アッサラーム夜想曲

『織りなす記憶の紡ぎ歌』





 ― 『織りなす記憶の紡ぎ歌・十五』 ―




 空が白み始めた黎明に、光希は眼を醒ました。
 長い夢を見ていたような、不思議な心地であった。隣に眠るジュリアスを見て、僅かに眼を瞠る。

「ジュリ……」

 記憶にあるよりも、少しやつれたように思う。美しく端正な顔に眼を注ぎ、頬にそっと唇を落とした。

「ごめん、心配かけた……」

 金髪を優しく梳いてやると、くすぐったそうにジュリアスは眼を開けた。微笑んでいる光希を見上げて、青い双眸を喜びに煌めかせた。

「お早う、光希」

「お早う、ジュリ」

 いつものように朝の挨拶をしただけなのに、どういうわけか想いが溢れて、視界が潤んだ。驚いた表情を浮かべるジュリアスの頬に、光希は素早く口づけた。青い双眸が驚きに見開かれる。

「……光希? 泣いているの?」

 身体を起こしたジュリアスは、心配そうに顔を覗きこんでくる。光希は泣き顔をあげると、もう一度唇にキスをした。

「嬉しくて……」

 揺れる青い瞳を見つめたまま、手を伸ばした。すぐに背中に腕が回される。どこか遠慮がちな触れ方に、光希の方から強くしがみついた。

「愛している。ずっと傍にいてくれて、ありがとう……ッ」

「あぁ……神よ」

 紛れもない安堵の滲んだ呟きに、光希は眼を閉じた。
 涙が頬を伝う。彼の震えが治まるまで、光希は広い背中を何遍も摩ってやった。

 +

 記憶は戻ったが、ジュリアスの過保護は治らなかった。むしろ悪化したように思う。記憶を失くしたことが、相当に堪えたらしい。
 屋敷の外へ出ることを許さず、アースレイヤからの公務の申し入れもことごとく断っていた。
 心配をかけた身として、大人しく屋敷に引きこもる光希であったが、軟禁生活が十日も続くと、このままではいけないと思うようになった。
 夜半に戻ってきたジュリアスを、光希は部屋に明かりを灯したまま迎え入れた。

「お帰りなさい」

「ただいま。まだ起きていたの?」

「うん。少し、話をしようと思って」

 光希の顔色を窺うように、ジュリアスは黙り込んだ。今の状態が、不自然であることは彼も判っているのだ。

「明日から、クロガネ隊に復帰しようと思うんだ」

「もう?」

「遅いくらいだよ。病気でもないのに、十日も休ませてもらった。十分だよ。僕はすっかり元気なんだから」

「たったの十日ですよ」

「……あのね、ジュリ。記憶を失くしていても、僕はジュリに惹かれていたよ」

 眉をひそめるジュリアスを仰いで、光希は垂れた両腕をぎゅっと握った。

「本当だよ。ジュリは優しくて恰好良くて、凄く甘くて……好きにならない方が難しいよ」

「そういう割には、私に怯えていたではありませんか」

「そりゃ、言葉も判らないし、記憶のない僕は、同姓を好きになった経験だってないんだから。でも、ちゃんと好きになったよ」

 沈黙が流れる。探るような眼差しを向けるジュリアスを仰いで、光希は辛抱強く待った。

「……私の眼の届かないところで、貴方が倒れやしないか不安なのです」

「そう簡単に倒れないし、記憶喪失にもならないよ。あんなことは、一度あれば十分だ」

「次がないとは、いい切れないでしょう。不安なのです」

 真摯に訴える眼差しを受け留めて、光希は腕を伸ばすとジュリアスの頬を両手で包みこんだ。

「ジュリは僕よりずっと忙しいし、仕事も大変だし、倒れるかもしれないよね?」

「私は――」

「大丈夫、なんて根拠はないでしょ? お互い様でしょ?」

 頬を包む腕を、ジュリアスは一瞬で掴んだ。強い眼差しで光希を見下ろす。

「私と貴方が、同じなわけがないでしょう」

「不安な気持ちは、同じだよ。でも、もしジュリが記憶を失くしたら、今度は僕が想いを伝えるね」

「え?」

「ジュリにもう一度好きになってもらえるように、今度は僕が頑張るよ」

「……」

 拘束されていた腕が緩んだ。淡い笑みを浮かべるジュリアスの頬を、光希はもう一度両手で包みこんだ。

「だから、心配いらないよね?」

 半ば強引に結論づける光希を見て、ジュリアスは表情を和らげた。仕方ないなぁ、というように光希を抱きしめる。

「判りましたよ。絶対に、無理はしないでくださいね」

「はい!」

 翌日、光希は屋敷の外へ出ることを許された。
 久しぶりに工房に顔を見せると、クロガネ隊の仲間は安堵した顔で光希を取り囲んだ。記憶を失くしていたとは知らない彼等は、光希は療養の為に休んでいたと思っているのだ。
 健康そのもの、元気な光希であったが、工房で少しでも物を運ぼうものなら、傍にいる誰かにすかさず取り上げられてしまう。

 何もかも正常に戻るには、更に数日を要するのであった。




『織りなす記憶の紡ぎ歌』


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