アッサラーム夜想曲

4:天球儀の指輪 - 22 -


 光希は過労で倒れてから、十三日ぶりにクロガネ隊へ復帰した。
 工房仲間は皆、暖かく迎えてくれた。懐かしい屑鉄と工房の匂い。顔ぶれを眺めれば、胸の内には喜びがこみあげた。

「お元気になられて良かった」

 アルシャッドは長い前髪と銀縁眼鏡の奥から、眼を和ませる。

「先輩、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 深く頭を下げると、彼は途端に狼狽えて手を左右に振った。

「止してください、そんな、どうか顔を上げて。大事ありませんよ」

「今日からまた、よろしくお願いします」

 一礼すると、アルシャッドは生徒の発表を愛でる師の眼差しで首肯する。
 光希が倒れる前に持っていた火急の仕事は全て、アルシャッドを始めとする同僚達が引き取ってくれた。残された案件は、納期期限のないものばかりだ。

「あれ、これナディア将軍だ……」

 未処理の発注書を整理していると、署名された名前に思わず呟いた。
 依頼の殆どは刀身彫刻だが、彼だけは弦楽器に合わせる鉄細工を依頼していた。横からアルシャッドがひょいと発注書を覗きこむ。

「へぇ、ラムーダか。面白そうな依頼ですね」

 ラムーダは、涙滴るいてき形の弦楽器の名前だ。ふと合同模擬演習でアンジェリカが話していたことを思い出した。

「そういえば、ナディア将軍はラムーダ演奏が上手なんだっけ……」

くろがねや硝子と違って木は、自然の中で生まれ育ってきた歴史を持つ生き物です。鉄細工と合せれば、木の持つ力と鉄の造形との結びつきを体感できますよ」

 なにやら高尚な説明に、光希は不得要領に頷いた。いかにも難しそうに聞こえる。

「時間がかかりそうです……」

「納期指定もありませんし、とりあえず頭の隅に留めておきましょう。良い依頼ですよ」

「そうですね……」

「大量受注が入っているので、当面は殿下もそちらに加わってください」

 ノーグロッジ作戦に続く、陸路偵察任務に向けた大量受注のことだ。

「忙しくなりますが、無理はせずに取り組みましょうね」

「はい!」

「まだ本調子ではないのですから、歩兵隊訓練への参加も控えた方がいいと思いますよ」

「気をつけます。あの……今度、神官宿舎へ行こうと思っています。その日はお休みしてもいいですか?」

 アルシャッドは笑顔で快諾すると「そういえば」と継いだ。

「典礼儀式に参列されたんですよね。ケイト達から聞きましたよ。いかがでしたか?」

「感動しました。聖歌も素晴らしかったし、祝詞はまだよく判らないんですけど……」

「すごく内面と向かい合う一時ですよね。一心に鉄を打つ時と、少し似ていると思います」

「そういう感覚的なものを、どうにか身につけられないか、サリヴァン師に聞いてみたら、地道に頑張れみたいなことを言われました……」

 アルシャッドは噴き出した。

「直球ですねぇ」

「近道なんてありませんよね……話の流れで、天球儀の指輪を見せてもらいました。すごく緻密な造りですよね」

「あぁ、真鍮の。つい閉じたり開いたり、弄っちゃいますよね」

 そうそう、と光希は笑った。神官達もきっと、息抜きにあの指輪を弄って気を紛らわせているに違いない。ふと望遠鏡のことを思い出した。

「先輩、昨日閃いたんですけど、簡単な天体望遠鏡を作れないでしょうか? 工房にある材料で、どうにかなりそうな気がするんですけど……」

 昨夜描いた図面を拡げてみせた。
 円柱の外側に接眼レンズをつけて、どうにかして、中に上手いこと鏡を入れれば、お手軽な望遠鏡ができそうな予感がする。

「へぇ、望遠鏡! 素晴らしい閃きですねぇ」

 アルシャッドは眼を輝かせた。元は自分の閃きでないとはいえ、彼に褒められると嬉しい。光希は照れくさげに頭をかいた。

「偉大な先人の閃きのおかげです」

鏡筒きょうとうは何でも良さそうですね。眼鏡をばらして代用して……硝子は工房のを拝借して、研磨で削ればできそうですね」

「本当すか!?」

「はい。そんなに難しい仕組みではなさそうですし」

 アルシャッドの天才ぶりにはつくづく感嘆させられる……。彼は光希の拙い図面に手を加え、すらすらと材料名を追記し始めた。まるで答案を見ながら書いているかのような、迷いのない手つきだ。元々発明が好きな性質たちなのだろう。
 サイードが様子を見にくるまで、二人で熱中して図面を覗きこみ、望遠鏡話に花を咲かせた。




4:天球儀の指輪 - 22 -


prev index next