アッサラーム夜想曲

『幾千夜に捧ぐ恋歌』





 ― 『幾千夜に捧ぐ恋歌・四』 ―




 朗読会の日。
 いつもより寝過ごした光希は、ジュリアスに揺り起こされて眼を醒ました。頭が重い……すぐに身体の不調に気がついた。

「知恵熱が出た……」

 これは絶対、恋文に頭を使い過ぎたせいだ。額を押さえる光希を、ジュリアスは心配そうに見ている。続く言葉を予想して、光希はきびきびと寝台を降りた。

「平気」

「そうは見えません」

 背中から抱きしめられて、光希は素直にもたれかかった。

「うーん……でも、今日の為に皆が準備してくれているし、いくよ」

「欠席してもいいでしょう」

「せっかく書いたし、僕も少し楽しみなんだ。今日は早く帰るよ。ジュリはきたら駄目だからね」

 念押しすると、ジュリアスは不満そうにしながらも頷いた。

「判りました。具合は悪いのだから、無理はしないでくださいね」

「うん」

 昼休の鐘が鳴ると、工房の一角に朗読会の参加者が集まってきた。意外なことにサイードとアルシャッドまでいる。
 熱が上がっている自覚はあるが、光希は不調を堪えて檀上に上がった。
 読み上げるのは、光希も含めて七名だ。光希が引き留めたので、ケイトは嫌そうにしながらも輪の端っこで傾聴している。

「蒼い星から尖塔を見下ろす友よ、雷鳴の聖歌を響かせ、黄金時代が始まる。黄水仙の香りがしおれても、心のなかで無限に香るもの。いつかまた、会える日まで」

 と、この美しい詩を詠み上げたのは、あのサディールである。
 強面からは想像もつかぬ繊細な詩だ。
 強靭体躯な彼等を見ていると、詩とは無縁に思えるが、意外と美しい詩を詠む者は多い。アッサラームには教養人が多いのだ。
 幾人かの後に、緊張した面持ちでスヴェンも檀上に上がった。

「月光が翳る夜には、優しい涙雨に合わせて、どうか歌ってください。私の愛しい小夜啼鳥……」

 スヴェンはケイトを熱っぽく見つめて歌う。

「その調べは、貴方が歌ってはじめて、とても甘美になるのです」

 一途な瞳でケイトに歌を読むスヴェンを見て、光希は瞳を和ませた。

「君は夜明けを知らせる、明るいしるし、曇りなき宵の明星。僕のために瞬いているのは、なぜ?」

「さぁー? 知りません」

 さらりとケイトが流すと、拍手と共に、愉快な笑いが起おこった。スヴェンの照れ臭げな顔を見て、光希は微笑んだ。

「驚いた。素敵な詩だったよ! スヴェンは感性が豊かだね」

 本心であった。思えば自分が十三の頃、これほどひたむきな恋をしただろうか?
 淡い恋心なら少年時代にも覚えはあるが、ジュリアスとの出会いを想うと、全てが霞んでしまう。
 在りし日の恋人を想う。もしも、少年の頃に出会えていたら、彼もスヴェンのように一途に想ってくれただろうか?

「殿下?」

「あ、いや。なんでもない……」

 我に返った光希は、小さく笑った。

「さて、次は僕の番だ。スヴェンには負けないよ」

 思考を切り替えて席を立った光希は、部屋の片隅を見て思わずぎょっとした。いつの間にか、ジュリアスがいるではないか。
 瞳が合うと、彼は悪戯めいた光を眼に灯して、どうぞ? というように手で壇上を指した。

「――っ」

 これは恥ずかしい! しかし、周囲はまだジュリアスに気付いていない。皆の前で光希が狼狽えれば、ジュリアスの存在に気付かれてしまう。そうすれば、緩んだ空気は忽ち張り詰めてしまうだろう。
 覚悟を決めると、照れくささを押し殺して、光希は口を開いた。

「夜闇に包まれても、ジャスミンと金香木チャンパックが、帰り道を教えてくれる」

 本人を前にして読むのは、かなり恥ずかしい。
 結局、詩はケイトではなく、ジュリアスを想い浮かべながら書き直していた。

「夢から醒めても、全身を黄金色きんいろの光輝に包まれる……」

 これは、ジュリアスにあてた恋文だ。なるべく湾曲した表現にしたつもりだが、彼をたとえる言葉がそちこちに散りばめられている。
 どう思っているだろう? 恥ずかしくて、ジュリアスの顔を見ることができない。
 どうにか詠み終えて拍手に応えていると、ジュリアスが傍にやってきた。

「素敵な恋歌でしたよ」

 嬉しそうに微笑まれて、光希は絶句した。他の者も、ぎょっとしたようにジュリアスを見ている。

「朝より、熱が上がっているでしょう? 今日はもう帰りましょう」

「えぇ? あ、ちょっと」

 挨拶もそこそこに、ジュリアスは光希の肩を抱いて、檀上から降ろした。工房仲間達のはやし立てる声や、声援に見送られて、光希は慌ただしく工房から連れ出された。

「え? ジュリも帰るの?」

「送りますよ」

 外に出ると、ルスタムが御者台の上で待機していた。促されるまま馬車に乗りこむと、すぐに緩やかな振動が伝わってくる。

「光希」

 隣を仰いで、鼓動が撥ねた。熱の灯った青い双眸が、まっすぐ光希を見ている。詩を聞かれた羞恥がこみあげて、顔を背けると耳朶を舐められた。

「あっ」

 どうにか声を堪えると、腰を強く抱かれた。耳の輪郭を唇でなぞられ、舌を穴に挿れられる。濡れた音が鼓膜を叩き、光希は眼をぎゅっと瞑った。

「待って」

 強くいったつもりが、想像以上にか細い声が出た。ジュリアスは答えない。眼の端に涙が滲んだ。
 腰を抱く腕が、下へ降りていく。太腿の内側をするりと撫でられて、光希は鼻にかかった声を上げた。

「ちょっと待って」

「想像していた通りでしたよ。頬を染めて、恥じらう貴方はすごくかわいらしかった」

「……そんな馬鹿な」

「本当ですよ。詠み上げている途中で、攫ってしまいそうでした。あんなに魅力的な貴方を、他の誰にも見せたくなかった」

「う、だからって……挨拶もせずに、抜けてきちゃったよ」

 拗ねたように光希がいうと、ジュリアスは人差し指で光希の唇に触れた。かぁっと頬が熱くなり、光希は慌てて眼を瞑った。

「これでも、読み終えるまでは、と我慢したのです。私を想って書いてくれたのでしょう?」

 耳朶に囁かれて、光希は震えた。返事を請うように耳元で名を呼ばれて、小さく頷くと、頬に優しいキスが贈られた。

「とても嬉しかった。ありがとう」

「……頑張ったよ」

 照れくささを誤魔化すように笑うと、ジュリアスは優しい瞳をした。

「なぜでしょうね……光希から詩を贈られるのは、今日が初めてのはずなのに、とても懐かしく感じたのです。本当に嬉しかった。ありがとう、光希」

 想いの籠った言葉に、光希の胸も暖かくなった。

「うん……どういたしまして」

 素直にもたれかかり、眼を瞑る。優しい手が、愛おしそうに髪を梳いてゆく。
 嬉しそうにしているジュリアスを見て、頑張った甲斐があったと光希は満足した。




『幾千夜に捧ぐ恋歌』


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