アッサラーム夜想曲

『幾千夜に捧ぐ恋歌』





 ― 『幾千夜に捧ぐ恋歌・三』 ―




 十日後。
 屋敷の工房で筆を手に、紙面とにらめっこをしていた光希は、どうにかして詩を完成させた。
 清書したそれを読み返し、満足げに頷いてみせる。
 休憩ついでに湯を浴びて戻ってくると、机に置きっぱなしにしていた詩を手にしているジュリアスを見て、思わずカッとなった。

「ちょっと! 勝手に見ないでよ」

「光希が書いたの?」

「そうだよ。放っておいて」

「見過ごせるわけがないでしょう」

 ジュリアスは蒼い双眸を針のように細めた。咎めるような眼差しを向けられて、光希は罰の悪い表情を浮かべた。

「ただの遊びだよ。そういう反応をされると思ったから、いいたくなかったんだ」

「恋文が流行っているのは知っていますが、光希がそれほど興味を引かれているとは知りませんでした」

「聞く分には、なかなか楽しいよ。僕に文才はないと判ったから、書くのはこれで最後にするけど」

「それで、これは誰に宛てて書いているの?」

「え?」

「銀色の髪の……って、私ではありませんよね」

 ぎくぎく、と光希はたじろいだ。明確な対象がいるわけではない。いろいろ書き散らした後に、いい文章だけを残したらそうなったのだ。

「誰のことですか?」

「や、そこらへんは曖昧なんだ。特定の誰かを書いているわけじゃない」

「銀色の髪の、誰を連想して書いたの?」

「……」

 どう説明したものか、光希は言葉に詰まった。最初は、冗談のつもりでケイトに宛てて書こうとしていたので、その一節が残っているに過ぎない。

「書き上げたら、渡すんですか?」

「渡さないよ」

「誰にも?」

「うん。人にあげるのが目的じゃなくて、朗読会で読み合う為に書いているんだ」

 白状すると、ジュリアスは面白くなさそうな顔で腕を組んだ。

「へぇ、朗読会に。それほど、光希は恋文に熱中しているのですか」

「そうでもないんだけど……」

「私も出席していいですか?」

「だめ」

「どうして?」

「ジュリがきたら、皆緊張しちゃうよ。それに恋文を書かない人に参加資格はないんだからね」

「もちろん、光希に宛てて書きます」

「えぇ?」

 不満そうに光希が声を上げると、ジュリアスもむっとしたように眉をひそめた。

「私が書いては不満ですか?」

「ジュリがその場にいたら、きっと皆、公平に判断できないよ。ジュリを選ぶしかないじゃない」

「光希だって同じではありませんか?」

「だから、そう思われないように、僕はウケ狙いでケイトに……あ」

「そう、ケイトに宛てて書いていたのですね」

「いや、その……」

「冗談だとしても、光希が他の誰かに恋文を書くのは、気持ちのいいものではありませんね」

「怒らないでよ。今度の朗読会を最後に、もう参加するのはやめるから」

「そういう問題ではありません」

「もう参加すると約束してしまったし、見逃してよ」

「無理です」

「ちょっとした内輪の朗読会だよ。ジュリが心配するようなことなんて一つもない」

「心配しかありませんよ。どんな顔で、声で、それを光希が読むのか気になります。周りがどう思うのか、どんな眼で貴方を見るのか想像するだけで腹立たしいのに」

 真摯に告げられて、光希は視線を泳がせた。頬を手の甲で撫でられ、恐る恐る視線を戻す。

「そんな心配をするのは、誓ってジュリだけだから。僕が読むといつも笑いが起こるんだよ?」

「信じられません。本当にそうなのか、この瞳で確かめにいきます」

「こないでよぉ」

 そっぽを向くジュリアスの頬を両手で挟みこんで、光希は背伸びをした。意図を察して、ジュリアスも光希の腰に腕を回す。そっと唇を塞いだ。

「今回だけだから。ね?」

 彼にしか通用しない上目遣いで仰ぐと、ジュリアスは小さく息を呑んだ。

「……卑怯ですよ」

 こんな拙い誘惑に誘われてくれる恋人に、愛しさが芽吹く。

「たまにはいいじゃないか。普段はジュリにまるで勝てないんだから」

「心にもないことを。私が光希に限っては弱いことを、十分知っているくせに」

「うーん? どうかな?」

 誤魔化すように笑うと、ジュリアスはつんとそっぽを向いた。拗ねたような態度が、妙にかわいらしかった。




『幾千夜に捧ぐ恋歌』


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