アッサラーム夜想曲

2:シャイターンの花嫁 - 39 -


「こんばんは、我らが英雄と、凛々しい花嫁ロザイン

 急に視界が開けたと思ったら、アースレイヤ皇太子が西妃レイランを伴って現れた。
 二人並んで立つ姿は、実に神々しい。まるで神話の一場面を、そのまま切り取ったかのようだ。

「ごきげんよう、殿下。凛々しいお姿ですこと。先日は残念でしたわ。あれから公宮にもいらっしゃいませんし……良ければ今度、私の邸に遊びにいらしてくださいね」

 公宮を統べる女神は、花のようにほほえんだ。何も知らなければ、その笑顔の裏なんて、読み取ろうとも思わないだろう。

「こんばんは、アースレイヤ皇太子、西妃様」

 やや緊張気味に応える光希の隣で、ジュリアスは唇の端に社交的な微笑を溜めている。

「花嫁、先日は楽しい一時をありがとうございます。貴方の英雄から、お叱りは受けませんでしたか?」

 公衆の面前でからかわれて、光希は思わず目を瞠った。隣に立つジュリアスが苛立つのが判る。

「アースレイヤ皇太子のおかげで、仲直りできました。感謝しています」

 彼の勘気を抑えようと、光希は繋いだ手に力をこめて告げた。耳を澄ませている聴衆から忍び笑いが漏れたが、悪意のある笑いではない。

「ふふ、どういたしまして。また遊びましょうね。その凛々しいお姿、よくお似合いですよ。婚礼衣装も楽しみですね。もし軍の礼装にするのなら、私からお祝いに肩章を贈らせていただきましょう」

「気持ちだけ、いただいておきます。ぜひ楽しみにしていてください」

 ジュリアスはしれっと答えると、光希の腰に腕を回した。この場から立ち去りたいのだろう。込められた力に逆らい、光希はその場で足を踏ん張った。
 訝しむジュリアスを手で制して、美貌の二人を仰ぐ。皇太子の瞳は、楽しそうに煌めいた。
 一歩前に進み出ると、光希は不慣れな手つきでレースの手袋をしたリビライラの手を取った。彼女の方が背が高いので、自然と見上げるような姿勢になる。リビライラの瞳が驚きに見開かれた。その一瞬だけは、彼女の素の表情に見えた。

「リビライラ様、とても綺麗です。女神のようです。いつもお優しくて、僕は貴方にとても感謝しています」

 どうか、優しい人でいてください――願いを込めて、世にも美しい女性を仰ぎ見る。
 果たして通じたのか、リビライラは目元を和ませると、取られた手の上に、自ら手を重ねた。

「まぁ、光栄ですわ! 私、とても嬉しい」

 自分から触れたくせに、包みこむような手の温もりを意識し始めると、頭の中は真っ白になった。
 耐え切れなくなり、手を引き抜くと、今度はアースレイヤを見上げる。
 彼は面白がるような顔で、なぁに? と首を傾げた。続ける言葉を躊躇ったが、公宮で起きたあれこれを思い浮かべ、どうにか奮起した。手招くと、長身の皇太子は躊躇いなく腰をかがめて、顔を寄せる。

「コーキ」

 状況を見守っていたジュリアスは、不服そうな顔で呼んだ。
 申し訳なく思いつつ、光希もアースレイヤに顔を近づけた。取り巻く女性達の間から、小さな歓声が上がる。

「リビライラ様を、不安にさせないでください。恋人は貴方だけ、と安心させてあげてください。そうすれば、きっと、皆が幸せになる……」

 一息にいって身体を離すと、ジュリアスに強い力で肩を抱き寄せられた。アースレイヤは腹を押さえながら、くくく、と楽しそうに笑い出した。

「まぁ、何の話ですの?」

「花嫁に叱られてしまいました。そうですね、貴方が我らがシャイターンの傍で、いつでも、かわいらしく笑っていてくださるなら、考えてみましょう」

 真面目に答えるつもりなど、ないのだろう。今はそれでもいい。心の片隅に留めてくれれば……
 光希はにっこり笑った。かわいいかどうかは置いておいて、ジュリアスの傍で笑うことなら簡単だ。今すぐできる。

「アースレイヤ皇太子、あまり私の花嫁を見つめないでください。貴方といると注目を浴びて困ります。私のコーキは、恥ずかしがり屋なのですから……」

 周囲の目から隠すように、ジュリアスは光希を抱きしめた。その堂々たる甘い仕草に、周囲からどよめきが起きる。女の高い声に交じって、男の低い声も聴こえた。
 光希は、顔をジュリアスの胸に押し当てたまま、蚊の鳴くような声で、もういこう、と囁いた。
 照れる光希に目を落とすと、ジュリアスはこめかみに口づけた。愛情に満ちた仕草に、周囲は更に沸く。
 壁際に寄ってからも、ジュリアスは光希を離そうとしなかった。
 閉幕の挨拶が近づくと、わざわざジャファールとアルスランを呼んで光希を見張らせる始末だ。

「よくお似合いですよ」

 にこやかな二人から装いを褒められ、光希は破顔した。今夜に限っては、お世辞でも嬉しい。

「今度、軍舎を見にいっても良いですか?」

 暖かな空気に背中を押されて、光希は訊ねてみた。アルスランは怪訝そうな顔をしたけれど、ジャファールな穏やかな笑みで頷いてくれた。

「シャイターンがお許しになれば」

「はい!」

 いつかきっと、この人達にも追いついてみせる。
 決意を胸に前を向くと、ちょうどジュリアスが祝杯を挙げた。よく通る、涼やかな声が会場に響き渡る。

「千の夜を越えて、砂漠の彼方に花嫁を手にした。心を分かつ半身がある限り、光は我と共にあり。東の憂いも脅威にあらず。陛下の御代を守り、命果てるまで露払う盾となろう。金色こんじきアッサラームに栄光あれセヴィーラ・アッサラーム!」

 ワッ、と熱狂的な拍手喝采が沸き起こった。アッサラームを讃える大歓声が、天高く響き渡る。

アッサラームに栄光あれセヴィーラ・アッサラーム!」

「金色のアッサラームに!」

アッサラームに栄光あれセヴィーラ・アッサラーム!」




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