対サルビア戦に向けた、ノーグロッジ海域の飛行経路偵察任務、通称ノーグロッジ作戦は、作戦開始から二十五日後、アッサラームへの帰還と共に完了した。
 飛竜隊二百余名の犠牲を出したものの、数千から成る全隊としてはほぼ無傷に等しく、偵察任務は大きな成果を収めた。
 滑走場には、彼等の帰還を言祝ことほぐ軍関係者が集まり、光希も当然駆けつけた。
 作戦総指揮官を務めたジュリアスを始め、各隊を率いた将達、そして特殊部隊――懲罰部隊として強制参加させられたユニヴァースは、

「殿下! こっち向いて、こっち向いて♪」

 と、相変わらずの調子で声をかけ、周囲の同僚達に引きずられるようにして退場した……元気そうで良かった。

 ノーグロッジ作戦完了から十日。
 一度もユニヴァースに会っていない。特殊部隊として、早くも次の任務に就いているらしい。
 アッサラーム軍は今、対サルビア戦に向けた、大規模な軍事拡大に総力を挙げていた。
 軍事の中心にいるジュリアスは、かなり忙しそうにしている。最近では、軍舎に泊ることも増えた。
 一方、光希は週一回から二回、午前九時から昼休の鐘が鳴るまでの約三時間を、歩兵隊訓練に費やすようになった。
 ローゼンアージュの指導による完全個別訓練である。正規訓練内容の半分もこなせていないが、少しずつ体力はついてきた……気がする。
 ちなみに、共同大浴場で裸になった事件には続きがある。
 事前に止められなかった連帯責任として、ジュリアスの指示により、その日訓練に参加した全隊員に訓練下士官達から鉄拳制裁が下された。
 全隊員に恐怖を植えつけてしまったらしく、光希が少しでも水場へ足を向けようものなら、誰かしら飛んできて全力で止められるようになった。
 その必死の形相に光希が怯えるのを見て、ローゼンアージュは一度切れてしまい、大惨事になりかけた。
 平穏な日常を取り戻しつつ、軍はぴりぴりしている。
 クロガネ隊では、近いうちにまた修羅場がやってきそうだ、と別の意味でため息をこぼしたりした。
 また、改良を重ねた結果、クロガネ隊考案、多目的ツールナイフの軍採用が正式に決まった。
 人の良いアルシャッドは、これは光希の手柄なのだと憚ることなくふれこみ、光希は軍内部で非常に注目を浴びることになる。
 これまでチャーム等の装飾品や、刀身彫刻を細々と引き受けていたが、光希ご指名で武器開発依頼や、軍幹部の将達から、難易度の高い依頼が舞い込んでしまい……断るに断れず、光希はくろがねと睨み合い、頭を悩ませる日々が続いている。

 六日に一度の祝福日。
 屋敷の中庭で、光希はティーテーブルに乗せたカップを穴が開くほど、見つめていた。

「殿下? いかがされましたか?」

 ただならぬ様子でカップを凝視する光希を見て、ナフィーサは不思議そうに問いかけた。

「いや……僕にもあるはずなんだよ」

「何がですか?」

 突然、穏やかな声が聞こえて肩が跳ねた。振り向くと、軍服姿のジュリアスが、颯爽とこちらへやってくるところだった。

「ジュリ!」

「仕事が一段落したので、今日は光希と一緒に過ごそうと思いまして」

「本当っ!?」

 思わずはしゃいだ声が出た。ジュリアスと休日を過ごせるなんて、いつ振りだろう。ノーグロッジ作戦が終わってから、初めてではないだろうか?

「何をしていたのですか?」

「ああ、いや……最近、鉄を思うように扱えなくてさ。でも、今まで彫刻を入れて、加護を宿せてきたんだから、僕にも、そういう神秘の欠片というか、片鱗があるはずだと思って」

「受注が舞い込んでいるようですね」

「うん……嬉しい反面、期待されているって思うと……なんか気が焦っちゃって。この間、初めて彫刻に失敗したんだ。加護を宿せなかったの。せっかくの刀身を一本無駄にしちゃってさー……」

 つい先日の話だ。本番に向けた習作用とはいえ、手間暇かけて鍛えた刀身を無駄にしてしまった。
 アルシャッドやケイト達は、そんなこともあると励ましてくれたのだが……思った以上に心に影を落とし、難易度の高い受注へのプレッシャーは更に増した。

「あまり考え過ぎても、身体に良くありませんよ。たまには気晴らししませんか?」

 そういって、ジュリアスは光希の頭を優しく撫でた。

「うん……そうだね。せっかくジュリもお休みなんだし!」

 沈んだ気持ちを吹き飛ばすように、光希は明るくいった。
 アッサラームの突き抜けるような青空に、風に靡くジュリアスの黄金色の髪が映えている。眼を和ませる光希を見て、ジュリアスも優しくほほえんだ。