軍を、ジュリアスを讃える歓声が、絶え間なく四方から聴こえてくる。

「「アッサラーム・ヘキサ・シャイターン万歳ドミアッロ!!」」

「「神剣闘士アンカラクス万歳!!」」

「「「シャイターン万歳!!」」

 見栄えのいい士官にはファンがついているようで、ジャファールやアルスラン、ナディアを呼ぶ声も多く聴こえた。

「~~?」

「えっ!? 何? 聞こえない!」

「~~?」

 隣でジュリアスが何かいっているが、周囲の歓声にかき消されてよく聞こえない。

「コーキ、大丈夫? 疲れていませんか?」

 ジュリアスは身を屈めるや、耳朶に囁いた。熱い吐息と、柔らかな唇の感触に、思わず頬が熱くなる。幸い、視界を遮るような花の嵐と、つばの深い隊帽のおかげで、周囲には気づかれていない。

「平気です。ありがとう」

「神剣闘士を讃える歓声は、私とコーキに向けられているんですよ。花嫁ロザインを得た私は、もうただの“宝石持ち”ではありません。貴方を守る神剣闘士です」

 瞳に喜びの光を灯して、ジュリアスはどこか誇らしげに笑った。

「僕は何もしていないけど……ジュリは本当にすごいです。たくさんおめでとう、僕も嬉しいです」

「私は本当に運がいい。コーキ……私の元へきてくれてありがとう」

 ジュリアスは人目もはばからず光希を抱き寄せて、素早く口づけた。周囲から一際大きな歓声が沸き起こり、光希は慌てて身体を離した。

 およそ三時間毎に鳴る神殿の鐘が、朝課の鐘から数えて三度鳴った。
 正午。
 昼休の鐘が鳴り終える頃、ジュリアス達はようやくアルサーガ宮殿の正門前に辿りついた。
 かれこれ六時間以上、休まず行進を続けている。
 ジュリアスは涼しい顔で周囲の歓声に応えているが、光希は疲労困憊していた。
 ドドンッ――!
 ジュリアスを乗せた騎竜が宮殿の敷地に入るや、一斉に祝砲が空へと打ち上げられた。
 続いて、金管の澄んだ音が天空に鳴り響く。
 敷地内には、華やかに着飾った淑女や、帯剣した紳士達が大勢集まっていた。拍手と共に英雄の帰還を迎えてくれる。
 大勢の視線がジュリアスに集中する。そして隣に立つ光希にも遠慮なく注がれた。

「コーキ、あと少しだから頑張って」

「はい……」

 励ますように肩を抱かれて、光希は心胆しんたんを整え前を向いた。
 庭園に敷かれた真紅の絨緞を真っ直ぐ進むと、終点に設けられた玉座に、威厳のある、矍鑠かくしゃくとした男が立っていた。
 アデイルバッハ・ダガー・イスハーク皇帝である。
 皇帝の隣には、胸に大将の階級章をつけた二十前後の青年が優雅に佇んでいる。遠征に同行しなかったという、アースレイヤ・ダガー・イスハーク皇太子だろう。

「コーキ、降りますよ」

「あ、はい!」

 ジュリアスは光希の尻を腕で支えて、抱っこするように持ち上げると、軽々と騎竜の籠から飛び出した。
 地に足をついて正面を向くと、興味深そうにこちらを見つめる、アースレイヤと目が合った。咄嗟に会釈すると、彼は可笑しそうに口元を緩めた。
 皇帝も皇太子も、長身体躯で、こちらでは一般的な灰銀髪に灰青色の瞳をしている。
 皇帝の鋭い眼光は叡知を湛えていて、少しも年齢を感じさせない。
 一方、皇太子は女性的な優しい端正な顔立ちをしていて、柔和な空色の瞳が穏やかな印象を与える。美しい長髪を三つ編みにして肩の前に垂らしている様も、彼の雰囲気によく似合っている。

「シャイターンの御子よ」

 皇帝が口を開くと、ざわめきは一瞬で止んだ。水を打ったような静けさが辺りを包む。

「よくぞ無事に戻った。今回ばかりはサルビアの猛攻に肝が冷えたが、我等がシャイターンの活躍は遠くアッサラームに居ても、絶えず聞こえておった。サルビア軍の侵攻を見事に防ぎ、花嫁を手に戻ったそなたの功績は、永く史上に刻まれることだろう。
 我がアッサラーム・ヘキサ・シャイターンの兵士、同士、息子達。よくぞ前線から帰還してくれた。この国はそなたらの力なくしては成り立たぬ。東の脅威は消えた訳ではない。これからもよろしく頼む」

 そこで言葉を一度切ると、ふと表情を和ませて穏やかな口調で継いだ。

「今朝は鐘が鳴る前から、英雄の帰還を讃え、アッサラームの栄華を祝う声があちこちから聞こえてきた。何とも耳触り良く、幸せで優しい音楽だと感じたものよ……
 今宵はゆるりと休むが良い。祝賀会は幾夜も続くしの、麗しい英雄の姿を見る機会はまだある。皆も引き留めて困らせてはならぬぞ。花嫁を愛でたいシャイターンの機嫌を損ねたくなければな」

 皇帝の落ち着いた声はよく通った。
 紡がれる言葉は不思議と心に沁み入り、聞く者の胸を熱くさせる。最後は軽く冗談も交えて、周囲から軽やかな笑い声が漏れた。
 砂漠の英雄は青い軍旗を手に取るや、皇帝の前で膝を折り、両手を高く掲げて旗を捧げた。

「陛下、ありがたいお言葉、軍を代表してお礼申し上げます。勝利へと導いた軍旗を、謹んでお返しいたします」

「うむ……長きに渡る遠征、大義であった!」

 皇帝が旗を高く掲げると、再び祝砲が上がり、割れんばかりの拍手喝采が沸き起こった。