大通りの露店市場からは、細い小道が左右に幾つも伸びており、迷路のように錯雑に入り組んでいる。
 背の高いアンティークな建造物、階段やトンネル、色とりどりの草花が眼を楽しませてくれる。
 瀟洒な雑貨屋に入ると、欲しいものがあれば買ってあげる、とユニヴァースは親切に申し出てくれたが、光希は首を左右に振った。ジュリアスにお土産を買ってあげたいが、そんなことをすれば、お忍び散策も露見してしまう。
 小路を散策していると、ユニヴァースは空を見上げて切り出した。

「そろそろ戻りましょうか」

「そうだね。あー、楽しかったなぁー」

 本当に楽しかった。遊び足りないが仕方ない。残念そうに呟く光希の手に、ユニヴァースは柔木に彫られたスタンプシートを渡した。

「これ……」

 店を覗いて、ちょっといいなと思っていたものだ。十センチ四方の曲がる木材に、いろいろな意匠が彫られている。装飾の下描きに使えそうだ。

「良かったら、どうぞ」

「ありがとうー!」

 破顔する光希を見て、どういたしまして、とユニヴァースも優しく笑った。
 刹那――何かが空気を裂いた。
 路地を素通りした町人風情の男が、振り向きざまに短剣をユニヴァースになげうったのだ。
 電光石火。ユニヴァースは抜いたサーベルで短剣を払い落すと、空いた片手で細いナイフを取り出し、眼にも止まらぬ速さで二本続けて放った。
 それぞれ襲ってきた男の頭と胸に命中する。男は膝をついてくずおれた。

「走れ!」

 ユニヴァースは光希を振り向いて叫んだ。しかし、咄嗟に動けなかった。
 次の瞬間、路地の影から露天商の恰好をした男が三人駆けてきた。言葉もなく襲い掛かる。
 ユニヴァースは一人を袈裟斬りに伏すと、振りかぶった勢いでもう一人の首を刎ねた。勢いよく血が噴き出す――
 両手にいかにも殺傷力のありそうなダガーを持った最後の一人は、巧みにユニヴァースの背後を捕えた。光希は無我夢中で、後ろ! と叫んだ。ユニヴァースは鋭い回し蹴りで男の身体を浮かせると、サーベルの柄を両手で深く握りしめ、心臓に突き立てた。人が壊れる、嫌な音がした。

「あ、あ、あ」

 心臓は早鐘を打ち、背中に嫌な汗が流れる。呼吸も止めていたようで、一歩も動いていないのに、肩で激しく息をしていた。

「殿下、逃げよう」

 ユニヴァースは、光希の肩に触れようとして躊躇う。彼の両手は血で濡れていた。
 光希は震える手でハンカチを取り出そうとしたが、ユニヴァースはごしごしと自分の袖で乱暴に拭き取り、光希の肩を叩いた。

「殿下、聞いて。大通りに軍の詰所がある。そこまで走ろう」

 反対側の路地から、不気味な男達が姿を見せる。
 必死の形相で頷く光希を見て、ユニヴァースは安心させるように微笑んだ。光希の手を掴んで勢いよく走り出す。屍を越えて暗い路地に飛びこんだ。
 怖い――
 竦みそうになる足を叱咤して、ユニヴァースの背中を見つめて必死に走る。全速力で走っていても、腕は常に引っ張られて、引きちぎれそうな痛みを覚えた。
 もうこれ以上、走れそうにない。
 足が止まりそうになった時、ユニヴァースは手を離した。三階はありそうな高層の屋根から、複数の男が降ってくる。

「くそっ」

 ユニヴァースは舌打ちをすると、サーベルを抜いて躊躇なく男達に切り掛かった。一瞬のうちに二人の男が倒れる――ユニヴァースは強い!
 視線が釘付けになっていると、口と腹に大きな腕が回されて、勢いよく後ろへ引っ張られた。

「殿下っ!!」

 ユニヴァースの鋭い声が聞こえる。
 殺される。
 考える間もなく、ごわごわした麻袋を頭から被せられ、その上からぐるぐると縄で縛られた。

「助けてっ!!」

 必死に叫んだが、麻の中でくぐもった音が響いただけ。身体が浮いたと思ったら、誰かに担がれた。
 身体を締めつけられて、苦しい。
 酸素を求めて必死に喘いでいると、気持ち悪くなってきた。すっぱいものが喉からせり上がり、必死に嚥下する。
 どうして、誰が? ユニヴァースは?
 焦燥と共に、次から次へと疑問が湧きあがる。そして、ジュリアスの顔が浮かんだ。

(ジュリ、ごめんッ)

 吐き気と、縄の締め付けがもたらす苦痛をこらえていると、複数の足音と共にガラガラ……と車輪の音、馬のいななきが聞こえた。
 馬車だ。
 複数の人の気配はするが、一言も喋らない。
 彼等は何者なのだろう?
 町人や露天商の恰好をしていたけれど、どう考えても一般人ではない。ユニヴァースには躊躇せず襲い掛かったが、光希は手間を掛けて、連れ去ろうとしている。
 誘拐。
 その二文字が脳裏をよぎる。だとしたら、すぐには殺されないのだろうか。
 必死に考えていると、荷物のように持ち上げられ、固い木の板の上に転がされた。

「痛いっ」

 どうやら馬車の荷台に乗せられたらしい。
 ガラガラと車輪の音と共に、震動が伝わる。荷台に日除けはなく、じりじりとした日射しが麻袋を焦がす。
 少しでも情報を得ようと耳を澄ませていたが、次第に気持ち悪くなってきた。

「ハァ……ハァ……ッ」

 呼吸が辛い……せめて縄を解いて欲しい。
 耐え切れず、麻袋の中に嘔吐した。最悪だ……。
 麻袋の中は更に劣悪な状態になった。自分の吐瀉物にまみれて、心は完全に折れた。

「……っ」

 食いしばった歯の隙間から、嗚咽が漏れる。いっそ気を失えれば楽なのに、不快過ぎて意識を手放せない。

 馬車に揺られて、一刻。光希はようやく荷台から降ろされた。