忙しげな軍舎に、夜休の鐘が鳴り響く。
 光希はアージュと共に、軍舎の看護室を訪れた。入った途端に、部屋中の視線は光希へと向かう。どこへ行っても歓迎されるのは嬉しいが、落ち着かないのもまた事実だ。
 紗で遮られた白い寝台の傍へ近寄ると、光希に気付いたユニヴァースは、えへらっと笑みかけた。

「いらっしゃい、殿下」

「調子はどう?」

「大分いいですよ。お一人ですか? ムーン・シャイターンは?」

 ユニヴァースは首を伸ばして、光希の背後に人影を探す。

「僕とアージュだけだよ」

 応えると、ユニヴァースは視線を戻して心配げに口を開いた。

「今日から復帰されたんですよね、体調は平気ですか?」

「うん、平気だよ」

「殿下、これ……」

 ユニヴァースはポケットから何やら取り出すと、光希へ手渡そうとした。
 刹那、アージュは目にも止まらぬ速さで短剣を抜き放つ。瞬閃。幾筋かの銀糸は、はらりと宙を舞った。

「アージュッ!?」
「殺す気かっ!?」

 アージュは油断なく短剣の切っ先をユニヴァースに向けている。

「殿下に触ったら、斬るように言われています」

「何それっ!?」
「まだ触ってねぇよ!」

 ほぼ同時に、光希は頓狂とんきょうな声を出し、ユニヴァースは呻くように喚いた。

「……まだ?」

 アージュの眼が据わった。ゆらりと殺気まで立ち昇る。光希は慌てて、短剣を持つ腕を掴んだ。

「お、落ち着いてっ!」

「落ち着けよ、何もしないよ。これを渡したかっただけだ……」

 再び光希へ伸ばされた手を、アージュは空いている平手で叩き落とした。何かが床に落ちる。

「お前ね……」

 ユニヴァースは呆れ顔だ。警戒姿勢を解かないアージュの傍で、光希は床に落ちたものを拾い上げた。

「これ……」

 様々な装飾が意匠された柔木には、見覚えがあった。
 以前、サンマール広場に出掛けた際に、ユニヴァースにもらい、同じ日に失くしてしまったもの……。
 声もなく凝視していると、ユニヴァースは照れくさげに口を開いた。

「街へ寄った時ついでに買ったんです。お土産です」

「ありがとう……」

 つい先日、ジュリと見舞いにきた時は、渡す素振りも見せなかったのに。ずっと機会を窺っていたのだろうか……。

「殿下、あれから、宮殿の外へ出掛けたことはありますか?」

 光希は沈黙した。

「息抜きも大切ですよ。たまには出掛けてください。ムーン・シャイターンが一緒なら、恐いものなんてないでしょう?」

 自分の方が重症なのに、眼差しには真剣な気遣いの色が浮かんでいる。

「そうだね……今度、機会があったら行ってみるよ」

 柔木に視線を落としたまま応えた。せっかく、きっかけをもらえたのだから。あの日の辛い記憶も、乗り越えてゆきたい。

「俺で良ければ、いつでもお共しますよ」

「黙れ」

 ユニヴァースもアージュも相変わらずだ。
 三人で過ごす空気は同世代の気安さに似ていて、一緒にいると癒される。
 生まれや立場は違えど、光希は密かに、二人のことを大切な友達のように想っていた。

「おい、ちびっ子。狂犬。しっかり殿下を護衛しろよ」

 ユニヴァースは、自分より小柄な少年の頭をぺしっと叩いた……いい奴なのは間違いないが、誰にでも喧嘩をふっかける態度だけは、何とかして欲しい。

「……斬る」

 アージュはきれた。両手に短剣を構えて、本当に寝台の上のユニヴァースに襲いかかる。

「当たらねぇなー!」
「死ね」

 怪我人のユニヴァースは元気いっぱいだ。アージュの殺気がなければ、じゃれているようにも見える。

「止めてよ、二人共――っ!」
「てめぇら! ここは病室だっつってんだろぉが――っ!」

 看護長が仲裁に入り、どうにか事態は収束した。