いいだろう。

「好奇心を追いかけるのは悪いことではありませんよ。受け入れるだけではなく、苦慮の果てに見つけてこそ我らの信ずる天文学です」

 そういってサリヴァンは、天文学信徒の証――天球儀の指輪を光希に渡してくれた。

「これ……」

「さしあげます。殿下も立派な、信徒でいらっしゃる」

 指輪は、右手の人差し指にぴたりとおさまった。
 生まれや思想は違えど、アッサラームの大地に生き、シャイターンを信奉していいのだと目に見える形で肯定してもらえたように感じる。
 震えそうな声で「ありがとうございます」と伝えると、先達者は穏やかに笑んだ。

 鉄への不調は、この日を境に完全に復調した。