軍部に向かう道すがら、反対側からジュリアスが歩いてきた。

「ジュリ! 用事は終わったの?」

 傍に駆け寄ると、涼しげな青い双眸を和ませて、光希を優しく見下ろした。

「はい。光希が軍舎にいると聞いて、今向かっている途中でした。どちらへ?」

「もう帰るところ」

「では馬車まで送りましょう」

「ジュリは今日も遅いの?」

「いえ、今日はもう少ししたら帰りますよ」

「あ……じゃあ、どこかで待っていてもいい? 一緒に帰らない?」

 にこやかに光希が提案すると、ジュリアスも嬉しそうに微笑んだ。

「いいですよ。一刻少々で戻ります。それまでどこか見ていますか? それとも休んでいますか?」

「うん、少し疲れちゃった……そうだ、ジュリの部屋で待っていてもいい?」

 いいですよ、と了承すると、ジュリアスは光希の後ろに控えるルスタム達に眼を向けた。

「三人共、ご苦労。後は私が案内するので、ユニヴァースとローゼンアージュは持ち場に戻ってください。ルスタムは一刻後に車庫で待つように」

 最敬礼で応える彼等を振り返り、光希は感謝の気持ちをこめて微笑んだ。

「今日は本当にありがとうございました。とても楽しかったです。ユニヴァース、アージュ、また会えたら嬉しい」

「身に余る光栄に存じます。ご指名いただければ、いつでも馳せ参じます」

「お会いできて光栄でした」

 二人の少年は、偽りのない笑みで光希に応えた。
 彼等と別れた後、光希はジュリアスと共に、軍舎の一階へ向かった。
 回廊の天井は半円状で、一面を淡い蜂蜜色の煉瓦に覆われている。
 大きな蝋燭立ての鋼のシャンデリアに、等間隔に並ぶ鉄格子付の分厚い硝子窓。要塞を思わせる造りだが、全体的に一般兵の生活する二階と比べて豪華だ。
 扉は歴史の重みを感じさせる焦茶色の木製扉で、くろがねで補強されている。扉枠は光沢のある黒御影石。枠の一番上には、軍の紋章が金色で彫られている。
 ジュリアスの部屋は、とても片付いてた。
 というよりも、余計な物が一切ない。寝具や調度品は置かれているが、使用された形跡は無い。

「綺麗だね。使ってないの?」

「そうですね、あまり……一応掃除はされているので、綺麗ですよ。好きに寛いでください」

 一人で暮らすには十分な広さだ。落ち着いた書斎に、寝室、居心地の良さそうな応接間もある。浴槽完備なので、わざわざ大浴場へ行く必要もない。
 これは確かに、大部屋で生活するユニヴァース達から見れば羨ましい好待遇だろう。
 興味津々で光希が部屋を眺めていると、ジュリアスはキャビンを開けて、酒しかないな、と呟いた。傍へ寄って覗きこむと、本当に酒瓶しか入っていなかった。そうと意識すると、何だか急に喉が渇く。

「何か用意させます」

 ジュリアスは震動式の呼鈴を鳴らした。間もなく年若い宿直とのいがやってくると、水と果実水を用意するよう命じた。
 様子が気になり、光希が傍へいくと、少年兵は僅かに目を瞠った。ジュリアスが短く、行け、と命じると慌てて一礼する。
 二人きりになると、不意に抱きしめられた。光希も背中に腕を回して、抱きしめ返す。

「ありがとう」

「楽しかった?」

「うん! ユニヴァースとアージュをつけてくれて、ありがとう。僕、同じ年頃の男と喋ったの、ジュリアス以外では初めてかも」

「……そう。今日はどこを見に行ったの?」

「クロガネ隊の加工班工房に行ったよ。サイード班長に教えてもらいながら、指輪の加工をしたんだ。ほら……」

 ポケットから指輪を取り出して、ジュリアスに見せた。研磨が足りず艶はないが、一応模様は判る。ジュリアスは感心したように口を開いた。

「へぇ、光希が作ったの? 器用ですね」

「型造りは昔から得意なんだ。綺麗な円形でしょ。でも合わせ目の接着がいまいちで……も適当だし、研磨は足りてないし……初めてにしては上出来かな? 昼時課の鐘が鳴るまで没頭しちゃった」

 大分時間を要してしまったが、次はもっと上手くできるはずだ。仔細に指輪を観察していると、頭を撫でられた。

「明日も軍部に?」

「うん、工房に行きたい。サイード班長はいいって言ってくれたんだ……いいかな?」

 少々甘えた口調でお伺いを立てると、ジュリアスは微苦笑を洩らした。

「いいですよ。そう言うと思っていました」

「良かった!」

 万歳ドミアッロした拍子に、ふと寝室が視界に映った。横になってもいいかと尋ねると、どうぞ、と頷くので、光希は遠慮なく靴を脱いで寝転がった。

「わー……気持ちいい。やっぱり大部屋とは違うね」

 身体が柔らかく沈み込む。ユニヴァース達との寝台とは、寝心地が一味違うようだ。吟味する光希を見下ろし、ジュリアスは寝台に腰かけると、

「まるで、大部屋の寝台を知っているような口ぶりですね」

「うん、寝台に座ってみたから……」

 疾しい気持ちはなかったが、青い双眸は探るように光希を見下ろす……扉を叩く音に呼ばれて、仕方なさそうに視線を外した。
 いい時にきてくれた。
 なんとなく、ルスタムに窘められた言葉を思い浮かべながら、光希は密かに胸を撫で下ろした。