アッサラーム夜想曲

『幾千夜に捧ぐ恋歌』





 ― 『幾千夜に捧ぐ恋歌・二』 ―




 昼休み。クロガネ隊の工房。
 机で物書きに熱中しているスヴェンの手元を、不思議そうな顔で同僚が覗きこんだ。

「……お前、何書いているのかと思えば、何書いてるんだ?」

「うわ、ちょっと見ないでくださいよ」

「どれどれ、見せてみろ」

 背の高い隊員は小さな折紙を拡げると、取り返そうとするスヴェンの手をよけながら中を覗きこんだ。

「うわぁーっ! やめて! 見ないでっ!!」

「“貴方は空に浮かぶ可憐な星”……ってなんじゃそりゃ」

 愉快そうに笑う男を見て、興味を引かれた他の隊員も集まってきた。
 真っ赤な顔で手紙を取り返そうとするスヴェンの手を阻み、彼は他の隊員にも手紙を見せた。

「ひぃ、恥ずかしいッ! 読まないでくださいッ」

「ぶはっ。面白い奴だとは思っていたけど、想像以上に面白いな」

「煩いっスよ! 俺の恋心を、からかわないでください」

「褒めてるんだよ。ていうか、お前はまだケイトのこと諦めてなかったのか?」

「まだ、ってなんですか? これからですよ、俺の戦いは」

「……勝ち目はないんじゃないのか?」

 少々気の毒そうな顔で男が言うと、スヴェンは拗ねたように頬杖をつき、ようやく戻ってきた手紙を悩ましげに見つめた。

「こんなに好きなのに……」

「スヴェン、失恋の特効薬は新しい恋だぜ? 誰かいい子を紹介してもらえよ」

「まだ、失恋したわけじゃないですよ」

 キッとスヴェンが睨むと、取り囲む同僚達は肩をすくめてみせた。

「要は、望み薄なケイトの尻を追いかけるより、他に眼を向けたらどうだって話だよ」

「んなっ!? 下世話ですよッ! ケイト先輩の尻って、尻って……何を想像しているんですか!?」

 がたっと席を立ち、鼻を押えてスヴェンは喚いた。手の隙間から、赤い血がぽたりと滴る。

「落ち着け。下世話なのはお前だ。なんで鼻血吹いてんだ? どっかで抜いてきた方がいいんじゃねぇか?」

「抜いてこいって!? 俺のケイト先輩になんて暴言をッ!!」

「――何の話ですか?」

 大人しいケイトにしては、冷たい声で一同を見渡した。
 途中から会話を聞いていた光希とケイトは、騒がしい空気の理由が判らず始めは首を傾げたが、真っ赤な顔のスヴェン、にやにやしている隊員達を見て、なんとなく想像がついた。
 硬直したスヴェンの手から、はらり、手紙が零れ落ちた。風の悪戯でケイトの足元にそれは転がる。

「よせ……」

 誰かが、深刻そうに呟いた。ケイトは零れ落ちる髪を耳にかけながら、流れるようにそれを拾った。
 小さな紙切れに眼を注ぐケイトを見て、光希はなんとなく不安を覚えた。ひょいと顔を寄せて、中を覗きこむ。素早く眼を走らせて内容を確認すると、ケイトの様子を窺った。不思議な光彩の瞳が、スヴェンに向けられる。スヴェンの顔が緊張に凍りついていく。

「――それ、僕が書いたんだ」

 気付けば、口走っていた。

「「「へ?」」」

 頓狂な声があちこちから上がる。

「やだなァ、人の書いたものを、そんな風に暴くものじゃないよ」

「殿下が? ……スヴェンの署名がありますけど」

 ケイトは訝しげに光希を見た。

「ウン。共同創作なんだ。表現の幅を広げたいと思って、スヴェンと恋文の練習していたんだ」

「練習ですか?」

「そうそう。文字の練習にもなるし、感受性が高まるかなと思って」

 自分でも苦しいものを感じたが、集まった面々は、安堵したような顔で頷いた。

「なんだ、そういうことか。悪かったな、スヴェン。笑ったりして」

 和やかに転じた空気に便乗するように、スヴェンは陽気な笑みを浮かべている。ケイトだけは疑惑に満ちた眼差し向けてきたが、光希は笑顔で跳ね返した。
 少年の恋心が、これ以上傷つくのを見たくなかったのだ。
 しかし、この一件は思わぬ展開を招くことになる。
 クロガネ隊の中で、意中の相手に恋文をしたためる不思議な流行が起きたのだ。次第に輪は広まり、製鉄班や内勤者に限らず、軍舎全体へと浸透していった。
 早朝や黄昏時に、不定期で恋文の朗読会なるものが開かれ、きっかけを作った光希はしばしば招かれるようになった。
 光希の綴る拙い言葉の恋文は、意外とウケが良かった。
 最初は嘘の延長線上で、渋々奇妙な流行に乗っていた光希だが、次第に楽しむようになり、率先して朗読会に参加したりもした。
 恋文は、初めのうちはジュリアスを想い浮かべて書いていたのだが、今では、架空の誰かに宛てた、恋する乙女のような文を書くこともあった。
 一月が経っても、熱は冷めやらず。どの恋文が最も優れているか、内輪で競い合うことになった。

「ぜひ、殿下もご参加ください」

 周囲から熱心に誘われて、光希は引き攣った顔で了承する羽目になった。

「参加されるんですって? 頑張ってくださいね」

 この流行のきっかけにされたケイトは、少々根に持っているらしく、光希が大会に出ると知ってからかった。

「……どうも。頑張るよ。ケイトに宛てて書こうかな」

「いいですよ?」

 意地悪のつもりでいったら、ケイトも負けじといい返してきた。互いに、ふふふ、と笑顔で応じる。

「どうせ、爆笑ものだと侮っているんでしょ? いっておくけど、大分マシになってきたんだよ。皆の前で赤面するのは、果たしてどちらかな?」

「いいんですか? 俺のために恋文を書いてくださるなんて、シャイターンが知れば何ておっしゃるか」

「う」

 小さく呻く光希を見て、ケイトはくすりと微笑した。

「全く、人が好いんですから。簡単に周囲に乗せられて、後悔しているでしょう?」

「うぐ……まぁ。いや、出席するよ。もう返事しちゃったし」

「えぇ?」

 今度こそ、ケイトは不満そうな声を上げた。

「ジュリにはいわないよ。わざわざ教える必要もないし」

「殿下、それはいい考えとはいえませんよ……」

「うぅ……」

 困り顔の友人を見て、光希も腕を組んで考え込んだ。最初はこんなつもりではなかったのに、いつの間にか流行は広まり、ジュリアスに隠れて朗読会で競おうとしている。

「出席するのは、これを最後にするよ」

 ふぅ、と憂鬱そうに息を吐くと、隣でケイトは仕方なさそうに肩をすくめてみせた。




『幾千夜に捧ぐ恋歌』


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