ようやく荷台から降ろされたと思ったら、ひんやりとした石床の上に乱暴に降ろされた。縛られている為、受け身を取れず頭をしたたかに打ちつける。

『……いったぁ』

「乱暴はよしなさい」

 低い、落ち着いた声が聞こえた。コツコツと石床を鳴らして足音は近づいてくる。
 麻袋の上から巻かれた戒めが解かれると、滞った血は急速に駆け巡り、身体はふわっと軽くなる。次いで麻袋を破かれた。
 ようやく顔を外に出せて、清涼な空気を胸一杯に吸いこんだ。
 光希のすぐ傍には、武装した男が十数人。彼等の中心には、身なりの良い四十歳前後の紳士が立っていた。どの顔にも見覚えは無い。
 ここは、かなり豪華なお屋敷のようだ。
 広い玄関ホール。精緻なアラベスクの壁面。艶やかな天然石を敷き詰めたチェス柄の床。品の良い調度品。天上から吊るされた円環の燭立て……室内には上品な香が焚かれている。

「手荒な真似をして申し訳ありません」

 男は光希と目が合うと、意外にも謝罪を口にした。訳が判らない……こんなことをしておいて、なぜ今更謝るのだろう。

「誰か。湯まで案内を」

 呼びかけに応じて、体格の良い召使が姿を見せた。光希の身体を起こそうと手を伸ばしてくる。気力を振り絞って振り払った。
 自力で起き上がろうとした途端、膝が笑う。仕方なく人の手を借りて起き上がると、精一杯男を睨みあげた。

「僕を傷つけたら、シャイターンは絶対に貴方を許さないでしょう」

「そう噛みつかれずとも、花嫁ロザインを傷つけるつもりはございません。着替えを用意いたしましょう、酷く汚れていらっしゃる」

「ッ――」

 光希の眼が据わった。勁烈けいれつな眼差しで睨んだが、男は歯牙にもかけず、さあさあ、と手を鳴らして召使を急かした。
 体格の良い召使に囲まれて、浴室に連れていかれた。直ぐ後ろには武装した男達もついてくる。
 浴室に入ると、素早く服を脱がされ、両手、両足を鎖に繋がられた。
 この状態でどうやって身体を洗えと? ……最悪なことに、髪も身体も召使に洗われた。ここがどこか訊ねても、応えてはくれない。
 縄できつく締めつけられた腹周りは、予想通り鬱血している。明日には変色して痣に変わるだろう。他にも細かい擦り傷があり、湯や石鹸が触れる度に、痛みをもたらした。
 湯から上がると、手の鎖だけ外されて、召使に女性物の白い衣装を着せられた。
 一枚の布を交互に巻きつけて、腰で結ぶ簡単な構造だ。
 下着は履かされていない。落ち着かないが、文句をいえる立場ではない。ひとまず身綺麗になり、痛めつけられた心は僅かに潤った。
 着替え終えると、再び手首を鎖に繋がれる。武装した男の一人に横抱きで持ち上げられそうになり、慌てて逃げた。

「歩けます! 逃げないから、鎖を外して下さい」

 両腕を前に突き出して訴えたが、主張は無視された。男は問答無用で光希を横抱きで持ち上げる。そのまま薄暗い螺旋階段を降りて、雅な地下空間に連れていかれた。
 天上から吊るされた照明や、床に置かれた硝子照明に照らされて、地下とは思えない程明るい。
 横に広い空間には、多種多様な骨董品や観葉植物が並べられていた。
 そして天井から、幾つも金細工の鳥籠が吊るされている。空籠もあれば、色鮮やかな鳥が入っている籠もある。
 異質な空間に、ヒュロロ……と鈴の音のような小鳥の囀りが響いている。
 部屋の右奥に、壁と鉄柵に囲まれた牢があり、光希はその中に押しこめられた。
 外観は牢そのものだが、中は手触りの良い絨緞が敷かれ、美しい衝立や寝台、調度品が置かれている。
 武装した男は光希の手足から枷を外すと、硬質な音を立てて鋼の扉を閉めた。頑丈そうな三つの鍵で施錠すると、背を向けて仁王立ちの姿勢を取る。

「ここは、どこなんですか?」

 光希は鉄柵に寄ると、背中に声をかけた。

「ここは、私の私邸の一つですよ」

 思わぬところから返事が聞こえて、光希は顔をあげた。靴音を響かせながら、男は檻の前までやってくる。鉄柵を挟んで対峙すると、男は興味深そうに顔を寄せて、光希の瞳を覗きこんだ。

「本当に黒い髪、黒い瞳なんですねぇ。肌も何と白いことか。部下が手荒な真似をして、申し訳ありません。珠のような肌に傷がついたら大変だ……後で見てさしあげましょう」

 いろいろな欲の浮いた眼差しであった。薄気味悪くて、光希は逃げるように鉄柵から身体を離した。

「貴方は、誰なのですか?」

 声は無様に震えた。

「これは失礼。私はヴァレンティーン・ヘルベルトと申します、殿下」

 名前だけは訊いたことがある。
 アルサーガ宮殿の理財を取り仕切る、大変な有力者だ。巨万の富を抱える貴人で、確かアースレイヤ皇太子派だとも……
 光希の表情を見て、ヴァレンティーンは満足そうに微笑んだ。

「祝賀会や婚礼にご招待していただきましたが、こうして言葉を交わすのは初めてですね。さあ、どうぞ掛けて。楽な姿勢でお寛ぎください」

 主の言葉に、召使達は数人がかりで、優美な曲線を描く天鵞絨びろうどの椅子を檻の前に運んだ。
 腰を据えて会話する気があるらしい。
 光希は戸惑いながら、その場に腰を下ろした。痛めた腹周りに圧がかかり顔をしかめていると、その様子に気付いたヴァレンティーンは、周囲に命じて光希にも椅子を用意させた。
 三人の召使が檻の中に入ってきて、壁際に置いてある豪華な肘掛椅子を光希の傍に置いた。恭しい手つきだが、有無を言わさず光希を座らせる。
 更に猫脚のコーヒーテーブルを光希の傍に寄せて、水や果実酒を注いだ杯を置いた。思わず喉は鳴ったが、手をつける気にはなれない。

「喉が渇いたでしょう? 毒なぞ入っておりません。さあ、どうぞ」

「どうしてこんなことを……」

 非難の眼を向けると、ヴァレンティーンは愉快そうに眼を細めた。