昼食を終えると、神殿騎士のルスタムに邸の外へと連れ出された。
 公宮を案内してくれるらしいのだが、邸の外に馬車が停まっているのを見て、思わず首を傾げた。

「馬車? 公宮って宮殿の敷地内でしょう?」

「アルサーガ宮殿は大変広いので、場所によっては歩くよりも馬車を使う方が速いのです。公宮一つにしてみても、舞台や湯殿、庭園、妃殿下方の邸と広うございますので、先ずは馬車で巡りながら説明させていただきます」

「そうですか……」

 戸惑いつつ、馬車に架けられた梯子に近づくと、ルスタムは当然のように手を差し伸べた。これぞ騎士といった完璧な仕草だ。
 この待遇は、もう諦めるしかないのだろうか。
 その手を取るには勇気が必要であったが、瞬巡の後、半ば諦めたように手を重ねた。
 光希に続いてルスタムも馬車に乗りこむと、緩やかな振動と共に動き始めた。
 初めての馬車体験に、わくわくしながら窓の外に目をやると、ルスタムは硝子窓を引き上げてくれた。

「わぁ、いい風ー」

 開けた窓から、爽やかな風が吹きこんでくる。心地良さに笑顔になると、つられたようにルスタムもほほえんだ。

「正門までは全て殿下のお邸の一部にございます。もうすぐこの辺り一面に、クロッカスが咲いて紫色に染まるでしょう」

「へぇ」

 今は一面青々としている。これも十分美しいが、クロッカスとはどんな花だろう?

「お邸も庭園も、全てシャイターンが殿下の為に造らせたものです。殿下がこの庭を歩くお姿が映えるように、と遠方から種を取り寄せて植えたのでございますよ」

「……咲くのを、楽しみにしています」

 照れくさそうに、光希は頬を掻いた。歩く姿が映えるかどうかは疑問だが、ジュリアスの気遣いは嬉しい。咲いた様子を、ぜひ見てみたいものだ。
 それにしても、黙っていると固い印象を与える青年だが、こうして話してみると、意外に気さくで話しやすい。
 狭い馬車の中でも、共に居て苦痛はなく、むしろ流れる景色を判り易く説明してくれるので楽しい。

「木々の向こうに見えるお邸はアースレイヤ皇太子の四貴妃のお一人、西妃レイラン様のお邸にございます。西妃様は他の妃方々同様、午後は庭園でお過ごしになられることが多いので、これからご案内する先でご紹介できるでしょう」

「アースレイヤ皇太子の……」

「はい。西妃様は名門バカルディーノ家の生まれで、御年七歳のご子息がおられます。皇后陛下ご不在の公宮では第一位のご身分にございましたが、シャイターンの花嫁ロザインである殿下がお入りになりました今、第二位となります」

 訝しげに眉をひそめる光希を見て、ルスタムは安心させるように言葉を続けた。

「不安に思われることはございません。殿下はシャイターンの花嫁にあらせられます。信仰の象徴である御身を、例え皇帝陛下であろうとも脅かすことはできません」

 淀みない説明を聞きながら、なんとなく、光希は大奥の光景を思い浮かべた。

「……公宮にはどれくらいの人が住んでいるのですか?」

「皇族の姫君達だけでも、三千人はいらっしゃるでしょう」

「三千人!?」

 聞き間違いかと思った。思わず、窓の外に向けていた視線をルスタムに向けると、彼は真顔で首肯した。

「はい。貴人達の身内や召使等を含めれば三万人に上るかと」

「公宮ってそんなに人がいるんですか?」

「はい。アッサラーム宮殿の敷地には、公宮の他にも神舎や軍舎がございます。そちらには更に多くの人間がおりますよ」

「……」

 半信半疑で沈黙する光希に、ルスタムは穏やかに言葉を続けた。

「実際に庭園をご覧になれば、よくお判りになると思います」

 果たして、ルスタムの言葉は本当であった。
 公宮の庭園は、女神の住まう春風駘蕩しゅんぷうたいとうの楽園そのもの。
 遠目にも煌びやかな装いの美しい女達が、庭園のあちらこちらで自由に過ごしている。
 水辺の鳥小屋でさえずりを楽しむ女。
 四阿あずまやで琴を奏でる女。
 子兎と戯れている女。
 芝に寝そべり歓談している者達もいる。
 女だけと思いきや、ちらほら男も見かけた。

「ここにいる人達は皆、皇族の、その……」

 ここは異世界なのだと、今更ながらに思い知らされる光景であった。
 あまりにも現実離れしていて、何を訊けば良いのか、咄嗟に言葉が思い浮かばない。

「ここにいる方々は、皇族やシャイターンの妃、夫人、姫達にございます」

「えっ、シャイターン?」

 光希は、食い入るようにルスタムを見つめた。嫌な予感に身構えていると、案の定、彼は平然と頷いた。

「はい、多くは皇族の姫君方ですが、シャイターンの姫君もいらっしゃいます」

 頭を、ガツン、と殴られた気がした。