「私の花嫁ロザイン、立ってみて。もっとよく見たい」

 嬉しげに請われて、光希はぎこちなく立ち上がった。ジュリアスの視線がつま先から頭のてっぺんまで這う。肌が露出している部分には、特に強く視線が留まった。

「この恰好、かなり恥ずかしいんだ」

 視線に耐え切れず、思い切って顔を上げてみた。

「お似合いですよ……本当に、とても綺麗だ」

 眩しいものを見る眼差しに、居心地の悪さを覚えながら、光希もジュリアスを眺めた。
 今日はいつもより瀟洒な装いをしている。黒で統一されているけれど、真っ黒というわけではなく、襟や袖の縁取りの銀刺繍が色を添えている。緩やかなウェーブの金髪には、青いティアラを飾っており、物語に登場する異国の王子様のようだ。

「ジュリも恰好いいよ」

 世辞ではなく本心から告げると、ジュリアスは嬉しそうにほほえんだ。
 二人の間に和やかな空気が流れるのは、久しぶりな気がする。ジュリアスもそう感じているのか、なかなか部屋を出ようとせず、ナフィーサが時間を告げにやってくると、名残り惜しそうに部屋を出た。
 二人で馬車に乗ったあとも、対面の席から、ジュリアスはずっと光希を見つめていた。

「……そんなに見ないで」

 口にしたら、何だか余計に恥ずかしくなった。

「すみません、光希がすごく綺麗だから……」

 照れたように口元を押さえると、ジュリアスはふいと視線を逸らした。
 なんだろう……まるで自分が、美少女になったような気がしてくる――ありえない。ナフィーサ達のおかげで、髪も肌も綺麗にしてもらったが、相変わらずぽっちゃり体系だし、平凡な顔立ちに変わりはない。
 何やら甘酸っぱい空気に二人して照れてしまい、窓の外を眺めたり、顔を伏せたりしてやり過ごした。
 アルサーガ宮殿の正門に辿り着くと、既に幾つもの馬車が停まっていた。ジュリアスは先に下りると、当然のように手を差し伸べる。素直に手を借りて降りると、そのまま腰を抱かれた。文句を口にしかけたが、見上げるほどに高い吊り橋門に気を取られ、腰に回された腕のことは意識から消えた。
 大広間に続く廊下は、花冠の掛けられた照明に照らされ、天鵞絨びろうどの赤絨緞が真っ直ぐ敷かれていた。
 着飾った紳士淑女達が、赤絨緞の上を優雅に渡っていく。
 会場に足を踏み入れると、楽士隊が金管の音色を響かせた。集まった人々が一斉に振り返る。

「アッサラーム・ヘキサ・シャイターン率いる大将、並びに神剣闘士アンカラクスジュリアス・ムーン・シャイターン、そして花嫁のご入場にあらせられます。アッサラームに栄光あれセヴィーラ・アッサラーム!」

「「「アッサラームに栄光あれセヴィーラ・アッサラーム!」」」

 ジュリアスと光希は、熱狂的な歓呼によって迎えられた。金、銀、青、赤……様々な色の花びらが頭上から降り注ぐ。
 綺羅、星のような眩い別世界。
 会場の中央には宝石を散りばめた豪奢な噴水があり、正方形の泉にはジャスミンの花や灯篭が幾つも浮かび、きらきらと水面を照らしている。
 異国情緒に溢れる音楽に包まれ、噴水や泉の傍では、踊り子たちが鈴を鳴らして踊っている。銀の大皿を頭に載せた召使達までもが、緩やかな腰遣いで踊っていた。
 この世の贅を集結したかのような宴の様子に、光希は口を開けて立ち尽くした。ジュリアスに支えられて、どうにか足を踏み出す。

「声をかけられないうちに、隅に移動しましょう」

 祝いの言葉を流星雨のように浴びながら、人の洪水を縫うようにして隅に移動した。
 人目を避けられる場所まで移動すると、ジュリアスが給仕から杯を二つ受け取り、片方を手渡してくれた。

「ありがとう」

「どういたしまして。足は辛くありませんか? どうぞ椅子にかけて」

 勧められるまま、何も考えずにふかっとした椅子に腰かけた。彼は立ったままであることに気がついて、周囲を見渡したが、他に空いている椅子はなさそうだ。

「私は平気です。立っている方が楽ですから」

「そう?」

 ようやく一息ついて辺りを観察してみると、光希と似たような格好をしている女をちらほら見かけた。中には公宮で見かけた顔もある。シェリーティアやブランシェットもきているのだろうか?

「誰かお探しですか?」

 見知った顔を探していると、ジュリアスに声をかけられた。

「公宮の知り合いが、きているかもしれない」

「例えば?」

「……えっと、パールメラ姫やブランシェット姫」

 なんとなく、シェリーティアの名前は出さなかった。アースレイヤ皇太子の宮女であれば、流石にジュリアスも関係していないだろう。

「そうですか。あまり……」

 口調から苦言を予期して身構えていると、光希の知らない貴顕きけん達が、ジュリアスに近づいてきた。

「この度の凱旋、誠におめでとうございます」

「シャイターン、花嫁とのご婚礼、誠におめでとうございます」

「可憐な花嫁でございますな」

 彼等は口々に婚姻を言祝ことほぎ、盃を掲げた。
 光希はぎこちない笑みを浮かべたが、ジュリアスの方は淡々と相槌を打つだけで、花嫁を疲れさせてしまいますから、と彼等を追い払ってしまった。そっけない態度に、光希は内心で酷く驚いた。
 そのあとも、ジュリアスに声をかける貴顕きけん達は後を絶たなかったが、彼は誰に対してもつれない態度を崩さなかった。
 礼儀正しい彼にしては、らしからぬ態度だ。誰に対しても、人当りよく振る舞うのだろうと想像していた光希は、意外な思いを隠せずにジュリアスを見上げた。前を見据える表情は、凛と美しいが、冷たい印象を与える。

「ん?」

 光希の視線に気づいたジュリアスは、無表情を溶かして首を傾げた。光希の心を汲み取ろうとするように、瞳を覗きこんでくる。
 そのあからさまな変化を見て、ふと先日のルスタムの言葉を思い出した。

“いいえ、シャイターンは花嫁を得られて、本当にお変わりになりました。それまでは、長くお傍でお仕えしている私ですら、笑ったお顔を見たことがなかったのですから”

 あれは、ルスタムが大げさにいったわけではなく、本当のことだったのかもしれない。