この先に進むのは、恐い……

「コーキ……***、********」

 不安そうに仰ぐ光希を見て、ジュリアスは少しだけ残念そうにほほえんだ。視線を和らげ、黒髪を指で梳くと、露わになった額に口づけた。
 水を含んだ布で、性的な触れ方ではなく、丁寧に光希の身体を清めていく。
 そもそも、どうして彼は光希を洗おうとしているのだろう?
 一晩中、砂漠を駆けていたから、砂っぽかったのだろうか。それとも汗臭った?
 腕の匂いを嗅いでいると、ジュリアスに顔を覗きこまれた。

「****、******?」

『俺、臭かった?』

「******?」

『平気?』

 お互いに疑問口調を繰り返している。どうも噛み合っていないようだ。
 身体に震えが走ると、ジュリアスは光希を連れて岸部に上がった。いつものように青い焚火を熾こし、膝の間に光希を座らせて後ろから抱きしめる。
 心地いい温もりに包まれているうちに、眠気がやってきた。思えば、昨夜から動きっぱなしだ。

「眠いです……」

「コーキ、天幕に入ろう」

 ジュリアスは紳士的な仕草で光希をテントに導くと、クッションを整えて優しく寝かせた。

「ジュリは? 砂漠へいきますか?」

「はい、***コーキも******。***は眠って」

「はい……少し」

 目を閉じると、顔中に優しいキスが雨と降る。最後に唇にキスをすると、お休み、と耳朶に囁いた。
 吐息がくすぐったい。光希は忍び笑いを漏らしながら、優しい微睡まどろみに身を委ねた。

 夢を見た。
 まるで鷹のように羽を広げて、光希はいい気持ちで風に乗って滑空していた。
 地上を見下ろすと、騎乗した黒装束の大群が、紅い旗を閃かせて砂漠を疾駆している。 
 砂の対岸には、青い旗を掲げる、武装した大群が待ち構えていた。
 先頭に立つ凛々しい少年は、ジュリアスだ。
 黄金を溶かしたような金髪を風に靡かせ、凛と美しい青い瞳で、厳然と前を見据えている。
 赤と黒の大群が、もの凄い速さで砂と怒号を上げながら押し寄せてくる。
 いよいよ眼前に迫ると、ジュリアスは湾曲した美しいサーベルを鞘から抜いた。
 朗々とときの声を上げて、一気に駆け降りる。地平線を覆う大軍が、ジュリアスを先頭に砂漠を突き進んでいく。
 前線が衝突するや、血飛沫の舞う酷い乱戦になった。
 地上を埋め尽くす、武器を手に争う人、人、人。怒号と咆哮。
 鋼の戛然かつぜんとした響き。爆ぜる火花。溢れる鮮血。
 地上の地獄絵図だ。
 熱砂の上で身動きの取れない騎馬は意味を失くし、あちこちで白兵戦が繰り広げられていた。
 ジュリアスも下馬して勇猛果敢に斬りこんでいる。溢れかえる人の海の中で、ジュリアスは強烈な光を放っていた。
 屈強な武装兵に比べて、ずっと軽装で細身なのに、雷光のように身を翻しては、重く鋭い一撃で敵を薙ぎ払う。鬼神の如し強さだ。
 血の海の中にいても、ジュリアスは目を奪われるほど美しかった。
 額に輝く涙滴るいてきの石と、青の双眸は爛と光り、時折ジュリアスの身体から青い燐光が溢れ出した。
 まるで、青い炎を操る戦神のようだ。

 ――ジュリ……

 これは夢で、届かぬと知っていても呼びかけてしまう。
 恐ろしく強いから、きっと平気だと思うけれど、そんなに一人で敵陣に斬りこまないで欲しい。
 味方を後方にあんなに残して、敵に包囲されて逃げ場を失くしたらどうするのだろう。
 見下ろしていると、ジュリアスは唐突に空を仰いだ。とても驚いた顔をしている。そんなわけがないのに、目と目が合ったように感じた。

「……コーキッ、コーキ……! 大丈夫?」

「ん……」

 目を醒ますと、すぐ近くにジュリアスの綺麗な顔があった。心配そうに見下ろしている。
 うなされていたのか、光希は寝汗を掻いていた。
 怖い夢を見たような気もするが、起きた傍から夢の内容を忘れてしまった。

「あれ……ジュリ?」

 外が明るい。もう陽は昇っているのに、砂漠に出かけなかったのだろうか?

「コーキ、私の**。***、********。天幕を畳んで私と****砂漠にいきましょう。*********」

「砂漠……?」

 訝しげに訊ねる光希の瞳を見て、ジュリアスはしっかりと頷いた。