アッサラーム夜想曲

『響き渡る、鉄の調和』





 ― 『響き渡る、鉄の調和・十』 ―




 鉱山町に礼拝へと誘う朗唱が聞こえてきた。
 白い煉瓦造りの寺院には、しめやかで荘厳な空気が満ちており、人々は絨緞の上に腰を下ろして、礼拝の始まりを待っていた。
 髭を落として身を清めたダンカンは、祭壇の上から手向けの言葉を口にした。

「名簿を見た時、知っている名前ばかりで、言葉が出てこなかった。グレアム、ジャイロ、ラブレス……皆同じ坑道に潜った仲間だ。こんな風に別れを告げるのは辛い……」

 顔の煤を落として、一張羅を羽織った炭鉱夫達は、檀上に立つダンカンを哀しそうな瞳で見ている。お調子者の歯抜けのジリーも、気難しいベルゼでさえ、沈んだ表情でいた。

「跡形もなく、姿を消してしまった。青い星に還った友よ、今度語らいたい時はどうすればいい?」

 言葉を切り、眉間を押えた後にダンカンは前を見据えた。

「死んでいった仲間達、巻き込まれて死んだ市民達。二度と同じ過ちを起こさなうよう、鉱山の改善を続けることが残された者の使命だ」

 毅然と告げた言葉は、自らを律するものであり、組合の幹部に放った警告でもあった。
 黙祷の後には、祈祷が続く。
 そして、安らかな眠りを願う、鎮魂歌がしめやかな寺院に響き渡った。重なる歌声の合間に、すすり泣く声、アッサラームでは聞き慣れない、地元の響きが時折混じる。
 鉱山に散った命を、もの哀しい顔で人々は悼んだ。
 事故を起こした第一の閉口は確実とされる中、光希は鉱石の価値を改めてジュリアスに告げた。
 極めて稀少価値の高い金属、この世で最も柔軟性に富むくろがねは正式に価値を認められ、軍が復興支援を約束したことが決め手となり、再稼働が決まった。

「テオには世話になったな」

 別れの日、ダンカンは真面目な顔をして頭を下げた。

「こちらこそ、大変お世話になりました。おかげさまで、無事に任務を終えることができました」

「本当に感謝しているんだ。テオがいなかったら、事故はもっと酷いものになってた。それに、第一の再稼働を上に掛け合ってくれたんだろ?」

 感謝の眼で見下ろされて、光希は照れ臭げに視線を伏せた。頬を掻きながら、口を開く。

「それは、アッサラーム軍の皆と……ダンカンさん達のこれまでの働きがあったからこそです」

 控えめに光希が笑うと、ダンカンは眼を眇めた。幼く見える青年が、軍の下っ端でないことにダンカンは薄々感づいていた。しかし、本人が明かさない限り疑問を口にするつもりはない。

「テオ。本当に感謝してる。困ったことがあれば、いつでも力になるぜ」

 この世間知らずで、おっとりしている軍人のことが、鉱山技師として常駐して欲しいくらいに、ダンカンは好きになっていた。

「はい! ありがとうございます」

 涼風に吹かれながら、別れの視線を交わす。互いの息災を祈って、穏やかな笑顔を浮かべた。
 隣で光希達の別れを見守りながら、ジュリアスは冷たい視線を一方へ投げかけた。
 瞳の合った男、組合の幹部達は吹き出す冷や汗を必死に堪えているようだ。

 ――裏切れば、粛清する。

 声なき脅しを視線にのせて、ジュリアスは冷たく睥睨した。
 閉口確実。再開は金輪際ないだろうと誰もが思っていた坑道の再稼働が決まった背景には、光希の申し入れも一因しているが、ジュリアスの率いる諜報部隊が掴んだ真相にるところが大きい。
 炭鉱事故は、荷車の老朽化、炭塵発火による爆発事故と分析されたが、あくまで表向きの公表に過ぎない。
 真相は、もっとずっと残酷だ。
 事故は偶然ではない。列車の連結は人為的に外されたのだ。
 利権を狙う組合が、事故に見せかけて、邪魔な労働者達を粛清しようと目論んでいたのである。
 組合が救出に手間をかけたのも、爆発後に生じる一酸化中毒で労働者達を殺す為であった。遺族より、傷害を負った労働者の賠償や慰問の方が高くつく。殺してしまえば安上がりという、非人道的な計算があった。
 事故があった日。
 部外者であるアッサラーム軍が救助活動に奔走する間、組合の救援部隊は麓で立ち往生していたのは、そういう理由だ。
 軍が救助に駆けつけなければ、数百名規模の死者を出していただろう。
 明るみに出れば、鉱山まるごと閉鎖しかねない醜聞を材料に、ジュリアスは組合への利権介入を取りつけていた。
 今後は組合の定める煩瑣はんさな手続きを省いて、軍から要請する資源を直にアッサラームに運び入れることができる。
 経緯いきさつの全容を知る者は、少ない。
 血腥ちなまぐさい舞台裏を、ジュリアスは光希にも明かさなかった。純粋に鉄の探究心に燃える光希を、哀しませたくなかったのだ。
 第一坑の再稼働と、アッサラームへの供給を聞いて、光希は素直に喜んだ。
 制作意欲に拍車がかかったようで、眼を輝かせて、早くアッサラームに帰ろうと請う。
 澄んだ笑みを見て、今後も彼にだけは明かすまいとジュリアスは心に決めた。



 アッサラームに戻り、十数日。
 気の遠くなるような調整を繰り返し、義手は完成した。光希は逸る気持ちを抑えられず、完成したその日のうちにアルスランを工房に呼んだ。皆が見守る中、

「不思議だ……鉄の腕なのに、以前と変わらない。とても軽い」

 生ける鉄の腕は、すぐにアルスランに馴染んだ。冷たい拳を握りしめて、驚愕に眼を瞠っている。

「うまくいった!」

 狂喜乱舞する光希を暫し見下ろすと、アルスランはおもむろに距離を取った。慎重にサーベルを右手で抜く。
 柄を握りしめて、しなやかな身のこなしで、身体の左右に刃先を流す。その様子を、光希は満面の笑みで見守っていた。

「良かった。大成功だ」

「感謝してもしきれません」

「いやぁ、良かった」

 てらいのない感謝の言葉に、光希は頭を掻きながらはにかんだ。

「貴方には、随分と迷惑をかけてしまいました」

「いやいや、僕の方が何倍も迷惑をかけていますから。アルスランには、いつも助けてもらっています」

 ふ、とほほえむアルスランを見て、光希も笑みを浮かべた。

「殿下のたえなる美徳ですね。本当におおらかでいらっしゃるから、口も利けぬ天上人であらせられることを、つい忘れそうになる」

「よしてください。そんなたいそうなものじゃないんだから」

「本当ですよ」

「優雅さに欠けているだけです。僕が何もできない子供だったことを、よく知っているでしょう?」

 出会った当初を思い出して、アルスランは口元を緩めた。確かに、今よりもずっと幼かったと思いながら眼を細める。

「成長されましたね」

「おかげさまで。鉱山でも、あらゆることから守ってくれましたね。謝るのも、お礼をいうのも僕の方ですよ」

 詳しいことは判らないが、あの炭鉱事故に裏があることを、光希はなんとなく肌で感じていた。
 ジュリアスの到着は時期が良すぎたし、難航するかに思えた鉱山組合との交渉は、随分とあっさり決着がついた。アッサラームの威光だけではない、なんらかの取引があったのだろう。

「貴方は真に尊い方だ」

 アルスランは騎士然と跪くと、光希の手を右手で取った。

「あ、アルスラン……」

 狼狽えて、引き抜こうとする手をやんわり握られた。恭しく甲に唇が落とされる。
 進退窮まった状態で、光希は蒼氷色そうひいろの双眸を見下ろした。

「殿下は、私の苦しみを癒し、新たな腕を授けてくださった。貴方が望む時には、いつでも力になると約束しましょう」

 大仰な言葉に、光希は慌てた。

「そんな、責任を感じる必要はありませんよ。僕がそうしたくて、したことだから。その腕が、アルスランの助けになれば、僕はそれで十分だし」

 狼狽える光希を仰いで、アルスランはどこか悪戯めいた光を瞳に灯して、笑った。

「私も、そうしたくてするのです。私がそうと決めた、心の在り方ですから、殿下が気にされる必要はありません」

「本当に、気にしなくていいですよ? そもそも、アルシャッド先輩やクロガネ隊の皆のおかげであって、僕だけの力じゃないんだから……」

「殿下。感謝しております」

 晴れやかな顔で笑うと、光希の手をアルスランは額に押し当てた。ジュリアスもよくやってみせる、アッサラーム風の従順を示す仕草だ。

「……っ」

 これまで、彼にここまで想われたことはない。
 居心地が悪くて、光希は視線を彷徨わせた。工房の人間が、興味深そうにこちらを見ており、増々居たたまれなくなった。
 彼が、こんな風にまっすぐ感情を示す人だとは、知らなかった。いや、限られた相手には見せる素顔であるそれを、光希に見せるとは思っていなかった。

「判りました! 判りましたからッ」

 慌てて喚くと、アルスランは屈託のない笑みを見せた。慌てふためく光希を見て、周囲から笑いが起こる。

「殿下は色男ですなぁ」

 悪戯っぽくサイードがいうと、周囲から賑やかな笑いが起こった。アルシャッドやケイトまで笑っている。光希は困り顔で呻くのであった。




『響き渡る、鉄の調和』


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