あっとう間に十日が過ぎた。
 ここへきて四日が経つ頃には、オアシスの暮らしにリズムができていた。
 夜は同じテントで眠り、朝になるとジュリアスは飛竜に乗って砂漠の彼方へ消えてゆく。その姿を見送り、光希は泉に潜ったり、トゥーリオの世話をしたり、覚えた言葉の復習をしたり、テントの周辺を片づけたりと雑用をこなし……時には昼寝をして時間を潰した。
 陽が暮れてジュリアスが帰ってくると、火を囲んで共に食事を楽しむ。
 慣れ親しんだネット社会とは異なる、自然に根づいたオアシスの生活の中で、食事は一番の娯楽だ。
 食後はジュリアスが楽器を演奏したり、たまに光希も歌ったり、言葉を教えてもらったりと団欒して過ごした。
 夜も更けて欠伸が出る頃には、火を消して同じテントに入る。
 暗くなれば眠り、夜明けと共に目を醒ます。規則正しい生活の繰り返し。
 ここはどこなのか、どうして光希はここにいるのか。それはまだ判らない。
 言葉も単語を少しずつ覚えてはいるが、日常会話にはほど遠い。勉強は嫌いだし、思えば英語のテストはいつも平均点以下であった。未知の言葉を習得するには、長い時間がかりそうだ。
 昼間一人でオアシスにいると、先の見えない生活に鬱になり、涙が出そうになることもある。
 それでも、夜になればジュリアスがきてくれるので、どうにか心を壊さずに今日までやってこれた。
 美しい泉も、満点の星空も、雄大な砂漠も……何もかも十日も経てば見慣れた。
 慣れればごく単調な生活の中で、心に潤いを与えてくれるのは、賢く優しい一角獣トゥーリオと、強く美しく優しいジュリアスの存在だけだ。
 ジュリアスは、過剰なほど親切にしてくれる。
 衣食住を惜しみなく提供し、酒や果物の嗜好品から、身を飾る装飾品まで与えてくれる。砂漠に囲まれた水と緑しかないオアシスの中で、不自然なほど生活に困らない。
 それどころか、至れり尽くせりの快適な生活を送っている。
 ジュリアスには感謝してもしきれないが、現状は彼の親切に対して返せるものが何一つないので辛い……
 ここへきて五日目くらいまでは、どこか楽観的に考えていたが、変わり映えのない日々が続くうちに心境は変わってきた。
 優しいジュリアスは、光希をいきなり砂漠に放置はしないと思うが、このまま衣食住を彼に頼りきっていていいのだろうか。
 日本に帰れなければ、生きている限り、ここでの生活が続いていくのだ。
 一人でも生きていく方法を、探さないといけないのかもしれない。

 夜になると、いつものように砂漠の彼方からジュリアスは飛竜に乗ってやってきた。
 オアシスに近づいてくる見慣れた影に、光希は大きく手を振った。
 ジュリアスは必ず手を広げて迎えてくれる。光希が少し距離を置いて笑いかけると、彼の方から抱きしめた。
 やがて、少し顔を離し光希を見下ろし……額と頬に触れるだけのキスをする。

「コーキ、ただいま」

「お帰り」

 照れくさげに、光希は視線を逸らした。ジュリアスの甘い仕草にも大分慣れたが、恥ずかしくないわけではない。

「ふふ、******。***寝て***?」

 掌を重ねて眠る仕草をするジュリアスを見て、光希は頷いた。

「泉で泳ぎます。ご飯を食べます。勉強をします。『で、えーと……』、眠ります」

「うん、コーキは****」

 訥々とつとつと喋る光希を見て、ジュリアスは生徒を愛でる教師のようにほほえんだ。
 いつものように、背中に腕を回してオアシスへと歩き始める。
 光希は横目でジュリアスの様子を伺い、どこにも怪我をしていないことを素早く確かめた。
 以前、腰にいているサーベルの鞘に、血がついていたのだ。
 何の血か不明だが、帯剣しているサーベルは飾りではなく、実戦で使用しているのだと判り、会う度に怪我をしていないか確認する癖がついた。

「ふふ、髪が*******」

 不意に、後ろ髪を撫でられた。撫でられたところを触ってみると、跳ねていた。昼寝をしたせいだろう。
 ということは、今のは癖がついているよ、といった意味合いだろうか。

「髪がはあねーて?」

「髪がはねています」

 ジュリアスはほほえみながらもう一度発音してくれた。光希が復唱すると、そうだよ、というように頷く。

「***、********」

 ふと光希は沈黙した。
 今の音の響き……はっきりとした意味は判らないが、ジュリアスが光希に対してよく口にする言葉だ。
 恐らく、かわいいとか、抱きしめたいとか、キスしたいとか……そのあたりの意味合いだと思う。
 以前オウム返しに口にしたら、眩い笑顔で抱きしめられて、唇にキスをされたことがある。この単語の響きを聞いた時は、気をつけなくてはいけない。
 彼は、割と頻繁に光希にキスをする。
 好きな子にするキスなのか、家族にする親愛のキスなのか、挨拶なのかは判らない。
 理由は何であれ、ジュリアスにとって光希が特別であればいい。
 もう、自分の気持ちにうっすら気づいてはいるのだが、その辺を転げ回りたい心境に陥るので、深く考えないようにしている。
 オアシスに戻ると、いつものように火を囲んで、主にジュリアスが食事の準備をした。
 光希も野菜を洗う作業だけは手伝った。頑丈な鍋の中に、カットした野菜、厚切の肉、香草に乾燥果物を入れて蓋を閉じて火にかける。
 しばらくすると、野菜と肉のいい匂いが辺りに漂い出した。じっくり煮込むと本当に美味しいのだ。鍋を火から降ろすと、ジュリアスは器によそって光希に手渡してくれた。

「はい。熱い***、*****」

 光希はにっこり笑って器を受け取った。
 彼は、朝も夜も、用意した食事を自分よりも先に光希に与えようとする。光希が口をつける様子を見てから、ようやく自分も食べ始めるのだ。
 神々しい容貌からして、人に尽くさせるタイプに見えるが、非常に甲斐甲斐しく世話をしてくれる。少なくとも、光希に対しては出会った時からそうだ。
 これだけ甘やかされて、いざという時に自立できるのか不安である。