アースレイヤはジュリアスの前で足を止めると、恭しく右手を胸に当てて敬礼した。

「ここは制圧いたしました。他の私邸もアーヒム、ヤシュムから開戦の知らせが届いています。黎明れいめいには片付くでしょう」

 彼のへりくだった物言いに、ヴァレンティーンは盛大に顔をしかめた。

「何をしにいらっしゃった!」

「我等がシャイターンから、ヴァレンティーン・ヘルベルトを捕えよと、全軍に指示が下りました。もちろん、この私にも」

 ヴァレンティーンは憤怒の形相を浮かべる。

「貴方ともあろう方が、膝を屈するというのかっ! この私を捕えると!?」

「強い者に服するは、世の習いでございます」

「ほう? ならば私とて、ヘルベルト家の莫大な資産と人脈で、永く皇家を支えて来た自負があります。私を切り捨てるは、この国の支柱を砕き、我等貴人の忠誠を踏みにじるも同然!」

 恫喝どうかつする男を、アースレイヤは柔和な笑みを浮かべたままめつけた。

「十分、甘い汁を吸ったでしょう? これまで皇太子庇護を免罪符に、散々遊び尽くしたのですから……」

 凄艶せいえんな笑みを見て、男は、これでもかと眼を見開いた。

「厭わぬとおっしゃるのか!? ありえぬ! そんなことをすれば、この国は必ず傾く!」

「――黙れ」

 低い声を発し、ジュリアスはヴァレンティーンを蹴り飛ばした。吹き飛んだ身体は、壁に当たりくずおれる。

「お前が何をしたのか、全て知っている」

 針のように冷たく鋭い声には、怒りが滲んでいる。

「楽に死ねると思うな。この先、お前には地獄が待っている。権限剥奪、私財没収、反逆罪による血の制裁……一族郎党、一人残らず斬首に処す。お前の血は一滴も地上に残さない」

 あの優しいジュリアスが、こんなにも威圧的に話す姿を、光希は初めて目の当たりにした。なんて恐ろしい話をしているのだろう……

「ごほ……っ、何をいっている? 物知らぬ青二才が大口を叩いてくれる。そのような蛮行、皇帝陛下がお許しになるものか」

 男は憎悪の眼差しでジュリアスを睨んだ。鋼の如し視線は交錯し、火花を散らす。

「陛下の了承は得ておりますよ」

 アースレイヤの言葉に、ヴァレンティーンは絶句した。

「……お前の不始末です。処刑の指揮は貴方が執ってください」

「御意」

 冷ややかに命じるジュリアスに、アースレイヤが慇懃に応える。尻をついた男は茫然と二人を見上げた。

「気が触れたか、アースレイヤ皇太子……本気で、私を処刑すると? あと少しで、全ての権力を手に出来るというのに……ここまできて裏切るというのかぁッ!?」

「おや? 私の御代に貴方の変わらぬ栄華を約束した覚えはありませんよ」

「何を馬鹿な……こんな馬鹿げた話があるものかっ! ふざけるなぁッ」

 ふと、激昂するヴァレンティーンと眼が合った。おののく光希を瞳に映し、男は茫然と呟く。

「まさか……慈悲なき厳罰は、花嫁ロザインの為か? それ程までにお怒りだと……?」

「連れていけ」

 兵士達はヴァレンティーンを縄で縛り上げた。檻の前を通り過ぎる途中、幽鬼の如し双眸で光希を見やり、

「”傾国”……」

 静かに呟いた。
 過ぎゆく男の背中を、光希は視線で追い駆けた。彼の身の破滅に、同情などしない……けれど胸は痛む。
 投げかけられた言葉の意味は判らなかったが、恐らくは、光希に向けた呪詛であろう……
 血に染まった地下室に、青い燐光が立ち昇る。
 命尽きたアッサラームの魂が、神々の世界アルディーヴァランへ還ろうとしている……
 ふと、ユニヴァースの安否が胸をよぎった。まさか、この部屋のどこかで倒れていやしないだろうか。
 檻の外へ出てジュリアスの前に立つと、腕を掴んで迫った。

「ユニヴァースは!?」

 ジュリアスは柳眉をひそめると、無言で光希を横抱きにして歩きだした。彼の服に撥ねた血が、光希の服にも染み込んだ。

「あの……ごめんなさい」

 見下ろす青い双眸は、仄かな光彩を放っている。静かな怒りを感じて、光希は口を噤んだ。ユニヴァースの安否を尋ねたいが、声をかけ辛い。凄惨な光景に視線を彷徨わせていると、吐息が頬にかかった。

「……ここにはいませんよ」

「あ……そうなんだ。無事?」

「ええ」

「良かった……」

 安堵に胸を撫で下ろすと、何も良くありませんよ、とジュリアスは冷たく呟いた。
 怒っている。当然だ。助かった安堵が去ると、この後に予想されるジュリの譴責けんせきや、周囲に及ぼした被害を思い……胃はずしりと重くなった。