「……本当に、解放してくれますか?」

 ヴァレンティーンは穏やかに笑んだ。

「お約束をいただければ」

「約束?」

 誓約書のようなものだろうか? 男は椅子から立ち上がると、鉄柵の扉に近付き、鍵に手を伸ばした。

「私の“声”になるというのなら、従順にさえずっていただかなくては」

 ガシャン。鍵の外れる音が、やけに大きく響く。光希は椅子から身体を起こすと、扉が開く前に部屋の後方へ下がった。

「何をする気ですか?」

「怯えなくてもよろしい。私は約束を守る男です。最初に、丁重にもてなすと約束いたしました」

 男はゆっくりと近づいてくる。

「嘘。僕を袋に押し込めて、荷物のように連れてきた」

 決然とめつける光希を見て、ヴァレンティーンは含み笑いを漏らした。

「大変申し訳ありませんでした。縄で肌を痛めたと聞いています。診てさしあげますから、こちらへ」

「こないでください」

「ふ……小鳥を追いかけているようだ」

 部屋の外周に背をつけたまま、じりじりと後じさる。卓に置かれた小箱を手に取った。

「ふ、それを私に投げるおつもりですか?」

 その通りだ。少しでも近づいたら投げつけてやる。
 寝台を迂回しようとしたら、男は急に手を伸ばしてきた。手にした小箱を投げつけて必死に逃げる。
 大きな音が鳴り、旦那様! と檻の外から危ぶむ声が聞こえた。

「大事ない。扉だけ見ておけ。殿下、あまり暴れては傷が増えますよ」

「なら、何もしないで……僕を傷つけたら、シャイターンは絶対に貴方を許さない!」

 精一杯きつい口調で吠えたが、ヴァレンティーンは愉快そうに哄笑こうしょうした。
 掌の上で弄ばれているようだ。
 緩急をつけて追い詰められる度に、焦ってあちこち身体をぶつけてしまう。調度品や壁飾りは床に落ち、水差しや杯が床に落ちて砕け散った。

ぅ……っ』

 逃げる途中、素足で破片を踏んだ。痛みに立ち止まった瞬間、後ろから抱きすくめられた。

「暴れるからですよ」

「嫌だ! 離して!」

「小さな身体ですねぇ……花嫁ロザインは、いとけない子供のようだ」

 雅な雰囲気の男だが、拘束する腕は鋼のようだった。手足をばたつかせても、びくともしない。
 ヴァレンティーンは光希を抱きすくめたまま寝台に近付く。顔から血の気が引いた。

「嫌だっ! 離して、降ろしてー―っ!」

 声を張り上げたら声が枯れた。喉が痛い。げほげほと背を丸めてむせると、寝台に降ろされ、両手首を押さえつけられた。欲の浮いた双眸に見下ろされる――

「シャイターンも溺れる身体、味わってみたいと思っていました」

 嘘だろ……勘違いであって欲しかったが、この男は本当に、光希を欲望の対象として見ているらしい。
 顔が近づいてきて、顔を横に倒したら、涙の滲んだまなじりを舌で舐められた。

「甘い涙ですねぇ」

 嫌悪と恐怖。涙は増々溢れた……心は悲鳴を上げる。

「やめて」

「ふ、抵抗はお終いですか?」

「ごめんなさい。離してください。嫌だ……怖い……ふ……っ」

「お可愛らしい……生娘のようだ」

 襟の合わせに手が滑り込む。おぞましい感触に、ぞぞ……と鳥肌が立った。

「嫌だぁッ!!」

 絶望しかけた時――

 ドォンッ!! 耳をろうする衝撃音が響き渡った。