浴室を出た後、抱えられたまま個室に連れていかれた。
 ジュリアスは音を荒げて扉を閉じると、光希を降ろすなり両肩を強く押さえつけた。

「貴方という人は――っ」

「ごめんなさいっ! すみませんでしたっ!!」

 脊髄反射で謝罪の言葉が口から飛び出す。勁烈けいれつな眼差しを向けられて、音速で顔を伏せた。
 恐い。本気で怒っている……
 ジュリアスは光希から手を離すと、背を向けて深いため息をついた。苛立たしそうに、豪奢な金髪を掻き上げる。

「……湯を用意してあります。身体が冷めないうちに入って。着替えを持ってきます」

「ジュリ、あの……」

 部屋を出ていこうとする背中に声をかけるも、言葉の途中で扉は閉められた。

『そんなに怒るなよ……』

 静まりかえった部屋に、覇気のない呟きが落ちた。ジュリアスをあれほど怒らせるとは思わなかった。そんなにも、いけないことをしてしまったのだろうか?
 判らない……項垂れていると、コツンと窓に何かが当たった。何だろう? と近寄り、ぎくりと足を止める。
 曇り硝子の向こうに、人影が映っている。
 外から、殿下、と呼びかける声を聞いて、弾かれたように窓を開けた。

「殿下、お久しぶりです」

「ユニヴァースッ!」

 二十日前と少しも変わらない、朗らかな笑みを浮かべるユニヴァースがそこにいた。

「会いにきちゃいました。本当は、姿も見せるなって、釘を刺されてるんですけど……」

「ごめん、ユニヴァース! 辛い目に合わせてしまって」

 変わらぬ笑顔を見たら、安堵のあまり大きな声が出た。ユニヴァースは表情を引き締めると、頭を下げた。

「謝るのは俺の方です。連れ出した揚句、あんな危険な目に合わせてしまって。護衛が聞いて呆れます。申し訳ありませんでした」

 光希は焦燥と、歯痒い念に駆られた。

「謝らないで。僕、任務失敗だなんて、思ってないからっ!! あの日、守ってくれてありがとう。僕が逃げ遅れたせいで、ユニヴァースまで――」

 鉄柵を掴んでいい募る光希の言葉を、ユニヴァースは唇に指を押し当てることで遮った。
 思わぬ仕草に眼を丸くする光希を見て、青い瞳が細められた。

「処刑されても仕方ないと思っていました。だから、嬉しかったです。殿下が俺を惜しんでくれたと聞いて……」

 いつも、冗談ばかりいっているユニヴァースとは思えない、真剣な口調だ。

「ずっと殿下のことを考えていました。落ち込んでいるだろうなって……訓練に参加される姿を見たら、なんか感動しました」

 鉄柵を掴む手を、包みこむように上から握りしめられる。妙な緊張感が流れて、光希は肩を強張らせた。

「変わろうとされているんですね」

 これ以上、聞いてはいけない気がする……何かが変わってしまいそうだ。顔を背けると、誤魔化すように口を開いた。

「ユニヴァース、あのさ……」

 さり気なく、重なった手を引き抜こうとしたら、上から押さえつけられた。

「黙って見ているのも限界です……」

 鉄柵越しに腕が伸びてきて、頭を引き寄せられる――掠めるように唇が重なった。
 弾力のある厚みを、唇は柔らかく受け止める。理解した瞬間に、ユニヴァースの身体を押し退けた。
 唇を甲で押さえながら、窓から距離を取る。
 信じられない。
 こんな時こそ、冗談にしてくれたらいいのに。ユニヴァースは少しも笑っていなかった。

「今のは忘れるからっ! だからユニヴァースも忘れて」

「忘れる?」

「そうだよ! ジュリに知られたら、二人共殺される」

 混乱の極地で、悲壮めいた台詞が口を突いた。狼狽える光希を見て、ユニヴァースは口元に挑発的な微笑を刻む。

「……シャイターンは怒るかな?」

「何で嬉しそうな顔してるの!? 今はまずいんだよっ、ああ、もう! ジュリがくる、いって!」

 光希は返事も待たずに、慌てて窓を閉めて鍵を掛けた。
 浴室に駆け込むと、羽織っていた上着を脱ぎ捨て、勢いよく頭から湯をかける。
 信じられない。
 ユニヴァースにキスされた。意味が判らない!
 密かに、想われていたのだろうか。いつから? 今までそんな素振りは微塵も見せなかったのに!
 光希はジュリアスの花嫁ロザインなのに……
 まてよ……と、顔から血の気が引いていく。ジュリアスに知られたらどうする気なのだろう……冗談じゃなく、殺されるかもしれない。

「――光希?」

 浴室の外からジュリアスに呼ばれて、光希は口から心臓が飛び出しそうなほど驚いた。

「着替え、置いておきますよ」

「うんっ、ありがとう!」

 必要以上に大きな声が出た。意味もなく湯を叩いて音を鳴らす。
 さっきのことを、どう消化すればいいか判らない。このまま浴室に籠城したい気分だが……ジュリアスに変に思われる。
 観念して湯から上がった。
 用意してくれた隊服に着替えると、袖を幾重にも折り曲げて外へ出る。
 窓を背にして、ジュリアスは立っていた。逆光で表情は見えなくとも、爛と輝く青い双眸は、怒りを物語っている。つと上向けた掌を差し伸べられ、

「光希」

 静かに呼ばれた。
 恐る恐る差し出す手は、緊張のあまり小刻みに震えている。手を取る半ばで、逆に手首を取られて勢いよく引き寄せられた。