溢れるほどの薔薇を放るという失策を冒してからは、慎ましく一輪のみを投げ入れるようにした。
 投げ入れる際、哨戒しょうかいに立つジュリアスと何度か眼が合い、気まずい思いをした。
 ふと見れば、サンベリアはいよいよぐったりしていた。腹を押えて俯いている。

「大丈夫ですか?」

 光希が声をかけると、アースレイヤもリビライラも、一見して心配そうに彼女に群れた。しかし、サンベリアの具合を余計に悪化させていることはあきらかである。
 彼等と引き離した方がいい。そう判断すると、思い切って東妃の前に跪き、怯えきった双眸を下から仰いだ。

「休みましょう。案内しますから、ついてきてください」

 有無をいわさずサンベリアの手をとって立たせると、

「すぐ戻りますね」

 貴妃席に並ぶ貴顕きけんな顔ぶれに、一方的に告げた。
 闘技場内部の、関係者区画にある休憩室を人払いして、サンベリアを横に寝かせた。

「傍にいて欲しい人はいますか? 呼んできます」

 額に浮かぶ汗の玉を拭いてやりながら訊ねると、サンベリアはか細い声で、近しい仲だという侍女の名を呟いた。護衛兵の一人を遣いにやると、光希は安心させるようにほほえんだ。

「安心してくださいね。サンベリア様……お腹に子供がいるのですか?」

 思い切って訊ねると、サンベリアは力なく頷いた。やっぱり、と光希は内心で頭を抱えた。
 パールメラ失踪の時に、逃亡すら考えた人だ。さぞ不安な気持ちでいるに違いない。

「姫様!」

 恰幅のいい年かさの女が、慌ただしく駆け込んできた。寝椅子に横たわるサンベリアの傍に跪くと、力なく身体に沿う繊手せんしゅを、ふっくらした手で包みこむ。
 慈しみに溢れた仕草を見て、光希は少し安心した。気の弱いサンベリアにも、心を許せる人はいるらしい。

「馬車と護衛を用意させます。今日はもうお帰りください。皆には、僕から説明しておきます」

 さっきから独断の連続だ。恐ろしいが、光希が公宮の権威というのなら許されると信じたい。それに、ルスタムが光希の指示に従ってくれているうちは問題ないだろう。
 去り際、サンベリアは感謝の色を瞳に浮かべて、光希に深くお辞儀をした。

「ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありません」

「いいえ……ゆっくり休んでください」

 光希が笑みかけると、サンベリアも控えめにほほえんだ。
 彼女の今後を思うと、心配になる。何とか、助けてあげられたらいいのだが……
 サンベリア達を見送った後、貴妃席に戻る道すがらジュリアスに会った。
 どうやら光希を探していたらしい。ほっとした顔で近づいてくる。

「東妃はどうしたのです?」

「今、ルスタム達に送らせたところ」

「何があったのです?」

「彼女、お腹に子供がいるんだ……アースレイヤ皇太子とリビライラ様に挟まれて、具合を悪くしたんだと思う」

 光希の言葉に、ジュリアスは眉をひそめた。

「懐妊したのか……」

「サンベリア様はどうなると思う……?」

 ジュリアスは沈黙で応えた。表情からは読みとれないが、同じことを考えている気がする。このままでは、リビライラに消されてしまわないだろうか?

「……アースレイヤの思う壺です。東妃のことは忘れてください。できますか?」

 ウッ、と呻く光希を、ジュリアスは静かに見下ろした。

「彼女を助けてあげたい」

 疲れたようなジュリアスのため息を聞いて、光希は身体を強張らせた。硬くなる頬の両線を両手に包みこみ、ジュリアスは唇に触れるだけのキスをした。

「この話は、今はよしましょう」

 賛成……光希は無言で首を縦に振ると、腰を抱かれたまま貴妃席に戻った。