馬車に乗り込み扉を閉めると、光希はルスタムに詰め寄った。

「さっきの、どういうことですか?」

「無礼な振る舞いではありましたが、リビライラ様はアースレイヤ皇太子の西妃レイランなのだから、政敵にあたるシャイターンの花嫁ロザインに近づくのは目的がありますよ、という忠告をしたかったのでしょう」

「アースレイヤ皇太子の政敵……ジュリが?」

「はい。西全土における軍事の象徴、聖戦を切り抜け、花嫁と共に凱旋を果たした英雄の存在は、アースレイヤ皇太子にとって脅威なのです。しかもシャイターンは、王族を超える身分である賢者――神剣闘士アンカラクスに昇格いたしました」

 言葉もなく茫然とする光希に、ルスタムは更に続ける。

「これまで、シャイターンは何度もお命を狙われてきました。公宮でも幾度となく刺客に襲われていますし、先の聖戦でも、アースレイヤ皇太子の指示で、最前線で指揮を執らされておりました」

 凱旋の日に笑みかけられた、美貌の皇太子の空色の瞳が脳裏をよぎった。あの優しげな美しい人が、ジュリアスを殺そうとしているというのか?

「アースレイヤ皇太子は、ジュリの敵……」

「あの方は穏やかな外見と違って、相当な野心家です。皇帝に座す時に備えて支持率を高めておきたいのに、シャイターンに名声が集まり過ぎていることを恐れています」

「え……」

「例えばもし、重大な取り決めをする際にシャイターンが反対意見を唱えれば、今のアースレイヤ皇太子は無視できないでしょう。周囲がシャイターンを支持するからです」

「ジュリはそんなこと、一言も……」

 いわなかった。
 怒りともつかぬ哀しみに襲われて、光希は唇を引き結んだ。どうしてこう、次から次へと知らないことばかり明らかになるのだろう。
 いわれてみれば、凱旋の日、ジュリアスのアースレイヤへの態度には、引っかかるものがあった。

“おめでとうございます、シャイターン。かわいらしい花嫁を見つけましたね”

“ええ、本当に。砂漠を駆けた甲斐がありました。身に余る幸運を神に感謝しております”

 互いにほほえんではいたけれど……ジュリアスには、どこか凄むような迫力があった。あれは二人の間にある確執の片鱗だったのだろうか。どうして、教えてくれなかったのだろう……

「戦場に身を置いていた時は、きっとご説明する余裕も無かったのでしょう。宮廷の人間関係は、遠く離れてしまえば目に映らぬものですから……」

 沈んだ光希の顔を見て、ルスタムは慰めを口にした。思い遣りを耳の片隅で聴き流しながら、心は思考の迷宮を彷徨う。
 正直、アースレイヤに対しては美しく優しげな青年という印象しかない。瞳が合った時、受け入れられていると感じたのは、気のせいだったのだろうか?
 リビライラとブランシェットも、先ほど出かける約束をしたばかりだ。
 あんなに朗らかに笑い合っていたのに。あの笑顔に裏があると?
 逆に、さぞ恨まれているだろうと思っていたシェリーティアには、助言めいた忠告をもらった。
 妬みがあったとしても、腹を明かした彼女は、潔かったのではなかろうか?
 何を信じて、何を疑えば良いのだろう……

 邸に戻ると、ナフィーサが笑顔で迎えてくれた。昨日ぼろぼろになった玄関は、早くも修繕されている。

「お帰りなさいませ、殿下」

「ただいま……ジュリは?」

「まだお帰りになっておりません」

「そう……」

 二階の私室に上がろうか迷い、ぼんやり左右の螺旋階段を見上げたものの……やはり上がる気にはなれなかった。
 まだ、顔を合わせるのは怖い。顔を見たらまた感情が爆発して、冷静に話せなくなりそうだ。

「……僕、お風呂に入ります。今日も客間を使っていい?」

「はい、殿下。お食事はいかがなされますか?」

「それも客間で」

 いいながら背を向けて歩き出し、客間に入ると寝台に背中から倒れた。

『はぁー……疲れた』

 目を瞑ったらそのまま眠ってしまいそうで、気合いを入れて起き上がると、屋内の浴場に向かった。
 汗を流して、さっぱりした気持ちで客間に戻ると、扉の前でジュリアスが腕を組んで待っていた。
 思わず息を呑んで立ち尽くすと、彼もすぐに気づいて姿勢を正した。

「お帰り……コーキ」

「ただいま……」

 近づくのを躊躇っていると、誘導するようにジュリアスは扉を開いた。視線に促されて中へ入ると、当然ジュリアスも一緒に入ってきた。

「昨日は、本当にすみませんでした。怖い思いをさせて、泣かせて……許して欲しい」

 扉を閉めるなり、ジュリアスは光希に向き合い、謝罪すると共に頭を下げた。真摯な姿を見て、心が震える。

「……僕も、怒鳴ったり、泣いたりしてごめん」

 情けない声で応じると、ジュリアスはゆっくり顔を上げて、慎重に光希との距離を詰めた。
 心を汲み取ろうとするように、腰をかがめて、青い瞳で光希の顔を覗きこむ。
 真っ直ぐな視線に耐え切れず、光希の方から視線を逸らした。