「僕は今日初めて公宮にいって……あんなに多くの女性がいることを知りました」

「さぞ驚かれたことでしょう」

 労わりに満ちたサリヴァンの言葉に、光希は海よりも深く頷いた。

「秘密の多い場所ですからなぁ。殿下も今日見知ったことは、みだりに口にしてはなりませんよ。公宮には名家の姫君達が大勢いらっしゃいます。彼等の情報は時として、大金よりも値の張る価値をもたらすのです」

 師の真剣な口調に、光希も背筋を正して向き直った。

「サリヴァン、教えてください。公宮には、ジュリのために呼ばれた女性が、三百はいると聞きました。それは本当ですか?」

「ふむ……誰からお聞きしたのですか?」

「僕の護衛をしてくれている、ルスタムです。今日は一日、彼が馬車で案内をしてくれました」

「なるほど。三百人というのは本当ですよ。中にはシャイターンが五つの頃から、縁組を決められていた姫君もいらっしゃいます。なに、そのように不安そうなお顔をする必要はございません。花嫁ロザインをお迎えした今、全て白紙に戻されております」

「ジュリに、恋人や家族、子供はいないのですか?」

「安心なさりませ。そのような者はおりませんよ。“宝石持ち”は、父母とも断絶させられる運命です。御心を注ぐお相手は、花嫁であらせられる貴方様ただお一人だ」

「でも……」

「こういった話は、他者から聞くとこじれるものです。ご本人に直接お訊ねになってみてはいかがですかな? 他ならぬ花嫁から、そのように不安そうに訊ねられたとあれば、あの方も、包み隠さず教えてくださるに違いありません」

 その通りだ。本人に訊くのが一番早い。
 しかし、あの公宮を見てしまったあとで、ジュリアスの口から清廉潔白だと弁明されても、果たして心から信じることができるだろうか……
 かといって、実は公宮の女達と浅からぬ関係があると告白されたところで、許せるかと訊かれたら、許せない気がする。
 せめて、全て光希と出会う前の話であれば、仕方ないと思えるのだろうか。
 だが相手はどうだろう――
 ジュリアスが心変わりをしていたとしても、相手はまだジュリアスのことを好きでいるかもしれない。

「ふぅむ、心配ですか?」

 物憂げな光希の顔を見て、サリヴァンは訊ねた。

「はい……サリヴァン神官は、シェリーティア・クワンという姫をご存じですか?」

「クワン家の末姫様ですな。存じておりますよ。彼女はシャイターンの婚約者の一人でしたからなぁ。もしかして、公宮でお会いになりましたか?」

「綺麗な姫でしたね……」

 胸に、苦い想いが拡がった。光希がいなければ、あの娘がジュリアスと結婚していたかもしれないのだ。

「僕がくる前、二人は恋人だったのですか?」

「いいえ、殿下。シャイターンはどなたもお傍に寄せませんでしたよ。戦い明け等、熱を沈める為に女を抱くことはあっても、あの方はいつだって花嫁だけを求めておられました。私もシャイターンの名を持つ身ですからよく判るのです。あの方にとって、貴方以上に大切なものは何一つ存在しないのです」

 いくら師の言葉とはいえ、素直に頷く気にはなれない。
 セックスはしても本命じゃないからセーフ? アウトだと思う。現在進行形だったら即アウトだ。
 気になる点は他にもある。
 ジュリアスはこの国の英雄だ。子供はどうするのだろう……そればかりは、光希にはどうしようもできない。
 何だか、自分の存在が、シェリーティアにとっても、ジュリアスにとっても、妨げになっているような気がしてしまう……

「サリヴァン……ジュリは子供はどうするのでしょう?」

「といいますと?」

「ジュリはこの国の英雄でしょう。跡継ぎを望まれているのでは?」

 サリヴァンは安心させるようにほほえんだ。

「もしも花嫁が不在でしたら、どなたか娶り、子を成されていたかもしれません。ですが、シャイターンは花嫁を得られた。他を望まれないことは明らかにございます。過去にも“宝石持ち”が同性の花嫁を得た前例はありましたが、お子は成さず、花嫁に寄り添い生涯を終えたと記録にもございますよ。それは誰にも責められることではございません」

「反対する人、いませんか?」

「中にはいるかもしれません。ですが……いるかも判らぬ他者を気にするよりも、隣を歩まれるシャイターンのお気持ちを考えられた方がよろしいでしょう」

 その通り……その通りなのだが、諭すような師の言葉に、どうにもならない反発心が芽生えた。

「殿下?」

「僕は、知らないことが多過ぎて、何が正しくて、正しくないのか、判断がつかないのです。世界を広げたいです。今回のことも、僕は……この先、大切なことを何も知らないまま、ジュリと一緒にいることはできません」

 苦悩の滲む声が出た。サリヴァンは迷える者を導く賢者のような眼差しで、光希を視界に映した。

「そう気負いますな。私にできることがあれば、何でもお申しつけください。シャイターンからも、勉学を再開するお許しをいただいています。ですが殿下……遠い世界からお越しなのですから、知らないことばかりで当然です。急いて全てを明らかになさろうとせずとも、必要に応じて知識は備わるものですよ」

「でも……ジュリは本当にすごいから。僕は頑張らないと……サリヴァン、僕にもできる仕事はありますか? 働いてお金を稼ぐことはできますか?」

 師は虚を突かれた顔で、光希を見つめた。

「仕事ですか……流石にそれは、シャイターンがお許しにならないでしょう。花嫁を独り占めされたくて仕方がないのですから」

 肩を落とす光希を見て、彼は言葉を続けた。

「望むのであれば、時間をかけて説得されるほかありますまい。お二人でよく話し合い、決めていかれてはいかがですか? 与えられた地位に甘んじるを良しとせず、立身を唱えるお心はご立派ですよ」

 あれもこれも、すぐにはどうにもならない。俯く光希の頭を、大きな手が労わるように撫でた。