翌朝。すっかり陽が昇った頃に目が覚めた。
 跳ね起きると――アタタ……と情けない声が出た。全身筋肉痛だ。特に腹筋に力を込めた途端、腹に圧がかかり酷く痛んだ。

「くぅ……っ」

「大丈夫でございますか!?」

 痛みに悶えていると、ナフィーサが飛んできた。

「うん、何とか……寝坊しちゃった」

 寝台を下りようとすると、ナフィーサの表情はたちまち強張った。

「シャイターンから、本日はこちらでお過ごしになるように、と承っております」

「屋敷を出るなっていうこと?」

「はい」

 申し訳なさそうな顔で、ナフィーサは頷いた。
 あれだけの大事になったのだから、謹慎処分を受けても仕方ない……そうは思っても、心は重く沈んだ。

「……いつまで?」

「二十日は必要だと、聞いております」

 思ったよりも長い……クロガネ隊の皆は知っているのだろうか? ユニヴァースも謹慎処分を受けるのか?

「二十日経ったら、クロガネ隊に戻れる?」

「復帰については、改めて検討するとおっしゃっていました」

「そう……ユニヴァースは? 何か聞いている?」

「私も詳しいことは……只、軍規に沿って行われるのではないかと……」

 いいにくそうに視線を逸らされ、光希は不安を掻き立てられた。小さな肩に手を置いて、淡い灰青色の瞳を覗きこむ。

「お願い、教えて。ユニヴァースは大丈夫だよね?」

 ナフィーサは困ったように眉を下げて、判りません、と首を左右に振った。

「じゃあ、ヴァレンティーンは? どうなるか知ってる?」

「申し訳ありません、私も、詳しい話は聞かされていないのです」

「……僕って、シャイターンの花嫁ロザインだよね?」

 苛立ち、平坦な声でたずねてしまった。ナフィーサの精緻に整った顔が、辛そうに歪む。この様子だと、ジュリアスに口止めされているのかもしれない。

「ナフィーサ。僕にいえないことなんてあるの?」

 可哀相だが、詰問口調で迫った。

「お許しくださいっ! 何も話すなと厳命を受けております。時が満ちれば、きっとシャイターンからご説明があるはず。今はどうか……っ」

「この国の処罰は、とても重いから怖いんだ。ヴァレンティーンは“斬首”されるかもしれない……ユニヴァースは? 酷いことをされない?」

 縋るように見下ろしていると、肩に置いた手に、小さな手が重ねられた。

「……斬首では、ございません」

「本当に? どんな罰を受けるの?」

「――申し訳ありません」

「ナフィーサッ!」

 思わずナフィーサの肩を揺らすと、殿下、と窘めるようなルスタムの声が聞こえた。

「申し訳ありません、扉を叩いてもお返事がありませんでしたので……勝手ながら入らせていただきました」

「ルスタムは、知ってる?」

「お気持ちは判りますが、お教えすることは出来ません」

「どうしてっ!?」

 鋭く切り返すと、ナフィーサは怯えたように、光希とルスタムの顔を交互に見比べた。

「厳しいことを申し上げるようですが、全ては、殿下の奔放な振る舞いの結果にございます。天真爛漫な人柄は殿下のたえなる美徳ですが、尊い御身をご自覚くださらねば、取り返しのつかない事態となります」

 静かな譴責けんせきに、光希は表情を硬くした。

「シャイターンの神眼のおかげで、御救いできましたが、ヴァレンティーン・ヘルベルトは一部隊に匹敵する私兵を抱えております。昨夜は本当に、危ないところだったのですよ……」

 静かに諭されて、苛立ちは細波さざなみのように引いてゆく。

「ご自分の取った行動で、どれだけの被害が出たのか、それだけはお教えいたしましょう」

 澄んだ蒼の瞳に、厳しい光が宿る。光希が悄然と肩を落としても、ルスタムは容赦しなかった。

「殿下のお姿が見えなくなった後、総力をあげてお探しいたしました。シャイターンも極めて重要な任務を中断し、駆けつけられたのです」

「はい……」

「いかに神剣闘士アンカラクスといえど、万能ではないのです。神眼でいつでも殿下のお姿を捉えているわけではありません。シャイターンが任務に集中していられたのは、殿下を信頼していたからです。私も信頼しておりました。貴方は、貴方を慕い、信頼する者達全員の心を踏みにじったのです」

 頭を殴られたような、強い衝撃を覚えた。

「ルスタム、いい過ぎです……」

 静かな部屋に、ナフィーサの案じる声が落ちる。茫然と立ち尽くす光希を、ルスタムは静かに見下ろした。

「全隊で機動隊を編成して、ヴァレンティーン・ヘルベルトに連なる一派の一斉検挙に乗り出し、百五十名もの隊員が命を落としました。殿下の捕らわれていた私邸では、特に死者が多かったと聞いております」

 あまりのことに、言葉が出てこない。幽鬼のように佇む光希を見て、ルスタムは半分瞑目した。

「……少々、いい過ぎました。今朝も早くから残党狩が続いています。くれぐれも抜け出そうなど、お考えにならないように」

 俯きそうになる顔を上げて、光希はルスタムの静かな眼差しを見返した。

「迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。もし、ユニヴァースに処罰があるなら、僕も同じように罰してください」

 訥々とつとつと震える声で謝罪する光希を見て、ルスタムはため息を落とした。

「誰も、花嫁を罰することは出来ません。もし請うのであれば、一人しかいらっしゃらないでしょう」

 脳裏に、ジュリアスの顔がよぎった。悔恨を噛みしめながら、光希は小さく頷いた。