翌朝。
 昼を大分過ぎた頃、光希はようやく目を醒ました。隣に、ジュリアスの姿はない。
 昨夜は、何度も愛し合った。
 磨き上げられた肌を見て、ジュリアスはいつも以上に興奮していたし、仲直り直後ということもあって、かなり盛り上がった。
 明け方まで、情事にふけっていたにも関わらず、ジュリアスは艶々した顔で、朝早くから出かけていった。
 一方の光希は、遅い昼食を取り、のんびり過ごしている。
 図書室で紅茶を飲みながら読書していると、ナフィーサが困り顔で来客を告げにやってきた。

「え、ブランシェット姫?」

 意外な来客を聞かされて、光希は目を丸くした。

「はい。お断わりしたのですが、どうしてもお目通り願いたいと懇願されまして……念の為、確認に参りました。いかがいたしましょう?」

「今、玄関に?」

「いえ、外でお待ちいただいております」

「何だろう……会うよ、白の客間に案内してください」

「かしこまりました。シャイターンにも、お知らせいたしましょう」

「え、ジュリは仕事中でしょう。とりあえず、僕が要件を聞く」

「ですが……」

「ナフィーサも同席してくれる?」

「かしこまりました」

 背筋を伸ばしたナフィーサは、不安そうな表情を一変させて、手際よく動き始めた。
 身支度を手伝い、光希を応接間に案内すると、間もなくブランシェットを連れて戻ってきた。
 可憐な美少女、ブランシェットはおずおずと室内に踏み入ると、光希と目が合うなり、すまなそうな顔をして深く頭を下げた。

「殿下……押しかけるような真似をして、誠に申し訳ありません。広い御心に感謝いたします」

 少女は、いかにも不安げに両手を胸の前で合わると、縋るような眼差しで光希を見つめた。
 それは、思わず守ってあげたくなるような風情で、光希は弱り切った顔で頭を掻いた。

「それで……どうしたのですか?」

 彼女が腰をおろすのを待ってから切り出すと、ブランシェットは打ちひしがれた様子でぽつりぽつりと話し始めた。

「実は……昨夜の祝賀会でパールメラ様が西妃レイラン様のご不興を買ってしまい……その……大変危険な状態にございますの」

 昨夜の、本妻を差し置いた彼女の奔放な振る舞いは、光希も見ている。不味いことになったのだろうか?

「西妃様は私に、明日の朝、パールメラ様を蒸風呂に誘うようお命じになられました。とても嫌な予感がいたします……どこにも逃げ場のない公宮で、ある日突然、宮女が姿を消すのは珍しいことではございません」

 神妙な顔つきで光希が頷くと、少女は誰かが聞きつけるのを恐れるように、音量を落として囁いた。

「……西妃様が早朝の蒸風呂を好まれていることは有名ですから、宮女達は遠慮して、早朝はお邪魔しないようにしております。そこへパールメラ様をお呼びするということは……口にするのも憚られるのですが、暗殺、をお考えではないかと……」

「暗殺って……西妃様が?」

 思ってもみない展開に、光希は目を瞠った。儚げにほほえむリビライラと暗殺の二文字が結びつかない。いくらなんでも、考えすぎではないだろうか?
 訝しげな様子の光希を見て、ブランシェットは瞳に涙をいっぱい溜めていい募った。

「思い過ごしであれば良いのですっ、ですが……パールメラ様のお命が危ないと疑いながら、蒸風呂へお誘いするなど、恐ろしくてできません……ご迷惑と知りながら、藁にもすがる思いで殿下の元へ参りました。明日の朝、どうか私と一緒に蒸風呂へいらしていただけませんか?」

 ついに、大きな瞳から涙がぽろぽろと零れ落ちた。光希が口を開くよりも早く、同席していたナフィーサが口を挟んだ。

「無礼な。訴える先を、勘違いしていらっしゃいますよ。そのような手口で、シャイターンの花嫁ロザインを貶めるおつもりですか? お帰りください。そのまま、公宮機関に向かわれると良いでしょう」

 およそ子供らしからぬ厳しい口調である。冷たいナフィーサの言葉に、光希の方が焦ってしまう。

「待って……ブランシェット姫、西妃様がパールメラ様を殺そうとしている証拠はありますか?」

 問い質すと、ブランシェットは力なく首を振った。

「……ありませんわ。あったとしても、露見いたしません。誰も西妃様には逆らえませんもの。公宮機関は全て西妃様に繋がっております。とても当てにはできません」

 しかし、証拠もないのに、疑ってかかるのはどうだろう。光希の消極的な視線を見て、少女は哀しげに顔を歪めた。

「私の杞憂であれば、良いのです。ですが、もしも……殿下なら、公宮のいかなる場所にも出入りできます。どうか、どうか、明日の蒸風呂に、ご同行いただけないでしょうか?」

 どうしたものか……隣を見れば、ナフィーサが怖い顔でブランシェットを睨んでいる。厳しい口調を予期して、光希は思わずナフィーサを手で制した。

「暗殺があるとしても……どうして、ブランシェット姫も一緒にいくのですか?」

 暗殺が本当なら、人目は少ない方が良さそうなものだ。

「お二人きりでは、警戒されるとお考えなのでしょう」

「どうして、そんなに西妃様を疑いますか? 皆でピクニックにいこうって、笑っていたのに……」
 信じられない。理解に苦しむ光希の前で、ブランシェットは膝の上で固く拳を握りしめ、覚悟を決めたように顔を上げた。

「……あの方は、無力な女にはお優しいけれど、台頭する女には容赦がありません。今まで、アースレイヤ皇太子にお妃は多くいらっしゃいましたが、どなたも、いつの間にかお隠れになってしまいますの。お子を成しても変わらずに、ずっとお傍にいらっしゃるお妃は、西妃様だけなのですわ」

 衝撃の告白を聞いて、西妃に関する、ルスタム、シェリーティア、アースレイヤのそれぞれの話が脳裏をよぎった。

“……四貴妃がお揃いの時もございましたが、現在は西妃様の他には、東妃ユスラン様だけとなります”

“……西妃様は外見と違い、大変恐ろしい方にございます。ブランシェット姫も西妃様に逆らうことはできません”

“さぁ、気づくといないのです”

 それぞれ立場の違う四人が、西妃に対して似通った情報を口にしている。信じたくはないが、信憑性があるのかもしれない。これが本当なら、確かに穏やかな話ではない。

「僕が蒸風呂にいけば、いいの?」

「なりません、殿下!」

 ナフィーサは鋭い声をあげた。ブランシェットは縋るような眼差しでこちらを見ている。
 今のところ、彼女の憶測でしかない。杞憂である可能性もある……
 けれど、もし万が一、彼女の危惧した通りであるのなら、パールメラが死ぬ可能性もあるのだ。
 事前に防げるのなら防ぎたい。光希は逡巡した末、口を開いた。

「ジュリに相談します。蒸風呂にいく時間を教えてください」

「はいっ!」

 不服そうな顔をするナフィーサの一方で、ブランシェットは涙を散らして何度も頷いた。