アッサラーム夜想曲

『クロガネの応援歌』





 ― 『クロガネの応援歌・二』 ―




 真夜中。朝課の鐘が鳴る頃。
 屋敷の工房に籠ったまま出てこない光希を心配して、ジュリアスはそっと背中に声をかけた。

「まだ起きているのですか?」

「あ……そろそろ寝るよ」

 机の傍によると、ジュリアスは光希の手元を覗きこんだ。

「何の制作をしているのですか?」

「ちょっと復習というか、明日の準備をしていただけ」

「復習?」

「うん。新人教育で簡単な受注を任せているんだけど、たがねの扱いに難航していたから、製造工程のお手本を用意してみようかと……」

 くろがねの指南書も一応あるのだが、基本的な知識の羅列に過ぎず、実際の受注ではあまり役に立たない。
 目まぐるしい受注の舞い込むクロガネ隊では、技術の伝達は殆ど口伝でなされる。
 特に光希は、ほぼ独学で研鑽を積んできた。
 言葉に不自由していたこともあり、説明を受けるよりも、とにかく人の作品を眺めて、手元を覗きこみ、制作工程を盗み見ながら成長してきたのだ。
 今でこそ一人で受注をこなしているが、決して楽な道のりではなかった。

「なるほど。具体的な手本があれば、下の者は学びやすいでしょう」

「うん、僕もそう思って。いやぁ、それにしても、人に教えるのって難しいね」

 腕を組んで唸る光希を見下ろして、ジュリアスは頷いた。

「判ります。私も、自分にとって当たり前のことが、他の者には当てはまらないということを理解するのに、先ず時間がかかりました」

「軍事で?」

「はい。初めて小隊の指揮を執った時、味方の動きの悪さに驚きました。なぜ、視野が狭いのか、逐一機動の判断が遅れるのか、不思議でなりませんでしたよ」

 淡々と告げるジュリアスを仰いで、光希は苦笑いを浮かべた。

「……そりゃぁ、ジュリと比べたら、他の人がかわいそうだよ」

「神力の優劣に関わらず、個々の努力の怠慢に映ったのです。実際は、あらゆる要因があったのですが、その時は少々手厳しく指摘してしまい、味方を余計に委縮させてしまいました」

 彼を基準にして周囲を評価するのは、あまりにも酷であろう。光希は苦笑いを浮かべてジュリアスを見た。

「まぁ、誰にでも失敗はあるよね」

「人には得手不得手があると知り、要所を押さえて人に任せるようになってから、大分変りました。指導も、今では得意とする者が務めています。最も、私より厳しいかもしれませんが」

「なるほどねぇ……人を上手に使うって、一つの才能だよね。その点において、僕はアルシャッド先輩に遥かに及ばないな」

 いかな修羅場であっても、彼の穏やかな態度は一貫している。仕事の不手際を見つけようとも、不機嫌を表に出さず、苛立ちを人にぶつけることもない。
 類稀な才能に恵まれながら、少しも奢ったところがなく、手が空けば新人に混じって雑事もこなす。
 彼は、どんな状況でもよく人を見ている。
 どれだけの受注が舞い込み、誰の手が空いていて、誰が苦戦しているのか。
 個人技も神の領域だが、全体最適で動ける彼の総合能力の高さには、感服せずにはいられない。

「充実しているようですが、困ったことはありませんか?」

「ん、平気。忙しいけど、楽しいよ」

 新人教育は、良い刺激になっている。仕事に張り合いが生まれ、創作意欲も掻き立てられている。

「でも、ほどほどにね。もう休みましょう」

 後ろから抱きしめられて、光希は肩から力を抜いた。
 工房に籠ると、ついつい時間を忘れてしまう。ちょうど、きりの良いところまで進んだし、残りは明日でも良いだろう。
 しかし――
 三人の教育に力を注ぐ光希であったが、事態は芳しくなかった。
 ノーアの失敗が続くうちに、彼の落ち込みようは眼に見えて酷くなっていったのだ。周りが気遣う言葉をかけても、無理して笑顔をよろい、頑なに一人でやり遂げようとしている。
 やっきになって鏨を打つノーアの姿は、少し前の光希を思い出させた。
 かつて、鉄に神力を思うように宿せず、倒れるほど思いつめたことがある。あの時味わった苦しみは、生涯忘れやしない。
 業務終了後の工房。
 鉄の端切れを鞄に入れて、持ち帰ろうとするノーアを見かけて、光希は思わず声をかけた。

「ノーア、ちょっと待って」

「殿下!」

 肩を撥ねさせたノーアは、視界に光希を認めると罰の悪い表情を浮かべた。

「軍舎に戻った後も、練習しているの?」

「……はい、照明を点けていられる間は」

「きちんと休んでいる?」

「はい……」

 力なく、警戒気味に返事するノーアを見て、光希は内心で息を吐いた。この分だと、碌に睡眠を取っていないのだろう。

「無理をし過ぎないようにね。疲れが取れなければ、鉄も綺麗に響かないよ」

「はい、申し訳ありません」

 叱られたと思ったのか、ノーアの声は沈んだ。絞り出すような謝罪を聞いて、光希は歯痒い念に駆られた。
 彼の苦悩が判る。そして、あの時のアルシャッド達の気持ちが、今こそ判る。
 どうにかしてやりたいが、これは彼が自分で乗り越えねばならないことだ。
 状況は好転しないまま、数日が流れた。
 その日、朝一の工房で、光希は三人の進捗を確認していた。
 やはり、三人の中ではノーアが一番遅れている。見落としているのか、手つかずの案件も一つあるようだ。騎馬隊の訓練武具の修繕といった、さほど難しい内容ではない。ただ、納期が三日後に迫っている。
 さて、どうしたものか……
 今朝も早くから工房で精を出しているノーアの姿を見て、光希は手にした発注書に再び眼を落とした。
 彼の怠慢でないことは、判っている。ノーアは今、いっぱいいっぱいなのだ。
 いいや、代わりにやっておこう――ノーアの苦戦ぶりを見て、光希は彼の発注書の確認漏れを指摘しなかった。
 とはいえ、日中は光希も別件で立て込んでいる。
 加工班は今、義手制作に総力を挙げて取り組んでおり、光希とアルシャッドは中心的役割を担っていた。
 日中は義手制作と教育指導がある為、独りでできる作業は後回しにせざるをえない。
 工房で残業すると周囲に気を遣わせてしまう為、光希は仕事を屋敷に持ち帰るようになった。

「……光希?」

「あっ、もうこんな時間か……」

 工房にやってきたジュリアスを振り返り、光希は瞳をこすった。かなり集中していたようだ。

「最近、遅くまで起きていますね」

「うん、ちょっと」

 探る様な眼差しを向けられて、光希は笑って誤魔化した。
 机の上に散らばった発注書の一枚に、ジュリアスはおもむろに手を伸ばした。よりによって、ノーアの名前の記されたそれを、光希は慌てて取り返そうとした。

「他の隊員の受注を、どうして光希が?」

「ちょっとね……返して」

「また、無理をしていないでしょうね?」

「してない、してない。返してよ」

 発注書を取り返すと、光希はいそいそと鞄にしまった。

「……最近、遅くまで仕事をしているのは、新人の指導が影響しているのですか?」

 否定的な気配を読み取り、光希は姿勢を正した。

「無理をしているわけじゃなくて、僕がしたくてしているんだ。教えるのも勉強になるし、僕の為にもなっているよ」

「こんなに疲れた顔をしているのに?」

 目元を親指で摩られて、気まずげに光希は視線を逸らした。

「今だけだよ。もう少ししたら、落ち着くと思うから」

「本当に?」

「うん」

「倒れない?」

「倒れません」

 澄ました顔で光希が言うと、不満そうな顔をしたものの、ジュリアスもそれ以上は言わなかった。




『クロガネの応援歌』


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