「本当は、私が同行できれば良いのですが……」

 馬車の踏み台に足をかける光希を見て、ジュリアスは残念そうに呟いた。思わず、そのままの姿勢で後ろを振り向く。

「ジュリは一緒にいけないの?」

「そうしたいのですが、急用ができてしまって。軍部には話を通してありますから、見たい所があれば遠慮なくどうぞ」

 名残り惜しそうに告げると、光希の手をすくい上げて甲に口づけた。周囲に人がいようとも、彼は相変わらずである。
 照れ臭げに視線を逸らした光希は、行ってきます、と小声で応えるのが精一杯だった。

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 アッサラーム軍本部基地は、石造りの重厚な城塞である。
 灰色の石柱と黒いくろがねの巨大な門扉もんぴの左右には、青い双竜と剣の紋章が入った軍旗が優美にはためいている。
 詰襟軍服姿のサーベルをいた門兵達は、光希を乗せた馬車の紋章を見て、胸に手を当てて最敬礼をした。
 見栄えのする軍人や、建物を物珍しげに眺めるうちに、あっという間に目的地に着いた。

「本部は五階まであります。三階から上は士官専用ですが、今日はどこでも自由に出入りする許可を頂いております。気になる所があれば、遠慮なくおっしゃってください」

 軍部に到着すると、ユニヴァースは印象通りの明るい口調で、先導しながら説明をしてくれた。

「僕、クロガネ隊を見学したいです」

 クロガネ隊は内勤部署の一つで、黒牙くろきばと呼ばれる黒い鉄の製鉄、加工を担っている。軍の内勤で、一番気になっている部署だ。
 クロガネ隊製鉄班は高熱の鉄を叩く過酷な力作業だが、加工班の方は、盾や剣、防具の修繕、修復、装飾。また名札や肩章の装飾といった、加工作業を主としている。
 加工に使用する素材の一つ、鉄の粉末は、日本でフィギュアを作っていた際に使用していた純銀含む粘土、アートクレイシルバーに似ていて、これは天職なのでは、と閃いたのである。

「クロガネ隊は一階の奥が全てそうですね。製鉄班と加工班に分かれていますが……製鉄班の方は高炉がありますから、工房に入るのは危険かもしれません」

 思案気な表情のユニヴァースを見上げて、光希は口を開いた。

「ユニヴァースは入ったことはありますか?」

「製鉄工房はありません。加工の方はよく行きますよ。入隊したら名札も必要だし、武器や防具の修理でしょっちゅうお世話になっています」

「へぇ……こんにちは」

 石柱の回廊を渡る道すがら、兵士とすれ違う度に、彼等はわざわざ脇へ避けて最敬礼をする。
 先導するユニヴァースを含めて誰も反応しないので、光希がおずおずと会釈をすると、やはりルスタムに止められた。

「会釈は不要です。永遠に目的地に辿り着けませんよ」

 確かに……すれ違う度に反応していたら、会話もままならない。

「やじ馬多いな。花嫁ロザインを一目見ようと、うろうろしているんです。無視していいですよ」

 どこか感心したように周囲を見渡してから、気軽い口調でユニヴァースは応えた。

「僕なんか見ても楽しくないと思うけど……」

 見られるのは構わないが、がっかりされたら辛い。

「殿下はなかなかお姿をお見せになりませんし、今でも時の人ですから。軍部に顔を出すうちに、落ち着きますよ」

「そうかなぁ」

 クロガネ隊の工房を訪ねると、薄汚れた前掛けを着用した隊員が出てきた。しまった、という顔で前掛けを脱ごうとするので、光希は慌てて手で制した。

「あ、どうかお構いなく。そのままの恰好で平気です」

「いらっしゃると聞いていたのに、大変失礼いたしました。中に入って、ご覧になりますか?」

「はい、是非お願いします」

「かしこまりました。班長のサイード・タヒル軍曹を呼んで参りますので、少々お待ちください」

 そう言って、笑顔のさわやかな好青年が連れてきたのは、思わず二度見するような強面の男だった。
 二メートルはありそうな分厚い強靭体躯。禿頭とくとうに鋭利な蒼氷色アイス・ブルーの瞳、片目は眼帯で覆われている。どこから見ても、盗賊にしか見えない。

「殿下、ようこそいらっしゃいました。加工班班長を務める、サイード・タヒル、階級は軍曹です」

 見た目を裏切らない、重低音の渋い声だ。光希は、思わず心の中で、ス●ーク! と叫んでしまった。

「ここでは主に隊員の武器や防具の修繕、補強、装飾を行っています。刀身、黒牙の修繕は隣の製鉄班が行います。彼等は炎を使いますが、私達が使うのは鉄の粉末を聖水で溶いた粘土です。加工して磨くと、闇夜のような黒艶を発します」

 強面の男は、意外にも親切に工房を案内してくれた。

「アッサラームの武器は、黒い刀身が多いですよね。銀は使わないのですか?」

「使いますよ。特に装飾ではよく使います。他にも金や銅、天然石、革も扱います。刀身は鉄が好まれますが、良い鋼は他にもたくさんあります」

「なるほどー。今は皆さん、武器の手入れをしているのですか?」

 赤煉瓦造りの広い工房では、窓際一面に分厚い木の机が並んでおり、隊員達が背を向けて作業に勤しんでいる。使用済の剣や盾を修繕しているようだ。

「はい。新兵が大量に増えたので、修復作業が追いつかなくて。最近は日暮れまでやっています。入隊すると一通りの武器と防具を配給され、個人管理になるのですが、初めはどの隊員も破損が酷くて毎日のようにここへ顔を見せるんですよ……なぁ、ユニヴァース?」

 からかうように名を呼ばれて、ユニヴァースは頭を掻きながら、へらりと笑った。

「お前そういえば、依頼書五枚も出したろ。机空いてるから自分で作れ」

「うぇ?」

 間の抜けた返事は無視して、サイードは光希を見下ろした。

「殿下、もしお時間があれば、試しに加工作業を体験してみませんか?」

「いいんですかっ?」

 眼を輝かせる光希を見て、サイードは眼元を和ませた。